風連と富良野(第4号・2002年4月26日発行)
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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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------------------------------- 第4号・2002年 4月26日発行 ----
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☆今週は、「おかあさんへの手紙」の舞台などについて説明します。
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こんにちは。「おかあさんへの手紙」の筆者・山口“悟風”智の長男、山口一朗です。
皆さん、いかがお過ごしですか。30人ほどの読者でスタートしたメールマガジン「おかあさんへの手紙」は、3週間で、倍近い方に読んでいただけるようになりました。ただ、途中から読んでいらっしゃる方や、北海道のことをあんまり知らない方には、舞台がどんなところか分かりにくいと思います。
そこで、第4号は、「おかあさんへの手紙」の舞台がどんなところか、ちょっと説明したいと思います。出来れば、北海道の地図をそばで開いて、このメルマガを読んでいただけると、より良く分かっていただけると思います。用意できますか?
さて、「27年前の北海道の小学校に“転校”しませんか」というキャッチフレーズで、このメールマガジンを読み始めてくださった方も多いでしょう。でも、実際に「27年前」なのは、第1週だけでした。1975年度の、北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」に載ったエッセイを掲載した時だけです。
続く2週分は、第2週の5年生トラック(81年度)、第3週の6年生トラック(82年度)とも、富良野市立鳥沼小学校に「悟風」が勤務していた当時の学年通信「つながり」から引用しました。
創刊号からの読者の方には説明しましたが、「おかあさんへの手紙」を近い将来、本にしようと考えています。手元にある原稿と、紙の本の出版計画などを踏まえ、配信は以下のように行っています。
第1週〜低学年トラック
・1年目は75年度風連中央小2年「リボン」、2年目は76年度風連中央小3年「さわやか」
第2週〜5年生トラック「つながり」
・1年目は81年度富良野市立鳥沼小5年、2年目は85年度空知郡中富良野町立中富良野小(タイトルは、2年とも同じです)
第3週〜6年生トラック「つながり」
・1年目は82年度鳥沼小6年、2年目は83年度鳥沼小6年、(タイトルは、2年とも同じです)
第4週〜その他
92〜93年度・東川町立東川第二小「校長室からコンニチハ」、読者の感想、脚本など
★☆ご家庭に「3人兄弟がいる」とか、「いとこが近くに住んでいて、時々遊びに来る」と想定してください。それらの「児童」たちが持ち帰る分を合計して、週3、4回の学年通信がお宅に届く——というわけです。
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では、「今」通っている学校のある「風連町」と「富良野市」を紹介しましょう。
最初は、有名な富良野にしましょうか。市の公式ホームページは、
http://www.city.furano.hokkaido.jp/です。
フジテレビ系のドラマ「北の国から」や、ワールドカップ・スキー大会の開催で有名になった街ですから、「ふらの」の名前は、ほとんどの方がご存知でしょう。富良野市立富良野小学校の校庭には「北海道中心標」という石碑があります。つまり「北海道のへそ」の街。毎年7月には、「北海へそ祭り」が開かれています。
悟風が鳥沼小学校に勤務していた1980年代前半のころ、富良野市の人口は2万8000人ほどでした。現在は2万6000人ほどまで減りましたが、再び微増傾向にあるそうです。年間200万人もの観光客が来る街ですから、根強い人気があるんでしょうね。
当時、父は46、47歳でした。勤務校・鳥沼小学校は、市街地から2、3キロ東にある田園地帯の中でした。当時は、学年1クラスだったと記憶しています。近くには、まさに鳥の集まる公園や、キャンプ場がある、のどかな場所でした。児童の大部分は農業経営者の子どもたちと、児童養護施設「富良野国の子寮」の寮生たちでした。
「北の国から」の舞台までは、東の方に車で20〜30分。富良野スキー場には、その反対(西)方向へ、やはり車で20〜30分。ラベンダー畑のうち、最も有名なところは北隣の中富良野町にあり、ここにも車で20分ほどで着くことが出来ます。
