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【短編小説】幻影の城

閑静な住宅街には不似合いな、大理石を模した壁と尖塔は、まるでヨーロッパの城を思わせる。近所では「古城」と呼ばれる建物のオーナーは変わり者として有名だった。製薬会社を立ち上げ、一代で巨万の富を築き、この奇妙な城を建てたのだった。新薬を巡る騒動によって、多くの人々から恨みを買い、その怨念からか毎晩うなされるようになる。
※ジャンルの性質上、残酷な表現を含みます。



 窓一つない地下室に、どのような仕組みなのかガラスのピラミッドを浮かべ、真下には魔法陣が描かれている。
 心なしか暗闇に輝きを放つかのように見える図形が、青白く立ち上る鬼火のように妖しいムードをかもし出す。
 女は魔法陣の一角に腰をすえ、固く閉じられた双眸そうぼうには、思い詰めたような苦しみの色が浮かぶ。
 深遠なる闇は、宇宙のように広大な人間の精神世界である。
 ちょうど金星が辿たどる軌道にそれはあった。
 星のまたたきは無窮むきゅう旋律せんりつを奏で、真空を揺らす波動が生命のきらめきをおびやかす。
「無常なる宇宙の闇よ、星屑の雲が欠けるところ、そして人智を超えて揺らぐ風鳴りよ。
 我が声は、天の果て、いく千幾万の星の墓場を貫き、深淵へと届く。
 無限なる虚空にうごめく者よ、古の契約を忘れぬ者よ。
 星々の輝きをむさぼり喰らいし者よ、混沌をべあまたのよどみをすする者よ。
 汝の名は、深淵の王か、奈落の支配者か、
 禁忌を破りし存在か、滅びをもたらす破壊者か。
 我は汝の力を欲する。
 この宇宙を揺るがすほどの、強大なる力を。
 我が願いを聞き届けよ。
 我が魂を代償に、汝の力を我が物とせん。
 今こそ、我が呼び声に応え、現世に顕現せよ。
 星々のまたたきが止まり、闇が世界を覆う時、
 汝の力は我が手中に ───」
 風雨にさらされたのか、無数のシミによどんだシャレコウベの眼窩がんかに揺れる蝋燭ろうそくの炎が、壁に不気味な影を映し出す。
 目を閉じたまま、彼女は薄くわらった。
 今度の犠牲者は、どこの誰になるのだろうか。
 傍らのナイフを手に取ると、魔法陣の中央に突き立てる。
 小さな白い百合ゆりの花が、陽炎かげろうのように現れ、天に向かって花弁を広げていく。
「そうか、薬を ───」
 彼女の艶やかな肌に、青白い光が透明感を与え、不気味に光を放っていた。

 東京帝都大学薬学部は、10階建ての巨大な研究棟を備えている。
 ほとんど立方体に近いビルは、窓が小さくて古めかしいが威厳を感じさせた。
 灰色の無機質な外観とは裏腹に、学生が新薬の研究をする様子は、活気に満ちていた。
 薬学の分野では京都帝大の成果が連日ニュースを賑わし、ノーベル賞受賞者も出ている。
 だが表向きは東京帝大に焦りはなかった。
 客員教授として学生を指導している調月 司郎つかつき しろうは、薬学部研究棟の廊下をズカズカと歩いていた。
 研究成果は世間に認められたものの、ウルフ賞、日本新薬開発総合大賞、そして内閣総理大臣賞にあと一歩及ばず、その悔しさを学生にぶつけているとうわさされている。
 機嫌が悪い日には生徒を怒鳴りつけ、反りが合わないとレポートを机上に放置したまま目を通さないとか、就職活動中に妨害された生徒もいるらしい。
 パソコンでデータを打ち込んでいた翠埜みどりの ありすは、廊下を闊歩する調月に気づいていた。
 足音の大きさとリズム、角を曲がるときにペタペタと独特の靴音を立てるからである。
 出勤日には必ずと言っていいほど翠埜の研究室を訪れ、コーヒーを一杯飲んでいく。
 果たして今日も足音が背後に近づいてきた。
「調月先生、お疲れさまです」
「シミュレーションの方はどうかね。
 先日のニュースでは、分子標的薬に関する映像が取り上げられていたね」
「医学部で集めたデータが、この5倍くらいあれば研究の信頼性を裏付けられるのですが」
 眉根を寄せて、困った顔をして見せた。
 調月は右手を握り、左手の平をポンと打つと気さくな笑みを浮かべた。
「そうか、見通しは立っているようだね。
 じゃあ、帰りに医学部の知り合いに、もっとデータを取るよう催促さいそくしておくよ」
 言いながら脇に寄って身体を密着させてくる。
「こんなに沢山のサンプルを用意して一度に実験を進められるのも、京都帝大が開発したiPS細胞のお陰だ。
 新薬開発の分野では京都に一歩先を越されたが、負けてはいられないぞ」
「はい、ご期待に添えるよう頑張ります」
 キーボードを打つ手を休め、机に投げ出した書類に伸ばそうとしたとき、調月の手が伸びてきた。
 両手で包むように優しく握った後、片手をあげて部屋を後にした。
 手の平に、何かを握らされている。
 ゆっくり開くと、小さな紙きれだった。
 黒猫と魔法の杖を振るウイッチの、かわいらしいイラストをあしらった、付箋ふせんに「食事を用意して待ってるよ」と短く記してあった。

 調月の自宅は目白の閑静な住宅街にあった。
 豪邸が立ち並ぶ一角で、ひときわ目立つその建物は、近所の人たちに「古城」と呼ばれている。
 ベージュの壁に大きく解放的な窓がしつらえてあるが、2階の窓は小さくて丸い。
 ステンドグラスをめ込んであったり、人間の頭部や植物文様を浮き彫りにした彫刻がほどこされていたりと、ヨーロッパの石造りの建築を思わせる趣向が凝らされている。
 通りに面した門扉は、蔓草つるくさを思わせるアイアンワークで装飾され、花壇には色とりどりの花が咲きほこる。
 玄関まで伸びる通路と、石段は眩しい白大理石でできていて、スライスされたアンモナイトの化石が随所に埋め込まれている。
 ライトアップされた、手入れの行き届いた庭を眺めながら、インターホンを押すと、
「こんばんは、翠埜みどりのです。
 夕食にお招きいただきまして、うかがいました」
 ハロウィンや、クリスマスシーズンには、電飾を施して華やかになる様子を思い浮かべ、少しの間心が和んだ。
「待ってたよ、さあ、中へどうぞ」
 調月 司郎は満面の笑みで玄関から出てきて迎えてくれた。
 家の華やかさと、司郎の人なつこい表情とは裏腹に、彼女の心にはむなしさが隙間風のように心を寒くした。
「はい、いつもお招きいただきましてありがとうございます」
 丁寧にお辞儀をすると、玄関まで小走りで進んで行く。
 ポンと肩に司郎が手を置くと、会釈を返して奥のリビングに入っていく。
「いらっしゃい、ありすちゃん」
 妻の調月 愛実が座ったまま挨拶をした。
 入学当初から、何度となく招かれているので、良く知った仲だった。
 司郎は会社を経営していて、今は会長職に収まっている。
 学生時代に革新的な新薬開発を目指して調月製薬を起業し、独自の研究で医薬品を次々に世に送り出し、一代で軌道に乗せたのである。
 会社の研究所でも先端的な研究をしており、東京帝都大学と連携して事業を実施する部門もある。
 客員教授の仕事も長年の付き合いからしていて、製薬会社に顔が利く調月が就職口を世話してくれることも多いと聞く。
 だから、学生は皆機嫌を損ねないように気を使うし、当の本人は殿様のような扱いを受けて増長するのだと陰口を叩かれている。

