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【戯言4】頑張れば…【努力って?】

 ザックリゆるゆるに、ダラダラと書きます。
「頑張れ」とか「努力しろ」って言葉が、肌に合わない違和感があります。
「個人」としては楽しかったり集中しているのにね。

前の「テトリス式スケジュール」の話で再認識したことは、「私のブロック」は一個が「巨大化する感じ」なのでしょうか。つまり、集中すると際限なく続けていくんですよね。まあ良し悪しです。

言葉に戻りますが、「頑張れ」とか「努力しろ」っていう言葉は、何故か「他者から私へ」として「外部から内部へ」に使われるのが多いです。「私の状態」が「頑張っている」のかを、「他者の判断基準」によって発言しているのです。「言葉は現在進行形」なのに「評価は過去形」っぽいとでもいえばいいのでしょうか。(悪くいえば、命令形ですね。)

もう一つ、「頑張れ」に含まれる「耐える」とこが「美徳」であるとの感覚が、もったいないとも思うのです。「次にいけるなら」さっさと次行った方が良いとも。「超えた瞬間」と「超えた先の景色」が面白いのに…。

 結論として、「違和感」とは「外部評価と自己認識のズレ」でしょうか。後は「次」が用意されていない場合の「保留」でもあるのかなぁとも。そして、「絶対に」「頑張れば」「何とかなる」って発言されると、この人は何もしない人であり、ヒドイと分け前だけ欲しいんだなぁと思うのです。

「頑張る」とか「努力」ってそんなに「分かりやすい」ものではないと思うのです。だから私は、「他人の努力を想像する」だけで「公平な評価」ができる自信がありません。ただし、「素晴らしいと褒めること」はいくらでもして良いと思います。「スゴイ」「ヤバイ」「エモい」の先に、「面白さ」を表現する「褒め言葉」が作れたら、「空気が変わる」のではとも。

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