私の個人的な感想を書かせていただきますと、今考えると、のんびりして、いい街でした。89年に教育実習で母校の富良野東中学校に行ったときも、いい生徒(後輩)たちに囲まれて、13年近くたった今でも、年賀状をくれる子がいます。
ただ、富良野に住んでいたときは、あまりにのんびりしすぎていて、早くこの街を出たいと思っていました。このあたりは、第2号(2002年4月12日発行)の★ムスコの巣立ち★で、父が少しだけ触れています。
次に「風連」です。
「ふうれん」は、富良野の北約120キロにあります。富良野から行くと、主に国道237号を通じて約60キロ北へ向かいます。ここが、道北の中心都市・旭川(あさひかわ)。悟風が生まれ、息を引き取った街です。風連には、旭川から、さらに国道40号を北へ約60キロ。作家の三浦綾子さんの作品名にもなった「塩狩峠」を通って、士別(しべつ)市と、名寄(なよろ)市の間にある人口約8000人(当時)の農業の町でした。現在の人口は、5600人弱になっているそうです。町の公式ホームページは、http://www.town.fuuren.hokkaido.jp/です。
風連中央小学校は、まさに町の真ん中にあります。悟風が赴任した1972年春には、木造校舎でした。当時の父は37歳。母が34歳。私が6歳、妹が3歳でした。ちなみに今、私が36歳、妹が33歳、妹の長男が3歳です。
赴任の前年でしたか、風連小学校と旭小学校が併合して、風連中央小学校になったのです。赴任当初は「本校」だった旧風連小学校の校舎を使っていました。私の入学式も、当然、その木造の校舎で行われました。校舎に隣接する教員住宅も木造で、春先は、石炭ストーブを炊いていました。その年の秋、約100メートル西側に、鉄筋コンクリートの新校舎が完成しました。その後、ようやく「旭分教室」の仲間たちも、同じ校舎で学ぶようになりました。白い壁の立派な校舎で、町の人は「100年は持つ」と、喜んでいたものです。
学校周辺の風景で覚えているのは、田んぼです。周辺は、ほとんど田んぼで囲まれていました。直前に住んでいた旭川市が北海道第2の都市(当時の人口約32万人)で、しかも住宅地でしたから、余計に田んぼの印象が強いのです。ただ、学校は、東側だけ、国道沿いでした。そう。街の「中央」にあるのです。
その学校と、新しい教員住宅の間には、直線距離で100メートル、1周500メートルほどのグラウンドがありました。つまり我が家から、学校まで、ドアからドアまで約100メートルでした。
校庭では、夏は野球やソフトボール。冬にはグラウンドの半分に町営スケートリンクが出来たので、毎日、スケートをやっていました。築山もあったので、そこにジャンプ台を造って、札幌オリンピック70メートル級(現ノーマルヒル)で優勝した笠谷幸雄選手のような気分になって、遊んでいたものです。
自転車で5分も走れば、町営プールがあり、4、5キロ西には、町営スキー場もありました。学校の体育館では、スポーツ少年団の剣道教室や、ママさんバレーなどもやっていました。学校近くの児童館では、卓球やゲームなども出来ました。福祉センターでは、書初め大会、凧作り教室など、いろんな催しがあり、たくさんの人たちが集まっていました。
この点も、今考えると、30年近く前に、生涯学習・スポーツをこれほど簡単に、しかも熱心に出来たところというのは、非常に貴重だったと思います。
自分のことばかり書きましたが、当時の風連の子どもたちや、鳥沼の人々は、こういう環境に住んでいました。先週の鳥沼での話に「西瓜(すいか)畑」が出ましたよね。来週以降の風連の話にも、たびたびスポーツの話が出てくると思います。お読みになりながら、だだっ広い北海道の農村地帯=舞台を想像するきっかけにしていただけると、うれしいです。
(2002年4月26日、発行者・山口一朗)
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☆来週は、低学年トラック
1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」より
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「北海道の地図 市町村名入り」PJさん作成。
旧「風連町」は「平成の大合併」で、名寄市の南半分のあたりになりました。この地図は「イラストAC」https://www.ac-illust.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。なお、文中「旧風連町」(現・名寄市風連町)のURLをそのまま載せていますが、風連町が2006年3月に名寄市と合併してなくなったため、現在はリンク切れになっています。(編集者・悟風のムスコ)
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