 玄関ホールの奥にリビングがあって、数人で食事を取るには広すぎる間取りである。
 鏡張りの天井からは豪華なシャンデリアが下がっており、キラキラと電球色の暖かい光がまたたいている。
 壁の上の方には間接照明が柔らかい光を下ろし、白い壁に温もりを与えている。
 ウォールライトに、燭台しょくだいを模した真鍮しんちゅう製の皿と、植物のようにうねるデザインの、優雅な照明が小さな炎のような輝きを放つ。
 室内は割と明るく、生活しやすいように照明を多くしているのだという。
 赤を基調にしたシンプルな絨毯じゅうたんには清潔感があり、中央に長いテーブルを置いている。
 白いテーブルクロスと黒いランチョンマットのコントラストが、自然に食卓へと視線を向けさせた。
 背もたれが高くて現代的な印象の椅子に腰かけると、座り心地の良さについ長居ながいしてしまいそうになる。
 おもてなしを受けた礼儀と思い、部屋の調度品や、今日のランチョンマットと食器の組み合わせの素晴らしさを話題にする。
 英国王室のエリザベスⅡ世ご用達になったことで有名なポルトガルを代表するビスタ・アレグレの食器は、高級ホテルのイメージをそのまま家庭に持ち込んだかのように、ゴージャスだった。
 食器自体は幾何学的でシンプルな白くて軽い印象なのだが、ふんだんに使われる照明を金属が反射して映り込み、きらびやかなムードに落ち着きを与えて調和するのである。
 テーブルにも燭台を模したLED照明が煌々として、一輪挿しと共に華やかさを添える。
 上流階級の雰囲気と、教養をさりげなく見せる会話など、異世界に飛び込んだような気分になっていたものだが、5年もつき合うとすっかり板についていた。
 こうしている間にも、サンプルのデータに変化が起こっているかも知れない。
 研究棟に心を置いてきた翠埜にとっては、煌めく食卓も、運ばれる料理も、関心の対象にならなかった。
 卒業までに明確な成果を残したい。
 のんびりした場の空気とは裏腹に、焦りは募るばかりである。
 心のひだがザラつき、手足に力が入ってしまいそうになるのを深呼吸でしずめ、椅子を引いてくれたメイドに会釈をして席についた。

 白いトヨタカローラのステアリングを握る甘利 雫あまり しずくは、国道のかなり先の方へ視線をやって、舌打ちをした。
 助手席から進行方向をにらみつけていた羽山 颯はやま そうは顔をしかめる。
「見失ったか」
「そうね、まあ、いつものようにやってみるけど、この状況だと厳しいかな」
 服装はスーツだが、ウォーキングシューズをはいた足で、アクセルを踏み込む。
 流行りのつり目で、人間で言えば目ん玉つながりのデザインが世界中で受け、販売台数世界一のギネス記録まで打ち立てたカローラは、咆哮ほうこうを上げて片側2車線をうように前へ出て行く。
 シャープなラインと、全体のずんぐりしたスタイルを調和させ、スタイリッシュかつ柔らかいデザインで、エンジンの性能も高い。
 排気量がそれなりにあるので、軽く踏み込めば加速性能を遺憾いかんなく発揮する。
 エンジン音は静かなものだが、回転を上げると高音が響き始めた。
 ターゲットを見失った路地を確認したが、見える距離にいるはずもなかった。
「あまり飛ばすと、また警察の厄介になる。
 制限速度まで落として真っ直ぐ行こう」
 スピード違反で捕まれば、罰金と免停が待っている。
 仕事とはいえ、警察も大目に見てはくれないのだ。
 2人は浮気調査の佳境に入った探偵だった。
 ターゲットを辛抱強く追いかけてきたが、車で尾行するとなれば成功率は下がる。
 そもそも、探偵という仕事はドラマほどドラマチックではない。
 実際の尾行の成功率は驚くほど低いのだ。
 まず大前提として、行先付近を走って土地勘を養い、スーパーやコンビニ、ホテルなど立ち寄りそうなポイントをチェックしておく。
 張り込みに移行したときに、どこへ車を置くかも重要である。
 もしターゲットに見つかりでもしたら、二度と尾行はできなくなるからだ。
 下準備を入念にしていても、成功率が50パーセントになればかなりの腕前だと言える。
 もし犯罪捜査で、本気の尾行をするならば、そもそも後から追いかけない。
 凶悪犯ならば、攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
 その場合、スタッフを大量に動員して、立ち寄る可能性がある場所すべてに張り込んで待つのである。
 ターゲットは資産家だから、高級感のあるホテルで酒でも飲むかも知れない。
 バーに繰り出すと周囲の目があるので、自室にいながらバーの雰囲気を味わいたい。
 そんなイメージにぴったりのホテルがあった。
 「大人の隠れ家」のコピーを打って、客室が少な目で内装に高級感があり、サービスも良いと評判のヘクセ・シュルスである。

 ターゲットが上場企業の役員など、裕福な層である場合には、ある程度の行動パターンを想定している。
 不倫相手と落ち合う場所は、ヘクセ・シュルスのような高級感のあるホテルか相手のマンションである。
 ホテルで落ち合う場合は、時間をずらして入る場合もある。
 会社役員の不倫が発覚すると、社内または取引先など仕事に関係する人物を相手にした場合には解任理由になる可能性がある。
 社外で、仕事に直接関係ない相手だったとしても、イメージダウンは避けられないだろう。
 ビジネスにおいて、信用は非常に重要な要素である。
 悪いうわさが流れてしまえば、降格人事くらいはあるかも知れない。
 だから、細心の注意を払って行動するのである。
 助手席の羽山を30メートルほど手前の路地に下ろしてから、ヘクセ・シュルスの駐車場に入っていく。
 入口は金属製の自動ドアになっていて、近づくとゆっくり開いていく。
 中は薄暗くて、ゆったりとした広さである。
 人影がないかざっと視線を滑らせた。
 ドライブレコーダーで撮影しながら、ターゲットの車種と色、ナンバーを探すと、入口付近に止まっていた。
 窓をわずかに開けて人の気配がないことを確認し、身を隠しながら入口に近づいていく。
 監視カメラにもできるだけ映らない角度を探しながら、車の影を歩いていると、もう一台客が入ってくる。
 すれ違いざまに隠しカメラで車内の写真を撮り、そのままロビーへと入っていった。
 オフホワイトの大理石のような床は、天井の照明を写し艶やかに磨き上げられている。
 自動ドアを入ると目の前に部屋の一覧と、予約を確認する端末があるのみである。
 左奥に小窓があって、スタッフに声をかけるときはそちらへ行けばいいのだろう。
 背の高い観葉植物がいくつかあって、一目で全体を見ることはできない。
 甘利は端末には触れず、操作する振りだけをして右手のエレベーターホールへと足早に歩いて行く。
 その時、入口で物音がした。
 先ほどの客が入ってきたのだろう。
 物陰に入って先ほどの写真を確認した。
 運転席にいる男にふと、どこかで見覚えがある気がしたが、すぐには思い出せなかった。

