第2回 野球とわたし (2007年4月)

 我々ウラニーノの曲に「ぼくが野球部をやめる理由」という曲があります。人間のエゴを描いた非常にシリアスで真面目な曲なのですが、ベースのピストン大橋が曲中に過激なパフォーマンスを行うため、ライブではこの曲のイントロが始まると客席からは笑いと悲鳴が起こります。正直、非常に複雑な心境であります。
 さて、ぼくは実際に中学で野球部を退部しました。本気で甲子園、プロ野球を目指していた熱い野球少年でしたが、見事に挫折しました。退部後、なんとなく諦め切れず悶々とした日々を送っていたある日、同じく途中退部した友人に誘われてキャッチボールをしました。高校生やプロが使うカチカチの硬球を買ってきて。
 半分ヤケになって投げ合った数球、硬球を受け止めた左手は真っ赤になっていました。「こんな痛いの、無理だね」。友人と笑いました。はっきりとそう感じたのか、必死で自分にそう言い聞かせていたのか。ぼくらは、妙にすがすがしい気持ちで家路を辿りました。夢がひとつ終わり、でも次へと歩き出すきっかけになったあの数球のキャッチボール、今も忘れられません。


(後記)
 まだコラムの方向性も定まっていなかったのか、ちょっといい話を書こうとしている感があり、今読み返すと恥ずい。
 実際にぼくは野球選手になりたかった。しかし野球部に入ってみると、うまいやつばかりでぼくはずっとホケツだった。当時は西武ライオンズの黄金時代、ぼくは秋山選手に憧れていた。ホームランを打ってダイヤモンドを一周して帰ってきて、ホームベースを踏む時にバック転をするのだ。それに憧れて、野球よりもバック転の練習を本気でしていた。そりゃホケツなわけだ。
 野球部を辞めた時の気持ちを書いた「ぼくが野球部をやめる理由」という曲は、2004年にリリースした1stアルバムに収録している。ライブでも定番となっていた曲だが、かなりハードなドサ廻りツアーを敢行していた当時の我々は、この曲のイントロでピストン大橋が客席に舞い降り、「ナイス!」と絶叫しながら拳を振り下げるという振り付けを客に強要していた。アウェイの空気を何とかホームに変えようとする苦肉の策だったが、もちろん会場は一層アウェイとなった。ぼくが客だったら絶対に嫌だ。自分が嫌がることをお客さんに強要していたのだから、ひどい話だ。
 ちなみにこのパフォーマンス、大分のTOPSでやったら店長の坪井さんに怒られた。「プロならステージの上で表現をしろ」と。まったくその通りだと思う。それから我々はこのパフォーマンスを続けるかやめるか考えた。結果、「大分TOPSではやらない」という、信念を貫くでも潔くやめるでもない、一番かっこ悪い結論に達した。若気の至りである。
 今でも野球は好きである。特定の球団を応援しているわけでもないし、現役の選手の名前もほとんど知らないが、時々野球を観に行くと何とも言えない高揚感がある。
 野球もやめてしまったが、結局のところバック転もできるようにはならなかった。そういうものである。(2019.4.1)

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