【小説】戦国のジクウⅣ
朱い天空
朱い空の下に、天を突く大きな山がそびえていた。
魔界には、名のない山、川、平原が広がっている。
一説には、現世よりも広いと言われ、時空を超えて出入りする者もいるという。
謎に包まれた世界は、数人の支配者によってある程度の秩序を保っていた。
血と暴力、慟哭、絶望。
時折嵐のように訪れる淀みが、静寂を破り辺りを照らす。
山の頂上に白く丈の長い衣をまとった男が佇んでいる。
「土竜、始めろ……」
山の中腹に顔を覗かせていた、鼻の長い男が頷いた。
「御意!
出でよ!
紅蓮の雷!」
空の彼方から稲光がほとばしる!
網の目のように白い衣の男を包み込み、轟音が響いた!
「ぬううう」
まともに雷を受けた男は、身体のあちこちから黒い煙を上げ、服はビリビリに破けていた。
「泰巌様!」
思わず土竜は叫んだ。
無防備に攻撃を受けた泰巌は、棒立ちになったまま微動だにしない。
目を閉じ、口元は薄く嗤う。
「なかなか、良い衝撃だったぞ」
朱い眼を薄く開き、土竜を一瞥する。
土竜はホッと息をついた。
「泰巌様。
そろそろ国取りを始められてもよろしいのでは」
機嫌が良さそうなので、聞いてみたつもりだった。
だが、泰巌の眦が上がり、牙がむき出しになる。
「貴様。
この俺に意見するつもりか」
語気に背筋を凍らせる強さがあった。
威圧感が増し、呼吸が苦しくなる。
「た、泰巌様。
私が諸国の様子を見てきましょう」
あわてて土竜は平伏した。
「勝手にするがいい」
先代の教え
ジクウたちが住む麟醍寺には、妖魔が度々襲撃に来た。
強大な法力を持つニッコウが守る寺であることが、魔界でも知られるようになったためだ。
最近は若い3人の祓魔師に寺を預けて留守にすることが多くなってきた。
「今日も何人か来たけど、源次さんがいてくれて、助かりました」
最強の法具である天叢雲剣を使いこなしつつある源次は、一目置かれる存在になった。
真言も授けられ、自力で妖魔と戦えるようになったため、周囲の村を警備する「夜回り」を一人で任されるようになっていた。
着物の袖をまくり、木刀を振る源次とアシュラ。
剣術の稽古と足腰の鍛錬を朝晩行い、マントラを練る瞑想、読経を毎朝続けるうちに、少年少女たちは祓魔師としての資質を身につけていく。
妖魔は夜、活発になるため睡眠は昼間とっている。
交代で夜に仮眠を取る日もあった。
「今日の月は赤い ───」
源次が夜空を仰ぐ。
「ジクウなら、大丈夫ですよ」
若い3人の中では突出した法力を持つジクウは、妖魔に恐れられ恨まれるようになっていた。
「いや。
魔界で戦った鬼たちは、想像を越える力を持っていた。
闇雲に身体を鍛え、剣技を磨いても不安が大きくなるばかりでな」
そこへ、ニッコウが帰ってきた。
「お帰りなさいませ。
夕餉にいたしましょう」
アシュラが寺に戻ろうとした。
「少し話がある。
本堂へ行こう」
寺の入り口には立派な門がある。
灰色に煤けた柱と梁、そして壁は長い年月経って神秘的な雰囲気を醸し出す。
本堂の立派な瓦屋根が、月明かりに照らされて青白く煌めいている。
夜の空気がひんやりと頬を撫でる。
脇に回廊と小さな入り口がついた本堂の中は生暖かかった。
アシュラは蝋燭に火を灯した。
3人はかすかな光に神秘的に照らし出される、大日如来像の前で向かい合った。
「先代ジクウ様、つまり大僧正時空大師様と話した。
『決戦は近い』と仰っていた。
魔界にも動きがあったようだ」
単刀直入に言った。
ニッコウは若い祓魔師に、重要な情報をすべて話す。
これからの時代を作るのは若い世代である。
そして、いつ自分が鬼籍に入るかもしれないのだ。
気遣いなどしている暇はない。
「このニッコウの法力でも、手に負えぬほどの妖魔も現れるようになった。
魔界の事情は、大師の方がお詳しい。
今夜はここにいるから、
ジクウと共に、会って来るといい」
大僧正は、最高位の僧である。
若い祓魔師が会いに行くなど異例である。
源次は拳を硬く握り締めた。
「先代ジクウ様と、若いジクウにつながりがあるのですか」
素朴な疑問を投げかけた。
「それも明らかになるだろう」
二人のジクウ
ジクウは、夜回りをしながら物思いに耽っていた。
夜の帳が降りると、家々の灯が往来を照らす。
道を這うように、木々の影が伸びて物の怪のように揺らめき動く。
「小僧……」
おぼろげに現れた、人魂のような光が語りかけた。
「爺さんか」
徐々に形を帯びて、顔が現れた。
「お前の法力値は12,500だったな。
もはや現世の妖魔に後れを取ることはあるまい」
ジクウは頭を掻いて照れくさそうに笑った。
「ニッコウ様は、推定法力値55,000になったから、差が開くばかりだよ」
剃髪の老爺は背筋をピンと伸ばし、目は爛々とギラついている。
ボロボロの袈裟には、無数のささくれと血痕が染みついていた。
「小僧。
ニッコウの元にお主を預けて、正解だったのう。
10代にしてここまで成長するとはな」
ジクウは後ろの闇に目をやった。
家々の屋根からこちらを窺う影が増えていた。
「やっぱり、爺さんは凄いな。
僕よりずっと、人気者だ」
空には星が出ている。
影絵のように木々が揺らめき、神秘的な風景が少々センチメンタルにしていた。
そんな気分を台なしにする、悪鬼羅刹の類が自分たちをつけ狙ってきた。
「なぜ、妖魔は僕たちを狙うのだろう。
できるならば、穏やかな家で暖かい布団に入って眠り、普通の人間になりたかった」
夜回りをしながら、無数の妖魔を闇に葬ってきた。
両手を開き目を落す。
戦いに明け暮れる割には、きれいな白い手である。
だが、血で汚れ殺戮に染まった手には血がにじむように写った。
もう一度空を仰ぐ。
「小僧。
人間には、天命というものがある。
ワシらは、妖魔を退け平和を取り戻すという ───」
言いかけたとき、2人めがけて数十体の妖魔が一斉に踊りかかる!