 薄暗い廊下でスマホをいじっている、というていで目だけを入口へ向けて観察する。
 60近い男と、20代の女。
 どちらもインテリ特有の雰囲気を持っている。
 男の方は体形こそは崩れているが、髪は黒々として顔は血色が良い。
 女は小柄だがスラリとして、余分なぜい肉を削ぎ落したような身体と、力のこもった眼光が印象的である。
 このような、世間の目を忍んで逢瀬にやってきた、いかにもというカップルは意外と珍しい。
 一般的に同じくらいの中高年同士で、いかにも真面目そうで、社会的に成功した人間がお互いの心の隙間を埋めるように燃え上がる恋に心を焦がすのである。
 恋愛に年齢はさほど関係ないと言える。
 逆に女性が老人のケースもあるし、むしろその方が燃え上がるように感じられた。
 お互いにある程度の困難度があり、しかも顔を合わせやすい環境にあるとき、間違いが起こるのである。
 女が極端に若い歳の差カップルの場合、金が絡んでいると見て良い。
 社会経験の浅い若い女の目には、会社で昇りつめた男は成功者に見えるだろうし、ねだれば何でも叶えてくれるスーパーマンなのである。
 甘利は思わずため息をついた。
 恋愛に理想など描かないが、絵に描いたような道ならぬ恋を見てしまった気分である。
 今回のクライアントとは、数時間は接触できそうもないからこちらもついでに調べることにした。
 浮気調査は探偵にとって、一番稼げる仕事である。
 もしかすると次のターゲットになるかも知れない。
 考えごとをしているうちに2人が肩を並べて近づいてきた。
 男の方は満面の笑みである。
 女はさきほどから下を向いたまま一言も喋らずに従っているようだ。
 表情に暗い影があるように見えなくもない。
 探偵としての直観が彼女に訴えた。
 この2人の関係には裏があると ───

 スマホをハンドバッグにしまうと、甘利はエレベーターホールへ先に入った。
 タイミングを合わせて乗り場操作盤のボタンを押し、中へ入ると車いす用の副操作盤を確認した。
 幸い、ドア横の主操作盤のみのタイプである。
 つまり、開くボタンを押して待っていれば、後からカゴに入ってきた客は甘利の横から手を伸ばして押すしかない。
 ホテルで後ろめたい所があるはずの2人の心理としては、他人と顔を合わせたくないし、細心の注意で避けてきた。
 だが、その警戒を忘れさせる条件がそろっている。
 出発させずにエレベーターを開いて待っている人がいたらどうだろうか。
 待ってくれている人に、
「先に行ってください」
 と言うにしてもコミュニケーションが生じてしまう。
 それに善意で待っている人に対して無下にできない心理も働くだろう。
 案の定、小走りで入ってきた2人に対して堂々と、
「何階ですか?」
 と聞いた。
「5階です」
 男の方が少し弾んだ声で答えた。
 たまたま同じ階で少々驚いた、というジェスチャーをして見せながらボタンを押す。
 お互いに距離を取るために、2人は奥の反対側の角へ行く。
 5階に到着しドアが開くと、お先にどうぞ、と手で示して開くボタンを押したまま待った。
 軽く会釈えしゃくをしながら自然な動作で視線を合わせると、人相を頭に焼き付けた。
 こちらも顔を見られてしまうが、プロの探偵はターゲットに尾行だと気づかれない状況を熟知している。
 エレベーターでたまたま同乗した人を、いつまでも覚えている人は少ないだろう。
 そして、甘利は違和感のない立ち居振る舞いをいつも心がけている。
 2人がドアに取り付けられた部屋番号を確かめながら奥へと進んで行くのを横目で見ながら、自分も部屋を探している、という顔をしてフロアをゆっくり歩いて行く。
 一応、入っていった部屋番号を確認して写真と共に羽山と共有しておいた。
 ターゲットも、ホテルに入ったのだから数時間は出てこないだろう。
 一つ息を吐き出して、エレベーターへと戻って行った。

 カローラに乗り込み、羽山を下ろした路地へと引き返すと助手席に乗り込むなり彼が言った。
「ついでに調べたさっきの男、何者だと思う」
 得意げな顔で言うから、有名な人物だろう。
 少しの間思案顔になったが、
「分からないけど、ちょっと引っかかってね」
 と言って肩をすくめた。
 いずれにしろ、今日のクライアントが姿を現すまで数時間は動けない。
 自分のスマホを取り出して、写真を画像検索にかける。
「ああ、調月製薬の ───」
「そうさ、調月 司郎つかつき しろうだったのさ」
 思いがけず大物に行きついたのだ、と羽山は得意げに鼻を鳴らした。
 その態度の真意を計りかねて、甘利が続けた。
「直観的に、何かありそうだと思ったのだけど、イマイチ焦点がぼやけて見えてこないのよね」
 直観は、物事と無関係に閃いたりはしない。
 一見関係性が薄い物事が結びついて起こると認識している。
 だから、何かを示唆しているのは間違いないはずである。
 新薬開発に力を入れている調月製薬は、治療が困難だった病気に希望の光をもたらしてきた反面、批判も多い。
 炎上騒ぎの多さでも有名な製薬会社である。

10

 東京都の祠山ほこらやま警察署の朝は、オンラインミーティングによる所長の挨拶あいさつで始まる。
 東京都の祠山署の刑事部捜査三課の島で椅子の背もたれを倒してひっくり返っていた、大塚 数馬おおつか かずまは顔をしかめた。
「祠山署管内では、最近宗教団体の脅迫文書に関する相談が増えている。
 引き続き、パトロールを強化し、犯罪を未然に防いでもらいたい。
 幸いにも凶悪犯罪の件数は昨年の数字を下回っている。
 だが油断はするな。
 犯罪を憎む気持ちを忘れずに、プロの目線で住民の皆様の安全を確保して ───」
 自分の言葉に酔いしれ、勢いづいて大きくなる声に軽く舌打ちをする。
 身を起こしてため息をつくと、ミーティングチャットを開いた。
「なんだ、昨日も相談があったのか」
 独りごとをつぶやいたのだが、隣りのデスクにいた月輪 十完利つきのわ とかりがキャッチした。
「ネクロマンシ―・リプライズから脅迫文が来ちゃあ、震え上がっちゃいますね」
「黒魔術で呪い殺すぞってか。
 おお、怖いねえ ───」
 肩をすくめて、大塚は大袈裟おおげさにのけ反って見せた。
「正統派の魔術信仰を追及する宗教団体ですからね。
 マジで悪魔を召喚するかも知れませんよ」
「よせやい、俺はオカルト趣味じゃないっての」
 ターゲットを決めると、ネット上で公開してから脅迫文書を送りつけて怖がらせる。
 神の裁きが下るとか、悪魔の鉄槌が下ろされるとか、物騒な言葉は脅迫罪が適用されそうだが、全部挙げていたらきりがない。
 パトロールを強化してポスティングを未然に防ぐとか、ネット上でもロボットによるパトロールをするとか、そんな対応が常である。
「しかし、最近よく聞くよな。
 そのネクロ何とかって」
「ネクロマンシ―・リプライズですよ、先輩。
 あまり関心ないんでしょう」
「まあな、呪いで殺人罪にはならないしな。
 軽犯罪の部類だろう」
「軽犯罪と言えば、また挙げられたそうですよ」
 すぐに察した大塚は、また顔を顰めた。
「これこそ税金の無駄使いだぜ」

