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【モジャ毛語り 15】ヤマダヒロミチのアパート取り壊しに伴う引っ越しの件について

【スズキアイミからのお題:引っ越し】





1988年10月5日、東京都狛江市に生まれ、



5歳の時に父親の仕事の都合でブラジルのサンパウロに引っ越し、

3年後、下北沢の社宅マンションに一瞬住んだ時期もあったが、
小学校3年生の初めからまた故郷に戻ってきた。




そこから20年以上、



学生時代はもちろん、

社会に出たり仕事を辞めたり、バンドをしたりメンバーに逃げられたりしている間も、


実家でぬくぬくと、
ロクに家事もせず、
両親のスネを髄までしゃぶり尽くすような暮らしをしていたが、





3年前の2月、
満を持しまくった独り立ちをした。






と言えば聞こえはいいが、


愛する地元の呪縛からは離れられず、
狛江市民歴はおかげさまで30年を突破している。





ともあれ、
三十路にしてようやく“こども”では無くなった。



3年前まで、お恥ずかしながら料理も洗濯も何一つ出来なかった男が、


失敗を繰り返しながらも、
どうにかこうにか暮らしていく術を身につけていった。


今ではポトフ煮込みながら洗ったパンツ干しつつエロ動画観たりなんてことが出来るほど立派に成長した。






その全ては、


初めて親元を離れ住んだ、
日本で2番目に小さな狛江市の中でも最も外れに位置する、
川沿いにある小さなアパートの203号室で得た、

かけがえのない思い出だ。







そんなヤマダヒロミチは、



本日、
その思い出の詰まった部屋からの引っ越しを無事済ませた。








Twitterでは何度かつぶやいたが、



何なら終の住み処にしてもいいと思えるぐらいに愛着を持っていた203号室でのささやかな生活は、


去年のクリスマスの日、


大家の意向を受けた不動産屋の担当者からの
「取り壊すから夏までに出て行ってくれ」という突然の電話を機に終わりを迎えた。





こちらに落ち度はないので引っ越しに係る費用は全て大家持ち。
(アドバイスをいただいた皆様、本当にありがとうございます)

この一番の繁忙期に大手の業者を頼んで手厚いサービスのもと悠々と引っ越せたのもそれがあるからだ。



だが、

そういうことではないのだ。






あの家が、



あの203号室が、



あの部屋で笑った泣いた怒ったことの全てが、



この3年間のヤマダヒロミチにとっての“日常”であり、


踏み出した一歩目が帯びた熱の宿る、
大切な空間だったのだ。





終の住み処にしてもよかった。




でも、



どうせならあの場所から
一歩ずつのし上がっていきたかった。





最寄りの狛江駅まで徒歩25分

ウォシュレットは無い

風呂の追い焚き機能も浴室乾燥も無い

申し訳程度の出っ張りをベランダだと言い張っている

1階の全部屋のゴミ出しマナーがクソ

隣の空き地から飛んでくるバッタがデカい





そんなあのアパートから、




ヤマダヒロミチの作った音楽と、


それを楽しみにしてくれる人々、



もっともっとそれが膨らんで、


もっと良い家に住めるようになって、


真っ向からこの部屋を卒業したかった。





「せめてウォシュレットのある家に引っ越せるぐらいには売れてぇなー」
なんて冗談をよく言っていたけれど、



売れてもいないのに引っ越すことになるなんて、

不本意以外の何物でもないのだ。







ましてや、




これだけ長く、意地のように住み続けた狛江の街を、



こんな形で離れる日が来るなんて・・・















・・・あれ??





郵便番号201-・・・







あ、新居も狛江だ。











そうなのだ。



ご時世柄むやみに引っ越しをする人も減り、空き物件の数が例年より少ないという状況に加え、


収入が増えたわけでもないからより良い条件を選べるわけでもない。
(むしろこんな状況で全然大ピンチだわ俺の確定申告見せてやろうかこのやろう)



今度ばかりは愛する地元を出ざるを得ないかもしれないと思っていたし、

実際お隣の県の物件とかも見た。








でも、狛江。





なんか、狛江。








そして、








今日から暮らすこの新居には、







ウォシュレットが付いてるのだ。







それどころか、



追い焚きも浴室乾燥もベランダもある。



駅までの距離までもが5分ほど縮まった。










あれ???






もうこれ俺、売れなくてもいいんじゃない???








売れてもねぇのに“せめてウォシュレットのある家”に引っ越しちゃったけども。


向上していくためのハングリー精神ならぬ“ケツ洗いたい精神”がもう満たされちゃったけども。




そんな不安は、

実家を出て以来3年ぶりに体験した“我が家のウォシュレット”のほとばしる水流が、
不浄と共に洗い流してくれるとして。



そんなこんなで、



ヤマダヒロミチにとって31年目・16期連続の狛江市民生活の継続が決定した。



激動の3年間を過ごしたあのアパートの203号室を出て行くのは本当に名残惜しいけれども、


「住めば都」というように、
きっとこの新居もすぐに親しめることだろう。




そして、



新しいこの部屋でも、
もっともっと良い曲を作っていこう。



日当たりがとてもよくて、
春風が気持ちよく吹き込んでくる、
前よりも静かな街の、
今はまだ落ち着かないこの部屋で。


そこで暮らし始めるヤマダヒロミチは、



今までのヤマダヒロミチとは違うのだ。








これからは、







ケツの粘膜に傷の無いヤマダヒロミチによる
新章の始まりなのである。






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