その39「大丈夫」
こんにちは、山口美咲です。
緊急宣言があり、もうすぐで2週間ですね!
この2週間の努力がどうか数値で表れますように…
そしてわたしはこの1週間、さまざまな気付きがありました。
まずどう過ごしたかというと、、、
①毎日12時間睡眠
②Amazonプライムを2ー3本観る
③久しぶりの自炊
④初めての油絵に挑戦!
明るく書いてみましたが、はじめの数日はそりゃもう廃人で。
あれだけ時間が欲しい欲しいと思っていたのに、いざ時間ができるとモチベーションがどこかへ行ってしまいました。
それが本当に辛くて。
振り返ると生き急ぐようにこの3年は寝る時間も割いて動いていたなあ。と。
だからいっその事ダラけてみよう!と思ったわけです。
そんな自分を好きとは言えませんでしたが、こんな家にいることがなかったから、おうちという空間や、今まで観たい!と思っていた映画をとことん見る事ができ、ウィスキーを好きになりました。
本当に誰にも会えなくなってしまうなら、きっと私はそれこそ死んでしまう、とも思いました。
人と会う事が私の刺激でモチベーションで原動力だったんだと、改めて思いました。
こんな時間を過ごせたから思うのかもしれませんが、ゆっくりひとりの時間を過ごして、目覚ましなく陽の光で起き、DVDをみて油絵を描いて終わる日もよい日でした。
だからもし、モチベーションが下がっている人がいるなら、
下がったって大丈夫。
そんな自分もいたって大丈夫。
生きていればいろんなきっかけがあるから。
その39「大丈夫」
本日は暗いトンネルに入る前のお話。
2009年は日本新記録でシーズンを終え、来シーズンに向けて、そしてロンドンオリンピックに向けてスケジュールをたてていました。
水泳の選手はシーズンが終わったり、大きな試合の後、一旦リフレッシュ期間として10日ほど(平均して)のオフ期間をとります。
気持ちも身体もリフレッシュし、そこから来シーズンに向けて土台づくりから始めます。
ですが、2009年は少し他の年とは違い、その年の12月に「東アジア大会」といったIOC主催(オリンピック委員会)の試合がある年でした。
そして高速水着も2009年までと決まり、高速水着で挑戦できる最後の試合が「東アジア大会」となりました。
そこでコーチと話し合い、リフレッシュ期間を取らずそのまま合宿体制に入ることにしました。
土台を作る必要がなかったため、練習の調子は今までになく素晴らしい仕上がりでした。
そうして迎えた12月。
わたしは自己ベストと日本新記録が出せる自信しかありませんでした。
ですが、泳いだ結果55.2。
100mの自己ベストは54.4。
え?
この0.8秒はなに?!なんで?!
初めて目の前が真っ暗になりました。
試合が終わったミーティングには参加できないほど泣きじゃくりました。
今までの努力を、時間を、全て自分自身に裏切られたと思いました。
自分の心の中でなにかが崩れていくのがわかりました。
ずっとずっと張り詰めてきたものがプツン、と切れました。
自分ルールを決め、毎日自分との勝負に勝ち、血を吐いても頭がいたくても、速くなりたい、世界と戦える人になりたいと思って奮い立たせていました。
身体が痛くて寝れない日もありました。誰よりも早く起きて、誰よりも長く練習をし、これ以上なにをしたらよいのかわからなくなりました。
でも帰ったら年越しは高地トレーニングでアメリカへ。そのあとは一時帰国し、またアメリカへ。4月の選考会までのスケジュールは決まっていました。
やるしかない。
でもわたしにとってこの0.8秒はとても大きなものでした。
努力の結果が数字となって表れなくても、
モチベーションがなくとも、
生きていればきっかけはたくさんあるから。
ダラけたって、ゆっくりとした時間を過ごしたって大丈夫。
頑張ってきた人へ、そう伝えたいです。
その39「大丈夫」