「ムスコの“亡命”」(通常号 第22号・2002年8月30日発行)
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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第22号・2002年 8月30日発行 ----
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☆今週は、「おかあさんへの手紙」に今後、たびたび出てくるムスコの“亡命”について書きます。
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こんにちは。メールマガジン「おかあさんへの手紙」発行者の山口一朗です。
8月は、金曜日が5回目です。第1〜4週は、悟風の作品を中心に紹介していますが、第5週がある場合には、「手紙」の背景となる部分を補足することにしています。今週は、冒頭で書きましたように、「ムスコの“亡命”」について、書きます。
まずは、2002年8月16日発行の通常号第20号の「★悲しい夏休み」をご覧ください。第20号の編集後記「千鳥足」でも書きましたように、9月から第3週・6年生トラックには、たびたび「亡命ムスコ」の話題が登場します。
今からちょうど20年前にタイムスリップします。「★悲しい夏休み」の日付は、1982年8月20日。悟風のムスコ、つまり私は、この日から翌83年の7月までの約11カ月間、米国ミシガン州のグランドラピッズ市郊外にあるワイオミング市に滞在しました。グランドラピッズ市は、日本の高校生用の地図には、たいてい出ているはずです。といっても、ピンとこない人がほとんどでしょう。大まかに言うと、五大湖の一つ、ミシガン湖の近くです。地図があれば、手袋(ミトン)の形をしたミシガン州を探してください。大都市でいうと、米中西部の中心都市・シカゴと、自動車工業で有名なデトロイトとのちょうど中間点あたりです。シカゴにも、デトロイトにも、車で約3時間(約300キロ)でした。(参考サイト→地元紙・グランドラピッズプレス https://www.mlive.com/grand-rapids-muskegon/ )
当時、私は高校2年生でした。日本の高校を1年間休学して、ミシガンでホームステイし、現地のワイオミング・パーク・ハイスクール(WPHS)に通いました。日本の中学3年生から高校3年生まで、4学年の計約700人が学ぶ学校でした。地域的にオランダ系などの白人が多い学校でした。もちろん、ヒスパニックも、黒人も、アジア系もいました。留学生は私を含めて3人。西ドイツ(当時)のミュンヘンと、スウェーデンからそれぞれ女子生徒が来ていました。
当時の日本の高校の大部分は、外国の学校に留学中の単位を認めませんでした。したがって、高校2年の途中で休学して、戻ってきたら、もともとの同級生は3年になり、私は2年生のままということが決まっていました。
ただ、米国の新学年は9月に始まります。WPHSに編入のための打ち合わせに行くと、校長のハイゼンガ先生が「1965年10月生まれか。だったら、シニア(日本の高校3年生に相当)だな」と言うではありませんか。聞くと、新学期開始が9月初めなのに、3カ月近く後の11月末の生まれまでは、「上」の学年になれるのだそうです。これは、地域や学校などによっても違うようですが、飛び級を積極的に認めるなど、米国らしい自由な習慣だと感じました。この点、新学年が始まる「4月1日」現在で、きっちりと分ける日本とは、大きな違いでした。
学校は週5日制。1日の授業は、最低半年間固定で、
1時間目〜数学の解析(Analysys)
2時間目〜合唱(Honers Choir)
3時間目〜生物
4時間目〜前期は米文学、後期は米短編小説
5時間目〜米国史
6時間目〜前期は家族生活(Family Living)、後期は米政治
だったと記憶しています。4〜6時間目の5科目は、学校が「卒業に必須」と指定した科目でした。それ以外は、何を履修してもいいということだったので、苦手な数学と生物、それと、帰国後に日本の高校で入部しようと考えていた合唱を選択しました。
当たり前なのですが、周りは米語です。北海道では「進学校」と言われた高校で、英語だけは上位にいました。しかも、中学1年のころからNHKラジオの英語講座をほぼ欠かさずに聞いていたのです。が、その程度で太刀打ちできるはずもありませんでした。最初のころは、合唱以外の授業はすべて録音して、ホームステイ先に帰ったら、予習・復習の繰り返し。日本の高校生活では、授業以外にほとんど勉強などしたことがなかったのですが、やらざるを得ない日々でした。
課外活動は、かなり熱心にやりました。米国は、秋、冬、春と、季節ごとに違うスポーツのリーグ戦を組んでいます。秋は、主にアメリカンフットボールの季節。冬はバスケットボールや、(室内種目である)水泳、レスリングなど、春は野球やゴルフ、陸上競技などが中心でした。私は、秋は陸上のクロスカントリー、冬はバスケット( http://www.wyoming.k12.mi.us/014/Athletics/bball/80's.htm )、春は野球(http://www.wyoming.k12.mi.us/014/Athletics/baseball/default.htm )のチームに所属しました。バスケットのページには、留学当時の写真が載っています。探してみてください。
このほか、希望者が集まって、ミュージカルもやりました。“ANNIE GET YOUR GUN”(アニーよ銃を取れ)でした。ウエイターとか、インディアンその2とか。これは、何役やったか、忘れました。
約1年の留学・米国高校卒業を経て、大学に入ってから、派遣団体が発行していた月刊誌に連載させてもらいました。私の個人サイト(
http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/michigan.html )にも掲載しています。十数年前の文章で、今よりもずっと下手くそで、恥ずかしいものです。ただ、留学中・帰国後に感じたことを、かなり素直に書いていると思います。それに、作品は一人歩きするものと思います。ご参考として、紹介させていただきます。
以上のことを、父の作品の背景として、大まかにでも捉えていただければ、これから時々出てくる「亡命ムスコ」関連の作品が、よりよく、わかってもらえるのではないかと思います。
(2002年8月30日、発行者・山口一朗)
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☆来週から、通常の「学年通信」に戻ります。来週は、低学年トラック
1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」より
☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「北海道の地図 市町村名入り」PJさん作成。
旧「風連町」は「平成の大合併」で、名寄市の南半分のあたりになりました。この地図は「イラストAC」https://www.ac-illust.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
「グランドラピッズプレス」へのリンクは、2024年8月現在のサイトに変更しました。なお、ワイオミング・パーク・ハイスクール(WPHS)は、学校統合に伴って現在は存在しませんので、当時のURLをリンクを張らずに掲載しました。(編集者・悟風のムスコ)
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