11

 取り調べ室は、ガランとしていてスチール机に向かい合わせの椅子が一組あるだけである。
 狭い部屋の奥に、甘利という女の探偵がきちんとえりを正して座っていた。
「スピード違反と駐車違反と、住居不法侵入、器物損壊、ゴミあさり。
 今回はどれかな」
 探偵は警察を通して営業許可を得ている。
 警察沙汰ほどではない案件を引き受けている部分もあるから、お互いに もちつもたれつ の関係が成り立っているのだ。
 そして探偵は常に軽犯罪を犯している。
 犯罪を警察が見過ごすことはできないから逮捕はするが、収監まではしない。
 暗黙の了解なのだが、一応警察は立場上話をして帰すのだ。
「すみません、駐車違反です」
 盛大にため息をついて眉根を寄せた大塚の顔が引きった。
「交通部の仕事じゃないか。
 何で刑事を呼ぶんだよ」
「実は、気になる情報がありまして」
 声のトーンを落とし顔を近づけて言った。
 ほう、と大塚も身を乗り出した。
調月つかつき製薬の調月 司郎をホテルで見かけました」
 背もたれに身を預け、天井を見上げてうなり、考え込む。
「宗教団体から、度々脅迫文書を送り付けられている、と聞いています」
「それと、どう結びつくんだ」
 不倫疑惑と脅迫文は、交わらない2本の線のように感じられる。
「一緒にいた女性が、とても若くてインテリ風、つまり客員教授を勤める東京帝都大学の学生だったらどうですか」
「探偵の勘ってやつか。
 俺も刑事の勘は重要だと思うが、現時点では裏付けが取れそうもないな」
 警察は、明確な証拠がなければ捜査をしない。
 何となくひっかかる、だけでは動くはずないことは、甘利も承知だった。
「新薬開発に関して、世間の人たちからうらみを買っているらしいですね。
 魔術信仰で有名な、ネクロマンシ―・リプライズも名指しで上げているとか」
「まあ、宗教団体ってやつは社会的な成功者をやり玉に挙げて、無暗に非難するところはある。
 だけどな、それは言論の自由と天秤てんびんにかけなくちゃならない」
 世の中の原則を持ちだして、正論で跳ね返しにきた。
 どうやら、大塚はこれ以上話に乗る気はないようだった。

12

 古城のインターホンを押した翠埜は、一緒に来た吉川 佳一よしかわ けいいち中沢 なかざわすずの の方へ振り向いた。
「中に入ったら、調度品や食器をめるといいわ。
 それがマナー、というか、そんな感じらしいの。
 そんなことで先生の機嫌が良くなるなら、簡単でしょう」
 声のトーンは低く、冷めているようだった。
「へえ、翠埜は慣れてるんだな。
 俺なんか、気取ったレストランなんてほとんど行ったことないし」
 吉川は肩をすくめた。
 研究室では一緒に研究するときもあるが、フランクな会話をする機会はほとんどない。
 今日の晩さん会に、不安を感じているのだと、ここまで来て初めて分かったくらいだ。
「私も、育ちが悪いからさ。
 テーブルマナーとか、修学旅行でちょっと教わったくらいだよ」
 花壇に視線をわせる中沢は、花でも眺めていた方が有意義だとでも言いたそうである。 
「はい、どちらさまでしょうか」
「翠埜です。
 今晩は同じ研究室の吉川と中沢も一緒です」
 いつも翠埜が訪ねてくると司郎が出迎えるのだが、若い女性の声だった。
「お手伝いさんがいるのかい、上流階級は違うねえ」
「最近雇ったメイドさんよ。
 水無瀬 葉菜みなせ はなさんって言うのだけど、雰囲気に陰があって、素敵な人」
 翠埜の口角がわずかに上がった。
 薄暗くなった古城のシルエットを背景に、彼女の表情が背筋に冷たい汗をかかせた。
 もし独りで呼ばれたら、ちょっぴり怖いな、と吉川はまた花壇に視線を落とした。
 先を急ごうとする翠埜をよそに、2人は手入れが行き届いた庭と、建物の外観をしばらく眺めていた。
 宵の明星と満月が古城の背景を青白く色づかせる。
 絵葉書にでもなりそうな光景に3人は息を飲んだ。
「きれいだな」
「そうね、でも何かが起こりそうな予感をさせるわ」
 黙って天を見上げた翠埜の口元には、薄い笑みが浮かんでいた。

13

  玄関に立つと、周囲の喧騒が消え、異世界へやってきたような気分になった。
 大理石調の彫刻の像が見下ろし、心の中を見透かされているような恐怖を吉川は感じた。
「なんか、人に見られてるみたいで怖くなるな」
 翠埜も同じ方向へ顔を上げると、厳かな目をした彫像が、胸を刺すような視線を投げかけている。
 一瞬ブルッと震えが足元を襲い、たまらず視線をドアに戻す。
「私、エジプトの神殿に言ったことがあるのだけど、丁度こんな感じで威圧されたわ」
 中沢は肩をすくめた。
 下からの照明を受けて、不気味に浮かび上がる効果も相まって、侵入者を値踏みするかのようにたたずむ彫刻達の下をくぐり抜け、ドアを開ける小洒落こじゃれたメイド服の若い女が待っていた。
「いらっしゃいませ」
 うやうやしくお辞儀をして、手で奥へと促した水無瀬 葉菜みなせ はなに中沢が声をかけた。
「素敵なファッションですね。
 これって、メイド服なんですか」
 少し口角を上げ、ニコリとして見せた水無瀬が、
「いかにもっていうメイド服は、私の歳だとちょっと恥ずかしくて。
 カスタマイズさせていただきました」
 と答えると、のけ反った。
「ご自分で作ったのですか。
 すごい、私、手先が不器用で洋裁はちょっと」
 スタイリッシュに細くタイトに作られた地にレースをあしらったところが、絶妙なバランスで柔らかい印象と機能美を兼ね備えていた。
 洗練された女性、といった雰囲気をかもし出しているが、少々雰囲気に陰が感じられる。
 中沢は、また少し身震いした。
「さあ、立ち話もなんですから、どうぞリビングへ。
 奥様がお待ちです」
 中央に縦に長く食卓が設えてあった。
 その中央に50歳前後の女性が座って、水無瀬にシャンパンを勧めるよう促した。
「ごめんなさい、主人はちょっと体調が悪いって言いだしてね。
 でも料理はちゃんと用意したから、召し上がってちょうだい」
 妻の優佳は、言い終わると待ちきれないとばかりにシャンパンに口をつけ、ナイフとロークを取った。
「レストランじゃないから、あまり堅くならないで良いのよ。
 おはしの方がいいかしら」
 と破顔して笑った。

