何のプレッシャーもなく、気兼ねなく声かけれる友達は2、3人いる。
ホンマに、有り難い。
そんな中の1人に烈という同い歳の男がいる。
烈海王の烈一門ではない。
烈と書いてツヨシと読む。
過渡期と同じイントネーション。関西人のおっちゃんとかの田村とかゴジラとかのイントネーション変なやつのそれ。
そんな烈とは小学校で出会った。
烈は転校生やった。
背の小さい野球少年やった。
小5で引っ越してきてすぐに馴染んだ。烈(レツ)と呼ばれ出した。
烈は地元で1番野球頑張っていた。
学校から帰ると家の前でガムテープを丸めた球をネットにティーバッティングしていた。
烈のおっちゃんがスパルタ的に野球を叩き込んでる風に見えた。
僕はそれを烈が終わるまで待ってそっから遊びに行ったりしたのでちょこちょこ見学的に見てた。
烈には2つ下に弟がいた。その弟も気だるそうにティーバッティングをやっていた。
おっちゃんは「兄貴みたいに笑いながら楽しそーに野球せぇ!!」と声をかけていたが、弟はムスッとなんでやねんみたいな顔でやってたのが印象的やった。
烈に「きつないん?」って聞いたことがある。
烈は「俺がやりたい言うたからなー、キツイけど野球好きやからな〜弟はあんまやる気ないけど。でも、あいつの方がセンスあんねん。取って投げんの早いねん。」
僕は衝撃やった。そんなことサラッと言う人に初めてあった。
これが烈。
中学にあがり、僕はサッカー部に入った。
烈は学校とは別の野球チームに所属していたのでグランドで会うことはなかった。
うちの中学は野球部はなく、野球同好会があった。
中2か中1か忘れたけど、ある日烈が
「俺、野球同好会入るわ。外の野球チーム辞めた。」と言ってきた。
烈は職員室に行き顧問の先生に
「野球同好会入れて下さい!」
「あかん!!!!」
こんな即答で断られる奴おるんや。
「なんでなん!?」
「お前野球うまいからうちの同好会の連中いじめる!」
こんなに言い切られる奴おんねや。
「いじめへん!!」
「いや、いじめる!!」
「いじめへん!!」
「いじめる!!!!!」
謎の押し問答を繰り広げた。
見事烈は押し買って野球同好会に入った。
それから烈とグランドで会う機会が増えた。
「お前下手くそやねん!!!!」
先生の言った通りやった。
いじめてはないが無茶苦茶に文句言うてた。
「チンチン!走れーーー!!!」
後輩にチンチンというあだ名をつけていた。
こんなにチンチンが当たり前のように毎日こだまするグランドはなかった。
僕らもいつからかチンチンが気にならなくなった。
烈なりの可愛がり方がチンチンという愛称やったんやと思う。
これが烈。
烈とは良く休みの日に遊んだ。
中学の頃、自転車の後輪のサイドにつけるバックステップが流行った。
両サイドにバックステップをつけてそこの上に乗る。
二人乗りをするための器具やとすら思ってた。(本来は倒れた際にチェーンを保護するためのもの)
そのバックステップを地元ではロッカクと呼んでいた。
烈を後ろに乗せて自転車で走っていた。
烈は後ろでロッカクの上に立ち、片手には畳んだ状態のビニール傘、もう片手は僕の肩に掴まっている。
ぼちぼちスピードが出てる時に烈が傘を落とした。
「こうすけ!傘落としてもうた!」(僕地元では下の名前のこうすけって呼ばれてますねん)
「戻ろか?」
「いや、とるわ!」
烈はそう言ってふわっと後ろに飛んだ。
チャリはぼちぼちスピードが出てる、烈は地面に着地して5メートルほど走った。
走ったというか、スピードに耐えきれず走らされたみたいなかたち。
次の瞬間コケた。コケて盛大に海老反りになった。
鮮明に覚えている。あとにも先にもアスファルトの上で海老反りになる人間を見ることはないやろう。
ビックリするくらいの擦り傷を負った烈はそれでも傘を拾った。
1分後には海老反りになった自分で笑い転げていた、擦り傷まみれで血とか出てるのに。
これが烈。今でもこの話は飲むと出てくる。僕らの中では有名な話。
