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私はイスラム教徒になっていたかもしれない

私にとって最初の外国、それはアメリカでした。もう40年以上も前の話ですが、アメリカに着いた最初の日の出来事は、それだけで本が一冊書けるのではないかと思うほど色々とあり、その後の私の人生に大きな影響を与えました。今回は、そんな出来事の中で、やまどりに関連して宗教にまつわるお話しをしたいと思います。

私が成田を発ってニューヨークのJFK空港に着いたのは、12月中旬のとても寒い冬の日でした。予定では、ニューヨークから大学のあるフィラデルフィアまでAmTrackと呼ばれる長距離電車で移動し、あるキリスト教団体が運営する、留学生用の寮にしばらくお邪魔する手筈になっていました。何しろ生まれて初めての外国、インターネットもスマホもない時代のことです。紆余曲折あってようやくフィラデルフィアの30th Stationと言う大きな駅に到着しました。もう朝の4時ごろになっていたでしょうか。予定ではとっくに目的地に着いて寝ているはずの時間です。冬ですから外はまだまだ暗く、人通りもほとんどありません。

さて、駅の外に出てみるとタクシーが数台客待ちをしていましたので、最初の一台に乗り込み、あらかじめ行先の住所を書いておいた紙を見せて、運転手さんにそこに行ってくれるよう頼みました。

私:『この場所に行ってくれませんか?そこに寮みたいな所があるんです。』

運転手:『Ok、その住所を見せてくれ。… ああ、この場所だったら知ってるぜ。安心しな、連れてってやるよ!』

運転手さんはやけに自信ありげで、車中で何度もその場所に行ったことがあると言っていました。本当かなあ、偶然にしては出来過ぎだよなあと思いながらも、彼が知っていると言うので任せることにしました。約20分ほどかかったでしょうか、郊外の、とある一軒家の前で彼が『Ok、到着だ。ここがその場所だよ。』と言って車を停めました。車窓越しに見てみると、白壁で二階建の小綺麗な家です。外を照らす灯りがとても暖かそうだったのを覚えています。

さて、私には一つ心配事が生まれていました。こんな冬の早朝に人を起こさなければならならず、迷惑をかけてしまうのではないかと言うことです。ところがその家の中では、すでに人が起きて活発に活動している様子が見て取れました。随分と早起きな人達だなあ、宗教に熱心な人達だからかなあ、でも起こさなくていいから助かる、などと思いつつドアをノックすると、中から“Wait, I’m comming.“と言う声が聞こえ、髭を蓄えた20代と思しき若い男性がドアを開けて顔を出しました。東洋人の私を見ると、ちょっとびっくりした感じで、”What? Who are you?”と聞くので、名前を名乗って、事情を説明しました。ちゃんと今晩到着することは伝えてあるし、かなり遅れてしまったけど、これで万事めでたし、ようやくベッドの上でちゃんと寝られると思っていました。ところがその男性は怪訝そうな表情のままで、一向に分かった感がありません。私も『あれ?』とだんだん不安になってきました。やはり運転手さんがとんでもない所に連れてきたのではないかと。

この気まずい状況はある事柄が分かって一変しました。なんとその家はクリスチャンが運営する寮ではなく、ムスリムの男性が共同で暮らすためのシェア・ハウスだったのです。宗教が違っていました。それがわかると、その男性は笑いながら『そのクリスチャンの寮だったらここのすぐそばで、数ブロックも歩けば着く』と教えてくれました。僕も誤解が解けて助かったと思いつつ、早朝にこんなことで迷惑をかけたことを丁重に詫びつつ、その場を立ち去ろうとしました。しかし彼は『ちょっと待て』と言って私を引き留め、次のように言いました。

“It mustn’t be a coincidence that you are here. This is God’s plan. So, why don’t you stay here with us?”

『お前がここにいることは決して偶然なんかじゃない。神がそうなるように仕組まれたんだ。だからお前もここで一緒に暮らしたらどうだ?』

彼が真剣なのは彼の目を見てわかりました。寒いし心身共に疲労困憊していた私は、一瞬 そこでご厄介になることも考えましたが、いやいや待て待て、クリスチャン・ハウスでは皆いつまで経っても来ない僕の事を心配しているに違いない、ここはまず目的地に着くことを最優先しなければと考え、彼の誘いを後ろ髪引かれる思いでお断りしました。彼はとても残念そうでしたが、最後に“Good luck!”と言って笑顔で送り出してくれました。

”It’s that way. Don’t get lost!” 『そっちだからな。迷うなよ!』

私は今でも思います。もしあの時彼の誘いを受けてムスリム・ハウスに泊まっていたならば、私はイスラム教徒になっていたかもしれない、と。その後同時多発テロが発生し、さらにタリバン、ジハード、自爆テロ等の言葉が普通にメディアで語られるようになり、イスラム教は狂信的な怖い宗教と言うイメージが定着してしまいました。でも私はこのような体験があったので、それが現実の人々とはかけ離れたものである事実を知っています。

やまどり学園は、射水市在住のパキスタンの方々とお付き合いが多くあります。私がやまどり学園を始め、彼らとお付き合いするようになったのも、実は神様のプランだったのかもしれません。このお話には後日談があって、なぜタクシーの運転手さんはムスリムのシェアハウスに何度も行ったことがあったのでしょうか。ヒントは彼が黒人の方だった事です。これはアメリカ文化を理解する上で深いので、また機会があったら皆様とシェアしたいと思います。


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