14

 ふと視線を上げた吉川は、部屋の奥にかかっている一枚の肖像写真に気づいた。
「あの写真は ───」
 ゆっくりと顔を上げ、視線を向けた優佳が、ポツリと言った。
「一人娘の、愛実まなみよ。
 5年前に亡くなって。
 生きていれば、あなたたちと同い歳だったはずなの。
 うちの人が、ありすちゃんを可愛がるのは、娘の面影を探しているからかも知れないわ」
 ため息をつくと、食事の手を止めた。
 中沢も写真に視線を向け、ゆっくりとうなづいた。
 目元は父に、顔の輪郭は母に似ているようだった。
 話題になった翠埜は、話が聞こえなかったかのように次々と肉を切って口に放り込んだ。
「今日は良く食べるわね、ありすちゃん。
 好きなだけ食べてちょうだい」
 優佳はちょっと苦笑いのような、複雑な表情を見せた。
 そこへ、水無瀬が入ってきた。
「奥様、またこのようなものが ───」
 黒い封筒に、赤い文字が書かれている。
 一目見て顔を歪めた優佳は、席を立ちながら、
「少し、失礼するわ。
 気にせず食事を続けてちょうだい」
 と言葉を残して、出て行った。
「あれは」
「呪いの手紙らしいの。
 5年くらい前から、毎月のように送られてきてるらしくて」
 翠埜が吉川に答えた。
「じゃあ、噂は本当だったのね」
 大きく口元を歪めて中沢は顔を顰めた。
「魔術信仰で有名なネクロマンシ―・リプライズから呪いの怪文書が届いてるって、大学中で噂になってるよ。
 苛々いらいらしているときは、呪いがかかってるって茶化す奴もいてさ」
 納得した、と言うように吉川が頷く。
 水無瀬はそそくさとキッチンへと消えて行った。

15

 階段を上がってくる足音が、静かな廊下に響いた。
 司郎は胸をかるく押さえながら、ドアに近づいた。
 ノックと共にドアノブが回り、ガチャリと音がする。
 廊下から、疲れた顔をした妻が現れた。
「あなた、また来てるわよ」
 黒い手紙を人差し指と中指で挟んだまま、入口脇にあるサブテーブルへ滑らせた。
 そこには、何通か未開封の同じ封筒が重ねてあった。
「最近、頻度が増えてるわね。
 体調が悪いのは ───」
 言いかけたとき、司郎は怯えた表情に変わってベッドに駆け寄って布団を被ってしまった。
「ごめんなさい、今日は顔を出せそうにないわね」
 ドアノブに手をかけたとき、
「いや、ちょっと顔を出すよ。
 着替えてから行く」
 背中から絞り出すような声が返った。
 パタンとドアが閉まると、司郎はゆっくりとベッドから降りた。
 寝間着の上からルームジャケットを羽織り、壁伝いに手を突きながらドアへと向かう。
 少し歩いただけでも汗が吹き出し、椅子にかけてあったふっくらしたフェイスタオルを取ると、額を拭った。
 そして、ふう、と一息ついてまた歩きだす。
 ふらふらとした足取りで、一段ずつ踏みしめて階段を降りていき、広間へと入っていった。
「やあ、いらっしゃい。
 すまないね、こんな体調なもんでね」
 吉川は駆け寄り、肩を貸して手近な椅子へ座らせた。
 中沢も立ち上がり、近くの椅子へ腰を下ろした。
「どうしたのですか」
 少し見ない間に、別人のように生気がなくなっていた。
 目の下には濃い隈ができ、顔中にしわが増え、白髪も増えたようだった。
「私を殺したいほど憎む人間は、世の中にたくさんいるからな。
 製薬会社なんかやってると、逆恨みされるばかりで ───
 お前たちも、薬の研究など、よくやるものだと思うぞ」
 小さくなったように見える背中を丸め、還暦が近い男は疲れたようにつぶやいた。
「何を仰いますか。
 先生が開発した薬で助かった人々も沢山たくさんいるのですから、胸を張ってください」
 研究者として、吉川は心からの尊敬の念を込めて力強く言ったのだった。

16

 3人はすでに夕食を終え、中沢はテーブルに肘をついてあごを乗せ、隣の吉川と卒業後のことを話題にしていたところだった。
 翠埜はすでに、調月製薬の研究所でアルバイトとして働き始めていた。
 学部6年を終えて大学院へ進学し、あと2年で卒業できる。
 それまでに博士論文を完成させて、博士号を取るために必死に研究しているのである。
 実のところ、翠埜の出世コースに自分たちもあやかりたい、という気持ちを抱いて夕食の誘いを受けたのだった。
 だが当の司郎本人が体調不良を理由に伏せっていて、翠埜は誘うだけ誘っておいて愛想も使わず、淡々と食事を済ませてしまった。
 これでは何のために来たのか分からない、と思ってはいたが口には出せずにいたのである。
「あの、私の研究に何かアドバイスを頂けませんでしょうか」
 中沢が書きかけのレポートをハンドバッグから取り出した。
 小声で「おい」と吉川はいさめようとしたが、
「ああ、お詫びにそれくらいはさせてもらうよ。
 置いて行ってくれたらいい」
 精一杯の笑顔を見せようと、司郎は目を細めた。
 結局、吉川もカバンに忍ばせていたレポートを差し出し、
「よろしくお願いします」
 と頭を下げたのだった。
「無理をさせてすみませんでした」
 3人の学生は一斉に立ち上がり、場を辞した。
 玄関を出ると、色とりどりの美しい花壇がライトアップされ、彼らの目を奪う。
「きれいだね」
 口々に呟き、ゆっくりと歩きながら天を仰ぐ。
 東京の空はあまり星など見えないのだが、一等星がはっきりと輝き、古城を照らしていた。
 そしてジェット機が横切り、ハイブリッド車の少々かすれた音が耳に入ってきたとき我に返る。
「俺は、研究室に一旦帰るけど」
 吉川が言うと、
「私は、明日にするわ」
 ハンドバッグからハンカチを取り出して滲んだ汗を拭きながら中沢が言う。
 そして、翠埜も頷いて門をくぐっていった。
 後には静寂が残り、一見煌びやかな古城は堂々とした佇まいを取り戻す。
 振り返った吉川の目には、怯えの色が浮かんだ。
 司郎の衰弱は思った以上に酷かった。
 悪いうわさも多いが、新薬の研究一筋に生きてきた不器用な男の末路に、自分の人生を重ねていたのだった。

17

 2階の自室へやっとのことで戻った司郎は、庭の花壇を見下ろしていた。
 学生たちが何か話しているようだった。
 視線を路地へ移すと、人通りはない。
 静かな住宅街は、夕飯時なので家族でリビングに集まっているのだろうか。
 家族が夫婦だけになると、家の中が静かになった。
 時々学生を呼んで食事を共にするのも、寂しさを紛らわすためかも知れない。
 人の上に立つ者として、批判を受けるのは当たり前だと息まいていたが、体調を崩してからは他人の悪意が身にみるようになった。
 少々動悸がしてきて、左胸に手をやった。
 あと何回、この心臓は脈打つのだろう。
 意識すると余計に苦しくなる。
 窓に映った顔は、隈と皺が深く刻まれやつれていた。
「今夜も、眠れそうにないな」
 ポツリと呟き、振り返ったとき息が詰まるほどの衝撃を受けた。
 20歳くらいの女性がこちらを向いて立っていたのである。
「愛実 ───」
 自分と同じように、衰弱した顔をした娘には、表情がなく何かを訴えようとしているように動かない。
 その後ろには、20代半ばの女がもう一人いた。
 口元に大きなホクロがある女の肌は透き通るように白い。
 燐火りんかのように青白くゆらめく双眸で、強い意志を司郎に向けている。
 背筋を冷たい汗が伝い落ち、司郎は小さく悲鳴を上げた。
 一歩後ずさりをすると背を窓につけ、ズルズルと横に身体をずらしていく。
 冷めきった目で睨みつけ、今にも命を摘み取りに来るのではないかと、足元を震わせた。
「あなたは、心臓の難病を治す成分を開発したのに、なかなか世に出そうとしなかった ───
 その間に、沢山の患者が死に、そして、私の妹も ───
 助けられた命を、みすみす死なせ、自分はのうのうと、贅沢三昧ぜいたくざんまいに浪費して暮らしている。
 許されぬ、許されぬぞ、調月 司郎!」
 口元にホクロのある女は、カッと目を見開き、牙をむき出しにした。
 ベッドに倒れ込んだ司郎は、掛け布団に潜り込み、ガタガタと震えて身を縮める。
 冷たい手の感触が布団越しに一郎の皮膚をで、なまりのように重く背に乗り皮膚を掴みにかかる。
 目に涙を浮かべてうめいだ。
「助けてくれ、悪かった、助けて ───」

