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校長室からコンニチハ No・2【共に 育つ】学校五日制を考える(特別号★第2号・2002年11月19日発行)
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---★ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」特別号 ★-------
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-----------------------------第 2号・2002年11月19日発行 ------
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☆今回は、筆者の山口“悟風”智が、
北海道上川郡東川町立東川第二小学校に勤務した時代
(1992〜94年度、悟風58〜60歳)に書いたもののうち、
学校通信「二小だより」に92年6月より93年6月まで連載した
「校長室からコンニチハ」(全10回)のNo・2をお送りします。
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校長室からコンニチハ No・2
【 共 に 育 つ 】
———— 学校五日制を考える ————
東川町立東川第二小学校長
山 口 智
ようやく夏日らしくなり、心配された・作物・の生育の遅れもなんとか取り戻しそうなこの頃です。ついでに、畦草や畑の雑草もぐんぐんのびて……。こちらは、伸びないでほしいのですが。
さて、前回は、日本の教育の歴史(といっても明治以後ですが)の中で最も大きな変化・改革 【学校五日制】が今年の九月から始まるということをお話ししました。
今日は、では、何故・五日制・にしましょう。ということになったのか、そのわけというか、時代の背景などについてお話します。
そして、・五日制・が始まったら
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★子供は、どう過ごせばよいのか。
★家庭では… ★地域では… ★学校では
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どうすればいいのか、と考えていきたいと思います。
<<予め、確認しておきますが、・学校五日制・は、もう賛成か 反対かの論議をする段階ではなく、どうするかの対応策というか方法を皆で考える時期だということです。念のため。>>
日本の学校教育は、今まで欧米先進国に・追いつけ、追い越せ・を合い言葉に、子供たちに出来るだけたくさんの・知識・を注入し試験に良い点をとると、『勉強ができる』といってほめ、高校や大学に進んでいきました。
その結果、国際的にも一、二を争う高い学力と、物の豊かな経済大国と呼ばれる国に発展してきました。
このことは、日本人全体の教育水準を高め、特に戦後の驚異的な復興に大いに寄与してきた・教育の在り方・のプラスの面でした。
しかし、一方では・心の貧しさ・青少年の犯罪や非行・登校拒否・親子の断絶・家庭内暴力・いじめ・落ちこぼれ・などなどの歪みとなって全国の親や教師、地域の人々を困らせていることはご承知の通りです。
その上、近年の激しい世の中の変化、例えば、コンピューターの出現。(本校にも、この冬六台のコンピューターが設置される予定です。) 情報化・国際化・おまけに老齢化の社会と、21世紀を予想すると
【今のままの・教育・のあり方では生きていけない】
という反省にたち、多くの人たちが、長い期間の論議を重ねて、
【新しい教育のあり方】
が示されました。
それが、子どもの教育の基準を決めた<<学校指導要領>>です。
それは、【学力】を今までの知識や技能の量としてとらえるのでなく、自己教育力(後日説明)の育成を目指して【社会の変化に主体的に対応し、心豊かに、創造的に生きることの出来る人間の育成】を・基本的なねらい・として作成されました。
【学校週五日制】は、教育はもう学校だけでなく、家庭や地域の教育の力と三者一体でやるべきであるという考えから打ち出されたものなのです。では、五日制が始まったら、・子どもは、・家庭は、どうすればよいのでしょう。20日の参観日にお話しします。では…。
(1992年7月、日付不明)
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☆次回は、「校長室からコンニチハ」No・3を掲載する予定です。
☆このメールマガジン版に掲載した山口“悟風”智の作品は、明らかな間違いを除き、筆者・悟風が書いたまま載せています。
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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★編集後記「人並みだったとしておこう」★
特別号第2号は、「校長室からコンニチハ」の第2回です。今回の文章を読んで、こう思いました。「お父さんは、やっぱり現場が好きだったんだな」と。
以前、母から聞いた話を思い出しました。父が40歳前後になったころでしたか、現場(学校)を離れて、教育委員会に入らないかという話があったそうです。母によると、父は断ったそうです。
父は、40年間の教員生活の間、ずっと学校で過ごしました。一般的に、同じ教員でも、教育委員会での勤務を経験した人の方が、教頭、校長への出世は早いようです。父が校長になった時、「やっと、にきびみたいな山に登り詰めた」という手紙を、私に送ってきたことがありました。その手紙を読んでも、父にも出世欲は、もちろんあったと分かります。しかし、それでも、「現場」の方を優先したかったようです。
今、特別号で連載しているのは、校長になってからの文章です。たいていの学校では、校長は担任や授業を持つことがありません。また、校長室は、職員室とは別にあります。ですから、校長として在職中、児童や他の教職員と、ほとんど話さない日もあったと思います。これは、父の本意ではなかったかもしれません。ただ、校長として勤務したのは小規模校でしたから、子供たちや他の先生からそう遠い存在ではなかったでしょう。それは、幸せだっただろうと思います。
今回の文章を読み返してみて、保護者の方々や、児童たちと少しでも多く、直接触れ合って、自分の考えを伝えたかったのだろうな、と思いました。
(発行者・山口一朗)
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「キトウシ山」RelativeWorksさん撮影。
山口“悟風”智が晩年を過ごした地域にある山で、この写真は「photoAC」https://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。なお、この「特別号」を復刻するにあたり、リンク切れしているURLは全てリンクを消去しています。(編集者・悟風のムスコ)