僕と烈は別々の高校に進んだ。
烈は高校でレゲエに出会い、夢中やった。
この頃から烈の口調が変わりだした。
今の口調のインパクトが強すぎて前の口調が思い出せないくらい。
とりあえず会ったら「ヤーマン、ヤーマン」
ヤーマン?ってなった。
ジャマイカの挨拶。パトワ語らしい。
「お前なにビビってんねん。リコボイ言われんぞ。」
リコボイ?ってなった。
リトルのパトワ語なまりがリコらしい。小さい男って意味。
この手のパトワ語を巧みに関西弁に盛り込んできた。
ダルいときのリアクションは
「ボンボクラ〜」これは恐らく英語圏の人が使うfuckin shit的なニュアンス。
「グエッ!」これは今でも訳が分からない。
僕もその影響で音楽を聞いてテンションがあがったりするとゴンフィンガーをあげる。
ゴンフィンガーとはガンのパトワ語がゴン、にフィンガー、つまり手。
手を銃に模して天高くあげ、ポゥポゥと言う。
全く知らん人からしたら謎の行為やけど、これは割と取っつきやすかった。
ジャマイカ人はダンスなどでバイブスがあがって鬼ボスると、ゴンをガチで上にブンとなることからこのゴンフィンガーは来てる、ユーノー?
あ、すいません。僕もこっち側の人間なとこもあるんです。
つまり、ジャマイカ人はイベントなどでテンションあがると、銃を上に撃ってしまうことから、手を銃に模して撃つジェスチャーだけが残ったらしいです。
いや、そもそもなんで撃つねん!!羨ましいくらい音楽で胸踊ってるやん!!
そんなことから烈にレゲエのイケてるアーティストを教えてもらったりした。
ヒップホップをずっと聞いて来てたのでスッと馴染んだ。
今でもレゲエはかなり聞いている。といってもブランニューやなくてファンデーションばっかやけど。
失礼!新譜じゃなくてレジェンドの礎的な曲ばっかりやけど。
僕が高校3年の時、烈は僕の高校の文化祭に来た。
体育館で軽音楽部の演奏があったり、色んな人が出し物をした。
「なんか別におもろないな〜」と烈はつぶやいていた。
内心知らんがなと思っていた。公立の文化祭てこんなもんや。
ステージで次の出し物の女の子が出てきた。
「英語は全くわかりません。外国の方がいたら優しい目で見てください。聞いてください、Oh happy day」天使にラブソングのやつやとなった。
めっちゃうまかった。ゴスペルやってます?のやつやった。
たまに空間支配してまうくらいの歌唱力の人いるじゃないですか?あれです。
烈どんな反応なんやろ思って烈を見た。
手を上げてライター付けてた。
いや、レゲエやったらそれで正解かもしれんけど!!
烈は先生達に連れていかれた。
これが烈。
高校を卒業すると烈は大学に通いながら本格的にレゲエを始めた。
色々烈に教えてもらった知らんことがある。
レゲエのカルチャーは面白かった。
レゲエはざっくりSingerとDeejayとSelectorてのにわかれる。
Singerはお察しの通り、歌を歌う人。PUSHIMとかMINMIとか。
DeejayはヒップホップみたいなDJではなく、これも歌う人。歌い上げるではなくラッパー的な感じ。NG HEADとかJUMBO MAATCHとか。
そしてSelector、これがヒップホップのDJ的な感じ。ただマイクでめっちゃ喋る。MC兼Selectorの人が多い。1人でやる人もいれば2、3人でやる人もいて様々。この人たちのことをSound manという。パトワ語でいうとソンマン!なんやソンマンて!
特に変わってるカルチャーとしてこのソンマンたちが所持しているダブプレート、通称ダブ(スペシャルとも言う)をかけてフロアを沸かす。
ダブプレートとは通常はサウンド・システムのために作られた、一般にリリースされない録音、入手できないバージョン、あるいは既存の録音のリミックスである。
自分だけの特別番である。自分以外がかけることの出来ないオリジナル。
分かりやすく説明しますね!(説明多くてすいません!!)