18

 古城と呼ばれる建物の外観は、主の趣味が色濃く出ている。
 そして、メイド募集の広告を見て応募してきた者がいた。
「メイドって、最近はカフェとかで、女の色香でサービスするみたいなイメージあるからな。
 応募したのは君だけなんだよ。
 でも勘違いしないでくれよ、お手伝いさんとか家政婦では、この館のイメージに合わないからメイドと呼ぶだけだ」
 水無瀬を雇ったとき、司郎はそんなことを言っていた。
 始めはヒラヒラした、いかにもメイド服という服装だったが、ロリコン趣味丸だしみたいで司郎の方から、
「制服を変えてみようか」
 と言いだしたのである。
 それでは、と水無瀬は自分で服を作り時々カスタマイズしてファッションを楽しむようになった。
 元々手芸が趣味で、身の回りの物は自作していたし、手先が器用だった。
 夕食が終わるとキッチンへ食器を下げ、皿洗いをして翌日の食材を確認すると、一息ついて自室へと引き上げて行った。
 玄関ロビーから、壁伝いに丸く登っていくサーキュラー階段を、ペタペタとスリッパの音を響かせて上がると、2階の中央の廊下に出る。
 左右に部屋があって、住み込みで働いている水無瀬の部屋は奥の左手である。
 部屋に入り、ドアを閉めるとえり元に手をかけた。
 脱着できるレースをすべて外すと、すらりとした黒衣に早変わりする。
 イメージはヴァンパイアである。
 水無瀬が住み込みで働きたい、と思ったのは調月 司郎に近づくためだった。
 部屋の中央に、小さなテーブルを置き、黒い布をかけてある。
 そして、本物の燭台を中央に立ててあった。
 マッチをり、火をつけると瞑目めいもくして何かを呟き始める。
 司郎は憎むべき敵である。
 そう、魔術の力で鉄槌を下さなくてはならないのだ。
 愚かにも、悪魔のしもべである彼女を招き入れ、贅沢の限りを尽くし、のうのうと私腹を肥やしている。
 口元のホクロを軽く撫でると、口角を上げた。
「私の妹は、お前の薬を使えずに亡くなった。
 お前が、心臓の難病を直す新薬を世に出さないから、間に合わなかったのだ。
 同じ苦しみを味わって死ぬと良い ───」
 怒気を帯びた目に映る、蝋燭の炎がゆらめいて、オイルびんかられ出た悪魔を呼ぶサタンビーゴーンの香りが鼻腔を突いた。

19

 素焼きにした人形の左胸の穴に、司郎の髪の毛と血液、爪を入れ込んである。
 髪の毛は書斎を掃除したときに集めた。
 血液は郵便物を開けるときに切り傷ができて付着したものだ。
 爪はゴミ箱をあされば手に入った。
 蝋燭の上に吊るし、人形をあぶると煙と共に香がほのかに広がる。
 毎日詠唱している魔術書の一節を、静かに唱え始めた。
「深淵の闇に潜む者よ。
 古の契約を結びし者よ。
 我は星の瞬きを数え、月の満ち欠けを知り、幾千幾万の時空を超えて、汝が眠る深淵へと、訪れよう。
 今こそ、我が呼び声に応え、現世に顕現せよ。
 星々の光を喰らいし者よ、混沌を司る者よ。
 汝の名は、深淵の王、奈落の支配者よ。
 あらゆる禁忌を破り、滅びをもたらす者よ。
 我が願いを聞き届けよ ───」
 彼女は立ち上がり、カッと目を剥きナイフを魔法陣に突き立てた。
「我が前にひざまづき、我が言葉に従え。
 我が標的 調月 司郎 に、永遠の呪いをかけ冥府へとせ。
 その身に災厄を、その心に絶望を、その魂に永遠の苦痛を。
 その歩む道に茨を、その見る夢に悪夢を、その手に取るものに呪いを。
 決して逃れることあたわず、決して抗うこと叶わず。
 汝の絶大なる魔力は、我が標的を永遠に縛り付ける鎖となる。
 深淵の王よ、我が願いを聞き届けよ ───
 我が標的を呪縛し、奈落へと引きずり込め。
 今ここに血をもって、汝との契約を結び、我が魂を代償に、我が標的を永遠に呪う。
 来たれ、深淵の王!」
 のけ反った彼女は、天を仰いて両手を広げる。
 天井に映る夜空に、一筋の光が放たれる。
 金星の軌道が浮かび上がり、辺りが輝きに包まれた。
 牛のツノを持ち、巨大な鼻と口、そして尖った耳。
 長い顎髭あごひげたくわえた、怠惰と好色を司るベルフェゴールの影が星を欠けさせた。
「裁きの日は近い。
 罪深きものを粛清しゅくせいせよ ───」

20

 白い作業台がいくつも並ぶ研究室は、人間が通る隙間などあまり考えずにサンプルを並べている。
 スチール棚には茶色い遮光の薬品瓶や、透明瓶、広口瓶にスポイトや管が挿してある。
 白衣の学生たちが白い手袋をはめてシャーレを覗く目つきは鬼気迫っている。
 研究室というところは、真理を探究する若者たちの透き通った心で満たされ、寝食も忘れて没頭する情熱に満たされていた。
 薬学部は、特に中退率が高くて厳しい指導が有名である。
 だが、最近は 調月 司郎 の怒声が聞こえない、と学生たちが安心したとか、製薬会社への就職はどうなるのだとか、何かと話題に上っていた。
「調月先生がご病気って本当かい」
 製薬会社志望の近藤が、吉川の表情をうかがった。
 自動販売機コーナーで缶コーヒーを開け、香ばしい深煎りをグイと喉に流し込むと、
「ああ、かなり悪いみたいだった。
 一応レポートは預けて来たけど、あの状態じゃあ ───」
 手をヒラヒラさせて言った。
「マジか、俺さ、調月先生目当てで研究所に残ったようなものなのにな」
 近藤は悲しいのか怒っているのか、分からないような複雑な顔つきでコーヒーをまた口に含む。
 そして吉川が身をかがめて声を落とした。
「でもさ、翠埜の奴、うまいことやったよな」
「やっぱり本当なのか」
「多分な。
 この前古城で食事をしたとき、翠埜だけあまり喋らなかったのさ。
 怪しいと思わないか。
 何度も招待されている、と言ってたのにさ」
「つまり、寝技で調月製薬に入り込んだと ───」
 吉川の口角が上がり、鼻で笑った。
「やっぱり、女の武器は強いよな。
 真面目に研究するのがバカバカしくなるよ」
 さもスッキリした、という顔で空き缶を勢い良くゴミ箱に突っ込むと、スタスタと研究室へ戻って行ったのだった。
「ねえ、男ってどうして下半身で物を考えるのかしらね。
 研究がパッとしないから八つ当たりしてるのよ」
 少し離れたベンチに腰かけていた中沢だった。
「うん」
 小さな声でうなづいた翠埜は、さっさと研究室へ戻って行ったのだった。

