『香木三昧』に掲載できなかった原稿②『蘭奢待』を炷く
『香木三昧』に掲載できなかったコラムの紹介を、失念していました。
本文の内容と重複する部分もあるかと思いますが、書き下ろした原稿のままを、以下に転記させていただきます。
『蘭奢待』を炷く
二〇〇五年のこと、マガジンハウス社『ブルータス』の編集者 田島 朗氏から、耳を疑うようなご相談を受けました。『創刊二五周年記念特大号で「贅沢は素敵だ!」と銘打った特集を組むに際して、読者代表者一名に「名香・蘭奢待の香りを聞く」権利をプレゼントすることは、可能でしょうか?』というものでした。
御家元・御宗家でも生涯に何度も炷くことが無いような希少極まりない名香を何処の何方かも判らない読者に聞かせることなど、有り得ないことです。優秀な編集者である田島さんも、そのことは当然ながら重々承知の上でのご相談であることは、理解できました。
本来なら丁重にお断りするところですが、田島さんとお話ししているうちに、魔が差したと言うのでしょうか、いや、むしろ英断と美化したいのですが、『何とかなるかも知れません。可能性を探ってみましょう!』と力強く答えてしまいました。
その理由は、幾つか挙げることができます。
第一は、『ブルータス』のような時代の先端を行く素敵な雑誌が香の文化に目を付けて下さったことが、嬉しかったこと。
第二は、編集者の田島さんが実に有能な好青年であったこと。
第三に、頭の中では実現への道筋がはっきりと見えていたことです。
先ず、真正な『蘭奢待』を所持しておられる数少ない団体・個人の中から、一炷分を截香して下さる奇特な提供者を探さなければならないのですが、その候補が頭に浮かんでいたのです。それは、財団法人畠山記念館でした。
当時、茶花の権威である武内範男氏が学芸員を務めておられ、度々香木についてご相談を受けていました。ある時、『館蔵品に「蘭奢待」があるんやけど、見て貰えるかいな?』と訊かれ、飛んで行ったことがありました。拝見すると、志野流香道第十代から十三代にかけて家元の裔統として後見役を務めた藤野専齋が在判した極状が備わった、正真正銘の「源三位頼政所持」の『蘭奢待』でした。何種か存在する『蘭奢待』の中でも最も素晴らしい香気を放つ、天下の名香だったのです。およそ二㎝角、厚さ四㎜ほどの最上質の伽羅が、竹皮紙(若竹の薄皮を和紙で裏打ちしたもの)の香包に赤い絹糸で十文字に縫い留めてありました。
武内さんは、『本物なら創設者(畠山即翁)の命日に献香したいから、少し截ってくれるやろか? 絹糸、切らんといける?』と尋ねて下さいましたから、『無論です!プロですから』と快諾して、後日、愛用の香割道具を持参して、幅四㎜、長さ二㎝、厚さ約一㎜に分木しました。(その際に御礼として半分を下さるとのお申し出に驚きましたが、ここで遠慮したら末代まで後悔すると思い、有り難く拝受しました。)
その際に、貴重な館蔵品を截香するという尋常ではない判断のされ方が、深く印象に残っていました。大切に保管して後世に守り伝えるという使命もさることながら、然るべき時には敢えて使うという決断を下すことによって更なる価値を生み出せる可能性を、信じて戴けそうな予感がありました。武内さんなら、大義名分が立てば、話を聴いて下さるに違いないと思えたのです。
大義名分なら、ありました。館蔵品『蘭奢待』の元々の所持者である蜂谷家の御当代が監修され、次代を担う若宗匠(志野流香道第二十一代家元継承者一枝軒宗苾)が日本を代表する各界の文化人を畠山記念館「名月軒」に招き、名香会を催し、『悠久の歴史を五感で感じとることができるという心の贅沢』(『ブルータスNo.571』より抜粋)を体感して戴くと共に、香道という日本特有の文化に対して深い理解と関心とを抱いて戴くことです。
期待した通り武内さんは快諾して下さり、畠山向子館長を説得して、『蘭奢待』を截香する許可を得て下さいました。
残るは御家元のご理解を得ることでした。本来であれば『蘭奢待』のような名香を炷き出すのは御家元のお役目なのですが、『ブルータス』の田島さんに「『一枝軒宗苾』という軒号宗名を三月に拝受されたばかりの次期御家元を、大きく採り上げてくれたら」と、企画のプロデュースを引き受ける条件を提示して承諾を得ていた立場からは、お手前は次期御家元であり、御家元には後見を務めていただくという異例の構想を貫かねばなりませんでした。田島さん、カメラマンの木寺さんと一緒に名古屋の松隠軒を訪問し、企画の趣旨を説明して、何とかご承諾を戴きました。
かくして、奇跡のような名香会が開催できる運びとなりました。
詳細の顛末は『ブルータス』のNo.571及びNo.598に掲載されていますので、興味をお持ちの方は、ぜひご参照下さい。
ここでは、源頼政(一一〇四年~一一八〇年)が所持したと伝えられる天下の名香を截香することを快諾して下さった財団法人畠山記念館の畠山向子館長と、それを強力にサポートして下さった武内範男学芸員(当時)のご英断に対し、謝意を書き残しておくに留めます。お陰様で、遥かベトナムの奥地に眠っていたであろう最上質の伽羅の、大自然の叡智と正気とが凝縮したかのように宿る一片は、およそ一〇〇〇年の時空を超えて白金台の地で初めて加熱され、源頼政も聞き惚れていたはずの馥郁とした無上の芳香を、あまねく解き放ったのです。
伝統芸道の幾久しい継承と隆昌とを願う畠山館長・武内氏の深いご理解の賜であったと、改めて篤く御礼申し上げます。有り難うございました。
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