例えば僕がOffice髭danceのプリテンダーのダブを持ってたとする。
するとそのプリテンダーは
グッバイ〜君の運命のヤマゲンは僕じゃない〜♪
辛いけど否めない〜でも離れ難いのさ〜♪
その髪に触れただけで痛いや〜嫌でも〜甘いな〜いやいや♪
ヤマゲン〜それじゃ僕にとって肌荒れって何〜♪
みたいに自分の名前を入れてることでよりスペシャルになるんです。
こんな無理矢理ヤマゲンっていれるんやないです、もっとかっこいい。
こういうのを海外のSingerやDeejayのアーティストに会って録ってもらう。もちろん報酬を払って。
Selectorが直接払うことで還元してぐるぐるお金が回るシステムもめっちゃ良いなと思います。
これを烈が始めました。Selectorを。烈はジャマイカに飛びます。
ジャマイカに行って、当時から聴いていたビッグアーティストSizzlaからダブを録って帰って来た時にはひっくり返りました。
聴かせてもらうとイントロでSizzlaが「レーツ!」言うててテンションあがった。
なんかとんでもないこともしてくる。
これが烈。
僕は1度で脳内出血をして救急車で運ばれたことがある。
これもおいおい詳しく書きたいから省きます。
救急車で搬送先の病院が決まったとき、おかんは烈にすぐ電話してくれた。
「こうすけ倒れてん!来て!」
その電話を受けて烈はなかなか来なかった。
病院に到着した烈は頬が腫れていた。
「こうすけ!大丈夫か!?」いや、こっちの台詞や。
「ほっぺたどうしたん?」
「お前倒れたって聞いてテンパってん、一旦落ち着こう思って風呂に湯はって浸かってたらおとん風呂来て、お前こうすけ倒れたんちゃうんか!寝ぼけてんのか!!言うて思いっきり顔面パンチとんで来て、俺もそこで正気なって急いで来た!」これが烈のおとんと烈!烈のおとんは時折パンチが飛んでくるから僕たちはパンチと呼んでいる。
烈もさることながら烈のおとんことパンチもパンチが効いている。
パンチは大の車好き。何台も所有する富豪とかではない。
何回も乗り換える回転式の車好き。
気に入らなくて一週間で乗り換えることもあったそう。
そのローテーションの中にランボルギーニもあればSUBARUのサンバーまである。
高級車が好きなのではなく、本当に車が好き。
実家の車を買い替えた時に烈を迎えに行ったことがある。18歳免許とれたて。
烈は「おとんーこうすけ新車乗ってきたでー!」と家の中へ向かって叫んだ。
パンチ急いでやってきて
「えぇなー!最高やなー!」と隅々まで見た。ロールスロイス乗ってる気分なった。SUZUKIのエブリイワゴンやった。
パンチの名言で「ベンツは金持ちが何の車買ったらえぇかわからんからあるねん、あれはそういう意味での金持ちの車や。」
僕はこの言葉がやけに響いた。
最近烈に聞いた
「おとん、ベンツ乗ってたで昔。」
これがパンチ。烈の親父。
烈は小さい頃から家に良く遊びに来ていた。
ウチの両親はレッちゃんと言う相性で呼び、烈はおかんをヨッシー(よしえなので)おとんをケンジー(けんじなので)で呼ぶくらい仲が良かった。
特におとんと仲が良かった。
おとんが言うてたのは煙草吸おうとしてライターを付けようとした時に
「へい、兄貴!」といって煙草に火をつけて来たことがキッカケで可愛い奴やな!となったらしい。
ライターで体育館から連れ出されたり、おとんに気に入られたり。ライター芸の幅が広い奴や。
そんなおとんが死んだ。
烈はずっと一緒にいてくれた。
おとんが死んだことを電話で伝えた。
烈が電話越しで泣いてるのがわかった。
烈が泣いてるのなんて初めてやった。
烈はお通夜の時、参列者席の1番前に座ってくれていた。
家族焼香が終わり、次に参列して下さった方々の焼香。
烈がアテンドの方の指示で焼香する1番前の真ん中へ足を運んだ。
焼香を済ませ、立ってる俺ら家族に一礼をした烈の目は潤んでいたのを覚えてる。
そのまま立ってる僕らの前を通過し、前からその部屋を出て清め塩とかお茶のセットを貰う、そして後ろの入口から戻って席につくスタイルやった。
