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ヨーロッパ人は皆英語が得意?

テレビやインターネットのニュース等をみていると、フランスやドイツの方々が、インタビュー等で何ら不自由なく英語を使っているのをよく見ます。日本人は『彼らはヨーロッパ人だから英語ができて当たり前なんだろう』となんとなく思い込んでいるかもしれません。しかしこれは大間違いです。彼らだって、つい最近までは日本人とそれほど大差なかったのです。ではなぜ彼らの英語力は劇的に向上したのでしょうか。今回はこの事について考えてみましょう。

1 ヨーロッパの英語教育
実はヨーロッパでも、英語は伝統的に語彙の暗記と文法中心の教育が行われていました。もう死語となって久しかったラテン語が、教養人としては必修の時代が長く続きましたから、その流れがあったのだと思います。これを一変させたのは、1990年台のデジタル革命です。世界中のコンピュータがインターネットで繋がり、「IT革命」と呼ばれる巨大な変革の波が押し寄せました。当時、ほとんどのコンピュータ言語が英語を基底として作られていた事、ITでグローバル化した世界では、効率性の追求から共通語が求められる事、さらにアメリカとイギリスの軍事・経済・文化面での優位性から、英語が国際的共通語としての地位を獲得することになりました。こうなると、英語ができないと変化に取り残され、競争に敗れてしまうとの恐れから、英語教育の改革が始まりました。英語教育開始の低年齢化、英語ネイティブ教員の積極的雇用、英語で授業を行う取り組み等が、矢継ぎ早に政策として取り入れられていきました。これには根強い反対も当然ありました。ヨーロッパでも、非英語圏の国々では、自国語と文化にプライドがあります。さらに歴史的軋轢感情もあって、いくら英語が必要だとわかっていても、頑強に抵抗する人々も当然いました。しかしIT革命のもたらした便益を一度知ってしまうと、もう後戻りできません。もはや『フランス語は世界で一番美しい言語だから、下品な音の英語なんて話したくない』とは、フランス人でさえ言っていられなくなりました。逆に『フランス人が英語を話したがらないのは、実は自分たちが英語が下手なのを隠したいからだ』と陰口が叩かれることになってしまったのです。この教育方針の転換は、確実に効果を出しています。例えば大学だけに限って見ても、40代以下の若手研究者は、母国の大学から明日英語圏の大学へ移籍しても、全く不自由しません。さらにお隣の中国や韓国でも、英語に関してはヨーロッパ諸国との差が急速に縮まって来ています。これが大学だけでなく、あらゆる分野で進んでいるため、今や流暢な英語は国際的なステータス・シンボルになっています。

2 日本の歩み
勿論、日本でも事情は同じですから、ヨーロッパ各国のように英語教育改革が取り入れられ、学校で推奨されました。ところが、日本だけは他の国々と異なる道を歩み、大学でも教員の英語力はそれほど変化していないように見えます。確かに、ヨーロッパは国や言語が異なっても、宗教を含め文化に共通性がありますし、そもそも印欧語は共通の祖語から派生されていますから、英語に馴染みやすいという事情はあるでしょう。しかしながら、その一方で中国や韓国のように言語も文化も共有しない国々でも、若い世代の英語力が劇的に向上しているのですから、何か日本に特有の理由があると考えざるを得ません。それは何なのでしょうか。これを読んでいる皆さんも、一度立ち止まって考えていただけると嬉しいです。良いとか悪いとかと言った判断を下したい訳ではありません。ここを深く掘り下げる事で、日本人の心の在り方、文化の形が朧げながらでも見えてくると思うからです。

以前も書きましたが、このようにして自分と自分の文化を発見してゆくことに、外国語を学ぶ深さと意味があると考えています。この過程を経る事で、いわゆる「英語帝国主義」に染まる事なく、バランスを保ちながら、柔軟性を持って活躍できる人になると考えています。

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