21

 日を追うごとに衰弱していく司郎は、気力を振り絞って一階へ降りると、玄関を出て外の花壇を眺めていた。チューリップの肉厚の葉が、うねる様に天を指し、花がリズミカルに鮮やかな色彩で庭を華やかにする。
 人間は、欲にまみれ罪を犯し汚れていくものだ。
 両手の平を開いてぼんやりと眺めた。
 この手で研究した薬で、沢山の人を救ったが、こぼれ落ちた物も沢山あった。
 恨みを買い、呪いの手紙を送りつけ、魔術の対象にされ、ネットでは葬式まで挙げられている。
 贅沢三昧の生活をして、若い学生たちと全力でぶつかり、一本筋が通った人生だったかも知れない。
 だが、心にはポッカリと穴が空いたまま、隙間風が吹いていた。
 その穴は欲望を満たしても、けっしてふさぐことができなかった。
 疲れが出て、石段に腰かけると天を仰いだ。
 その時、花壇の向こうに愛実の姿を認めた。
「お父さん、もう疲れたでしょう。
 こっちへ来れば、きっと楽しいよ。
 もう充分に働いたから、そろそろ休んでいいと思うよ」
 穏やかな顔で、こんな風に言っている気がした。
 両手を伸ばし、娘の方へ踏み出そうとしたとき、胸に鈍い痛みが走った。
「そろそろ、お迎えが来たのかも知れない」
 か細い声を絞り出し、震える手で胸を押さえる。
 地面に手を突き、うようにして家に入ると、口元にホクロのある女が、階段の上から見下ろしていた。
 一言も言わず、こちらをうかがっている。
 手すりに掴まって身を起こした司郎に手を差し伸べ、肩を組んで階段を上がっていく。
「悪いな」
 潰れたしわがれ声しか出なかった。
「仕事ですから」
 水無瀬はいつもこんな調子だった。
 几帳面で真面目に働いてくれるが、心を開くことはない。
 一緒に暮らしているのに、気心がまったく分からなかった。
 考えてみれば、大学でも、会社でも、仲間と情を通わせたことなどなかった。
 皆財産と名声に、しっぽを振って寄ってくるだけの間柄である。
 ため息をついた司郎は、ふと水無瀬の横顔を見た。
 暗い影が差した顔に、うすら寒いものを感じたのだった。

22

 東京都祠山署の刑事部捜査三課の大塚 数馬おおつか かずまは、働き盛りの45歳である。
 平の刑事というものは、地道な聞き込みとか、証拠探しとか、死体をどぶ板の下までさらって探す辛抱強さを要する仕事である。
 昼ドラで描かれるような、犯人に涙の説教を垂れるようなクライマックスは一生来ないだろう。
 いくらか憧れを持たないでもないが、犯罪者は憎むべき敵であって、自分と同じ目線で語る必要ないと教えられてきた。
 我々の仕事は、刑法とそれに準ずる法律を犯す者に、定められた罰を与えるのみである。
 そのためには地の果てまでも追い、必ず証拠を上げる使命感はあった。
 捜査三課長に命じられ、急遽きゅうきょ現場に急行することになった。
 隣りの席でひっくり返ってネットを見ていた月輪 十完利つきのわ とかりの肩をポンと叩き、
「出動だ」
 と短く告げた。
 覆面のハイブリッドカーの運転席に滑り込むと、ルームミラーとライト、フラッシャー、通信機、ハンドル、ペダルを一通り確認する。
 その間に月輪が詳しい情報を集めて助手席にドカリと腰を下ろした。
「サイレンは」
「ナシで行きます」
 素のままで行くのだが、パトカーではないから多少のことは大丈夫である。
 パトカーが一時停止を怠ったり、制限時速オーバーしたら大変だが。
 何度そんなことを考えたかと、大塚は怪訝けげんに思いつつ署を出ると最短ルートをナビに探させた。
 大体土地勘はあるが、昔城下町だった地区はたちが悪い。
 クランクや行き止まりが多くて、下調べしないと大きく時間をロスしかねないのだ。
「呪いで殺すって、おどされてた件ですよね」
 ウキウキした声で月輪が言う。
「魔術とか、俺は信じないが、思い込みで死ぬ人間は確かにいる」
 閑静な住宅街に入ると、遠くにとがった塔が見えた。
「あれか、いかにもって建物だな」
 近所では古城と呼ばれる、その現場はヨーロッパの城を思わせる外観だった。

23

 門の前で車を停め、大塚は周囲を見回した。
 特に人の気配はない。
 目くばせをして、2人は車を降りてインターホンを押す。
 警察手帳をかざして来意を伝えると、玄関までダッシュしてドアを開けるとなだれ込んだ。
 現場は2階、とのことでサーキュラー階段を駆け上がると左手中央のドアが空いていた。
「その、左手のドアが開いている部屋です。
 起きたら、主人の司郎が ───」
 妻の優佳は呆然として顔面は蒼白だった。
 度々脅迫文を送りつけられ、警察に被害届も出していた。
 再三の訴えと、魔術信仰の宗教団体ネクロマンシ―・リプライズの標的になっている事実は一本の線につながってはいる。
 だが超常現象で人を殺したと立証はできない。
 何度も考えてきた論理が、ただの言い訳ではないのか、と思わないでもない。
 逡巡しながらも足を止めることなく部屋に走り込む。
 果たして、ベッドの上で苦し気に目を剥いて虚空を睨みつけたまま絶命した遺体と対面した。
 髪の毛は半分ほど抜け落ち、まだらになった頭部と、年齢以上にしわを刻み、頬はこけ、腕はせ細っていた。
「哀れなものだ」
 2人の刑事は合掌し瞑目した。
「口腔内に異物はなく、部屋の中に違和感はない」
 入口の脇にあるサブテーブルに、郵便物があった。
 黒い封筒に赤い文字の脅迫文書が数通あり、未開封の物もあった。
 妻によれば昨日は食欲がない、と言って自室でずっと休んでいた。
 おかゆを用意したが手をつけなかったという。
 2か月ほど前から、時々体調不良で仕事を休むようになり、この2週間で衰弱が進んだそうだ。
 奥に住み込みのメイドがいて、夜は香を焚いて何かをおがんでいるようである。
 水無瀬という25歳のメイドは、ロングヘアに口元のホクロが印象的だった。
 彼女は炊事洗濯、掃除、庭の手入れを独りでやっている。
 朝、司郎の部屋をノックしても返事がないので合鍵で中へ入って救急へ連絡した。
「はい、私が見つけたときにはこの通りになっていて、往診していただいている先生が駆けつけて死亡診断をしました。
 死因は心不全だそうです」
 彼女はうつむいて淡々と答えた。