お通夜が終わった。皆でその場で寿司食うときに烈がいない。
厳密にいうと結構前からいないのは分かっていた。
僕の友達も多く来てくれてたので
「烈どこいったん?」
「知らんで」
誰も知らなかった。
烈に電話をした。
「どこおんの?」
「家で風呂入ってる」
「なんで??どういう流れでそうなんの?」
「いや、お土産もらったから帰るんちゃん?」
「いやあれ後ろからまた席戻んねん!」
「そうなん!知らんかった!」
「今終わって今から寿司食うから戻ってこいや」
「寿司!食う!行くわ!」
寿司食いに行くくらいのテンションで電話を切った。
数分後ビーボーイが寿司食いに現れた。
これが烈。この時はしんどかったからいつもの烈がいてるおかけで気紛れた。
この日、通夜葬式が行われる会館に烈も泊まって線香を焚いてくれた。
その会館が出来たてで綺麗やった。風呂も最新やった。
烈はすぐ風呂入った。入って来てたはずやのに。
「こうすけ入れや」烈の家くらいの雰囲気で風呂に入った。
久しぶりに一緒に入った。昔良く銭湯行ったりしたん思い出した。
小学生のとき烈とチャリで2時間くらいかけて汗だくなって風呂いって、2時間かけて汗だくで帰って、また家で風呂入ったん思い出した。
あの頃は露天風呂めっちゃえぇとこあるねんってだけでチャリ2時間こげたな〜。
次の日、告別式。
文字通り愛するおとんに別れを告げた。
何度も同じことをする。焼香とか、みんなに頭下げるとか。
この日の家族焼香の順番。
おかん、僕、弟二人、ばあちゃん、おばちゃん、烈、おっちゃん、親戚のおっちゃん、、、、続く。
とんでもないとこ飛び込んで来てた。
泊まったから感覚おかしなったんか、家族席に座ってた。
おとんの兄貴より先に焼香してた。
当たり前のように。
烈の中で先行ったろうなんて気持ちがこれっぽっちもないことは皆に伝わってた。邪気がゼロ。
これが烈。
その後、参列者の方は先に出てもらって家族だけが最後の別れの時間。
棺桶に入ってる親父の頭の場所。おそらくこの場所がメイン。おかんやと思ってた。
烈がいた。もう親族より親族やん。
烈はおとんに
「死ぬんはあかんて、ケンジー。。」とボロボロ泣いていた。
おかんは嬉しかったらしい。世代も違う、ましてや友達の親が死んでここまで泣いてくれることが有り難かったと言っていた。
これが烈。
棺桶は男だけで運ぶ。なんかようわからんけどこのルールがある。
棺桶を両サイドから男たちが担ぐ。先頭には烈が背負うような形はで配置している。
もう、慣れたもんや。
烈はそのまま進み霊柩車へ棺桶を頭からスライドして入れる際に、先頭にいたので邪魔になっていた。
烈はそこで小声で言うた言葉を僕は聞き逃さなかった。
「ケンジーほんまRest in peaceやで。」
Rest in peace安らかに眠れ。烈の深いところまでレゲエが染み渡ってるのが分かった。
その後、焼き場に向かう貸し切りバス。
僕は運転席の後ろの席に乗った。
烈がいなかった。前に目をやると助手席に座り、後ろを振り返り、全員乗ったか点呼をとっていた。烈の中で確認がとれたのか、運転席さんにちっちゃい声で
「出発、、」と号令を出し、その指示でバスは走りだした。
点呼とってたけど親戚全員知らんやろ?
もう烈が喪主なんかと思うくらい回していた。
これが烈。
大阪に帰ると連絡をしている。
電話をかけると第一声が
「大阪??」
大阪のトップなんやと思う、烈は。
前電話かかってきたとき
「家出て」
出ると烈が車でいた。東京まで車できた。
そのあとうまい天丼屋で天丼食って烈は帰って行った。
烈は大人になって乗り物が変わったかも知れないけど、2時間かけて行く銭湯の気持ちなんて全然忘れてなかった。僕に会うだけで東京に来た。露天風呂に並べて光栄やわ。
そう、これが烈。
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