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全日本マスボクシング選手権③ 〜志の拳(また出会うことを信じて)

↓前記事より続く。

マスの全日本選手権の話が
マスの東京都大会の話へ

そして3回目には4月29日の東京都UJ王座大会へと戻る。

まるで付き合う前に、自分恋愛史を全て語って聞かせる面倒なヤツのようだとは思う。

表面だけの活躍談話を知りたいだけの人間には、きっと億劫な展開だろう。

しかし、そこは「SWEET BITTER」

自分たちのドラマには、たとえ正式な連盟でのボクシングは1年目の挑戦だとしても、さまざまな人間の想いが繋がりあっていることを知ってほしいのだ。

一見、大成功、大盛況、華やかにみえるシーン。

しかしそれは、非力や屈辱に打ちひしがれてもまた立ち上がって向かっていく、そんな毎日の積み重ねの最中に、ほんのたまに舞い降りるものでしかない。

99.9 %はBITTER SIDEに
そして0.1 % SWEET SIDEが訪れる

今回のマスボクシング全日本選手権の前に、アマチュアボクシング連盟の初めての公式戦に立ったのは辰太郎(しんたろう)だ。

2023はDARK SIDE

2023年RISEアマチュアでの試合。

辰太郎が大きくバランスを崩した。

初の試合でのダウン。

すぐにダウンを奪い返したもののラウンド終了後とみなされ、ノーカウント。

そのままもう1ラウンドが過ぎ去り、判定負け。

会場のある大森駅から京浜東北線に乗ると、辰太郎はずっと肩を落とし続けていた。

何もかもがうまくいかない。
それは翔太もそうだった。

「辰太郎、一回キックから離れよう…」

自分は口を開いた。

辰太郎が前髪で目をかくしたまま、

「はい、自分もその方がいいと思います…」

チカラなく答えた。

京浜東北線の車内には、家族旅行中の小さな子供たちがナップサックを背負って、歌をうたっている。

そうだ うれしいんだ
いきるよろこび
たとえ むねのキズがいたんでも

YouTube。
アンパンマンマーチが子供たちが手にしたスマホから流れていた。

電車はほどよく揺れていた。

「なぁ、チームはもう解散しようか。一度オレたちだけでやろう…」

2023年はチーム崩壊の年だ。
それが正直な自分たちの認識だ。

・チームに入っても、休みが多く少ない練習量で試合に出る子たち

・少し連勝を重ねたら、「もう外部試合はやめます。親がもういいって言うんで」と突然の離脱宣言をして急に淡白になる子、そして親

・悔しいですと負けた後にいうけれど、直後の練習をやすむ子たち

・試合場でまるで遠足のようにわいわいとする異質なノリ

それらの全てに、辰太郎だけでなく、翔太もサスケも気前よく付き合いつづけていたが、この敗戦でもう限界になった。

心が疲れてしまったのだ。

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

こどたちが無邪気に歌ってキャッ、キャッとはしゃぐ。

自分と辰太郎には、それが何か別世界の光景のように思えていた。

もちろん、わかっている。

みんなは悪気はない
自分たちを傷つけているつもりもないのは分かっている….

学校も他の習い事も頑張っているだろうし、
それは自分達も心から応援している。

でも戦うということは、そういうものではない。

戦に臨むチームというのは、そうあるべきものではない。

格闘技は面白いけど、
反面、本当に怖いものだ。

好きだからこそ
真剣であるからこそ
きちんとした個々の姿勢と
チーム間の信頼が必要だ

"SWEET BITTER"

自分たちのユニフォームには
真正面ど真ん中に求めた夢と、それにぶつかって砕けた挫折が
共にいくつも刻まれている

道場に戻って翔太にも相談すると、

「自分もちょっと昔からの仲間だけで籠(こも)りたいです」と、即賛成だった。

※この文章でここまで赤裸々に書いていいものか逡巡しましたが、これが当時の真っ直ぐな思いです。後援会なども作ってもらっている手前、彼らは好まないムードにも目を逸らし続けて、本当に気を遣っていました。
今は理解してくれる人が増えたので、あくまでも「昔のこと」として書かせていただきました。

UNDER JUNIOR 東京都大会

その後、辰太郎は実に5ヶ月ほどの外部試合のブランクを挟んだ。

このことに気がついていた人間は、内輪以外ではほぼ皆無だったのではないかと思う。

中学2年生になったばかりの4月。

相手は中学3年生たちだ。

試合前のアップ場でのシャドーも
皆、上手くて力強い

「己を信じる」

5ヶ月の間
休養をしたわけではない

ひたすら努力に努力を重ね
この日のための技術を練りに練り込んだ

準決勝、辰太郎は1R20秒開始早々に右のオーバーハンド気味のフックで相手を倒した。

中学3年生の今年最後の夢を辰太郎がうばった。

この瞬間を手に入れるまでに、どれほどの練習を重ねただろうか。

試合時間の20秒

たったこの僅かな瞬間のために
約150日3,600時間をひたすら走り続けた。

21万6千秒をかけて、この20秒をつかんだのだ。

自分の追求してきた戦いを手に入れるために
日々、恐怖とたたかいながら
汗を流し続けた。

自分も翔太も、覚守慧も
麻以先生も、翔太のお父さんもお母さんも
辰太郎の姿にみんなが胸をつまらせた。

試合翌日、次の決勝に備えるため
辰太郎は練習に現れた。

そして開口一番、弾んだ調子で

「先生、昨日はありがとうございました。
兄貴が褒めてくれたんです。オマエやるなぁ…って」

嬉しそうに兄の辰壱との会話を
報告する辰太郎

その時、ふとあの京浜東北線の風景が
再び思い出された。

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ

無邪気に歌うこどもたち
5歳ほどの女の子と3歳ほどの男の子だった

あのとき、辰太郎は確かにこうつぶやいた

「自分は兄貴を追いかけてきて、まだまだ兄貴に追いつけなくて
でも、いつか絶対に兄貴のようになりたくて…」

絶対にいつか戦いたい。
また兄貴と。

そう呟いていた。

それを翔太と覚守慧が見守っていた。

みんないい笑顔だ。

ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

人は必ずしも自分のために戦っているわけではない。
人は一人で戦っているわけではない。

いつも誰かのために戦っている。
いつも誰かと共に戦っている。

(来年はきっと再び分けられるようになるだろうな…)

自分はすでにこの時、2024のあらゆる展開を妄想していた。

そのために必要な冬ごもり。

春を待とう。

そう誓った。

(続く)

※次章は東京都大会へ再び戻ります

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