24

 第一発見者の水無月は、陰のある雰囲気をまとっている。
 このヨーロッパの古城を思わせる外観と、貴族的な雰囲気の内装に溶け込むキャラクターだと言えた。
 魔術信仰をしていたとしても不思議ではない。
 任意で部屋を調べさせてもらうと、燭台や魔法陣が描かれた調度品、香炉もあった。
 中央のテーブルは儀式の祭壇のようでもあるが、普通に中世ヨーロッパの小物や家具を集めた、女性の部屋とも言えた。
 魔術を深く信仰し、悪魔を本当に召喚できるとかたくなに信じているとしたら、危険な部分もあるだろう。
 そもそもこの家にはヨーロッパの甲冑も置いてある。
 人殺しに使う道具を家に置いていたら犯罪になるだろうか。
 答えはNoである。
 何かありそうな気がしなくもないが、決定的なつながりを見いだせなかった。
「では、我々は失礼いたします」
 仕方なく、といった気分で玄関を出ようとしたとき、
「あの、この家には出るらしいんです。
 私には見えないのですが、主人は何度も見ていたそうです」
 ポカンと口を開けたまま、大塚は足を止めて振り向いた。
「出る ───」
 ニヤリと笑い、月輪が言った。
「先輩は霊感がないんですよ。
 その点私は、少々仏様に接点がありましてね。
 心霊体験もあるし、心霊スポット巡りが趣味だったりします」
「なあ、月輪、明日は非番だったよな」
「ええ、よろしければ私が一晩お邪魔してもよろしいですか」
 何が起こるか、ワクワクして仕方がない、と目を輝かせて言うのだった。
 少し引っかかるところもあったが大塚は後輩を置いて署に戻って報告書を作ることにした。
「お休みのところ、すみません」
 妻は、深々と頭を下げると自室へ籠ってしまった。
 通夜は行わず、葬儀の手配をするために水無瀬が電話をかけているようだった。
 リビングの奥にある娘の肖像写真に向き合った、月輪は物寂しい気分に、一つため息をついたのだった。

25

 非番の間も古城で2日に渡って警備をした月輪は、疲れるどころか目を爛々らんらんと輝かせていた。
「先輩、おかしいと思いませんか」
 開口一番、大塚に何か同意を求めてきた。
「何の話だ」
 こちらはムスッとして、つまらない所長の朝礼の挨拶に、愚痴の一言でも言いたそうである。
「娘の愛実ですよ。
 もしコロシだとしたら ───」
 大塚は顔を顰めた。
「あのな、大事なことを忘れてるぞ。
 コロシだったら俺たちの仕事じゃない。
 捜査一課の仕事だ。
 俺たちは主に窃盗犯を扱う三課だぞ」
「そうそう、そこも謎だったんですよ」
 大塚はガックリと肩を落とした。
「たまたま身体が空いてただけだ。
 脅迫状などの分類されてない仕事が宙に浮いてただけだ」
 唾を飛ばして鬱憤うっぷんを腫らすように吐き捨てる。
「いや、そんな気はしてましたけど、先輩、何も説明せずに連れて行ったじゃないですか。
 てっきり空き巣でも入ったのかと」
 朝から不毛な口喧嘩をしても、何も生まれない。
 バカバカしくなって肩をすくめた大塚は、
「そうだったな。
 で、娘がどうしたって」
 と水を向けた。
「もしコロシだったら、娘を呪う理由があるのかと」
 2人とも腕組みをして唸った。
「そうか、なぜ今まで気づかなかったのだろう」
「えっ、何か気づいたんですか」
「こういう仕事が打って付けな奴らがいるじゃないか」
 大塚はポケットからスマホを取り出すと廊下へ出て行った。

26

 甘利 雫あまり しずくは、着替えを詰めたスーツケースを引っ張りながら、高級住宅街を足早に進む。
 後から羽山 颯はやま そうも大きめのスーツケースを持って続いた。
「しかし、不思議な依頼だな」
 怪訝な顔をしてはいるが、久しぶりの事件の予感に胸は高鳴る。
「不思議なんじゃなくて、超常現象でしょ」
 人を呪い殺そうとするなど、現代にもありえるのか、と言わざるを得ない。
 だが、古城の佇まいを目の前にすると、タイムスリップしたような気分にさせられた。
 花壇と木立はきちんと整えられて、鮮やかな色とりどりの花と葉の緑で海原のように広がっている。
 新薬開発によって一代で築いた財産で、これほどの豪邸を建てた男は、人生の成功者である。
 都会では自治会が急速に減っている。
 近所付き合いが希薄になり、孤立した一軒家と見ることもできた。
 甘利はインターホンを押した。
「お世話になります。
 甘利と羽山です」
「奥様から仰せつかっております。
 どうぞ」
 若い女性の声で返事があった。
 近くで見ると、さらに大きくそびえて見える古城は、日光をたっぷりと浴びて、輝いている。
 人間が人を呪い、怯え、衰弱死したなどとは想像できないほど華やかな外観だった。
 強い光が当たるところには、濃い影が落ちる。
 羽山は不思議な依頼に応える落としどころを、何度か頭の中でシミュレーションしていた。
 呪いをかけようとしている人間がいるのは分かりきっている。
 司郎と娘の愛実の身辺に、精神的苦痛を直接与える要素があれば、衰弱死したと言えるだろうか。
 他殺の可能性はあるだろうか。
 もしくは自殺の可能性は。
 医師が死亡診断をしているのだから、可能性は低いがゼロではない。
 ゴールは見えないが、調べられるだけ調べて調査報告書を作るしかなかった。

27

 玄関ポーチを上がると、大きな木製の扉を開けて、メイドが待っていた。
 しかし、現代にリアルなメイドがいるとは、と驚きを隠せなかった。
「カッコイイ服ですね。
 これって、支給されたのですか」
 甘利はすぐに反応した。
「始めは支給されたのですが ───」
 少し言い淀んでから、
「自分で作った服に変えたんです。
 私、手芸が趣味で、洋服づくりもしているものですから」
「とってもお似合いですよ。
 普通、メイドはカフェとかにいて、ロリコンなイメージがありますけど、この服は少しもそんな感じしなくて、仕事着っぽいというか」
「うん、女性らしさと機能性を兼ね備えているね」
 甘利の言葉を羽山が継いだ。
 上がり口がないので、一般の住宅と言うよりもホテルのロビーのようである。
 早速、現場を見せてもらうことにした。
 亡くなった司郎の部屋には、すでに遺体はなかった。
「ここに倒れていたのです。
 遺体を運び出した後、そのままにしてあります」
 メイドが指差した。
 吐瀉物もあったはずだが、時間が経ったせいで痕跡は見当たらなかった。
 入り口の脇に黒い封筒が置いてあった。
 一通手に取ると、
「魔術信仰で有名なネクロマンシ―・リプライズから、度々送り付けられました。
 悪魔を召喚するとか、わざわいをもたらすなどと書かれています」
 封が開いていたので、手紙を読むと、悪魔を召喚するときの呪文らしい文章と、呪いの言葉が書いてあった。
「旦那様は、この封筒を見ただけでおびえた顔をしていました」
 ベッドは乱れていなかった。
 2人は床や壁、家具をくまなく調べ始めた。
「私は水無瀬と言います。
 もしご用がありましたら、キッチンにおりますので内線でお呼びください」
 と言い残して、荷物を部屋に運び入れると一階へ降りて行った。


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越庭 風姿 【 人は悩む。人は得る。創作で。】
「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。