ジクウが印を結ぶが早いか、妖魔たちは光に包まれ消滅していった。
「今の、爺さんが……」
ジクウは目を見張った。
マントラも、動く気配さえもなく妖魔を消し去ってしまった。
「少々頭にきてのう……。
人がいい話をしようとしたときに邪魔するところは、妖魔らしいがのう。
今夜はもう出てくるまい。
小僧。
一緒に来るがいい」
大師が見たことのない印を結ぶと、ジクウの身体が足元から徐々に消えていった。
鳩尾の辺りに圧迫感を感じ、身体が捻じれる。
大きな板間の部屋に現れた身体は、ふわりと床に舞い降りた。
見覚えのある広間。
そう、祓魔師として生きる道を選んだ日、この広間でマントラを授けられた。
天井が高いのでまるで空まで通じているように、闇が深い。
目の前には、燦然と輝く黄金の大日如来像。
ここは、金剛高野山の本堂だった。
「ジクウ」
アシュラと源次もやってきた。
妖魔の謎
3人は大日如来像へ向かい、正座した。
小高い丘の上にある、祓魔師の総本山の本堂はガランとして静かだった。
ジクウの心には、わだかまりが渦巻いていた。
考えがまとまらないまま宙を見つめていた。
「どうかしたの」
アシュラが声をかけた。
広い本堂に、透き通った音が響き渡る。
「大師に、会いに来たのかい」
視線を動かさないまま、質問には答えずに返した。
「ニッコウ様に薦められてね。
魔界のことを聞いて来るといいって」
ジクウはハッとした。
何か動きがあったのだろうか。
正面に大師が現れ、大日如来像を背に正座する。
「若い祓魔師が、3人揃ったのう。
少し、話をしよう」
近くへ来るよう促した。
大師が法力で辺りを明るく照らした。
麟醍寺よりも遥かに大きく、輝く本尊の前に座ると自分たちが宇宙と対峙したような心持ちになる。
寺は神と向き合い、自分と向き合うためにある。
神を呼ぶ祓魔師は皆、最高神である大日如来の加護を受けている。
いや、森羅万象すべてに通じるからこそ、長年にわたり尊ばれてきたのだ。
ならば、妖魔とは何か。
魔界で妖魔と戦おうとしている、祓魔師とは何か。
本堂に鎮座する像がすべてを知っているのだろうか。
ジクウはそんなことを考えていた。
「飛垣 源次。
ワシは金剛高野山を預かる大僧正、ジクウだ。
このジクウは孫にあたる」
源次はジクウの横顔を、あらためて見た。
戦国の世で、実の祖父と孫を見ること自体珍しかった。
ある者は戦で田畑と家を失い、またある者は肉親を殺され、家族そろって生きている家は少ない。
家があればまだ良い方で、野山を彷徨い石を枕にする者も少なくない。
野盗に襲われ、食べ物もなく餓死する者。
奪われ、殺され、果ては妖魔まで現れる。
動けなくなった老人は生きていけない過酷な世界である。
地獄とは現世のあり様だった。
「誰もが安心して暮らせる世は来るのか……」
源次は呟いていた。
「孫のジクウを、祓魔師に推挙したのはワシだった。
実の孫だからではない。
あるマントラを会得する可能性を感じたからだ」
目を閉じ、大師は床に手を突いて背を向けた。
本尊を見上げ、しばらく黙り込んだ。
究極のマントラ
静寂が心を落ち着かせ、ジクウの脳裏をかすめた不安を和らげていく。
大師が立ちあがり、向き直った。
「さてと」
目にも止まらぬ速さで印を結ぶ。
「オーム……」
魔界の平原が視界に現れた。
空は朱に染まり大地は荒れ、ところどころひび割れていた。
「魔界のことを知るには、行ってみるのが一番だ。
そして、法力値を上げる手っ取り早い方法も、魔界に行くことだ。
話をしながら進もう」
大師は気軽に散歩でもするように歩いて行く。
どれほどの実力を持つのか測りかねるが、漲る活力を立ち居振る舞いから感じさせる。
まったく臆することなく、敵地で歩を進める者をどう捉えるだろうか。
命知らずか、それとも神か。
不思議と源次も向かうところ敵はない、といった気分になって付いて行くのだった。
「それぞれ、法力値を確認しよう。
ジクウは12,500になった」
「アシュラは2,400です」
アシュラも何度か魔界で戦い、大きく成長していた。
炎を統べる火天の化身として、妖魔に恐れられる祓魔師の一人である。
「拙者、飛垣 源次、800になりました」
源次は常人の何倍も修行して、驚異的な速さで法力を獲得していった。
元々剣の才能が豊かで、黙々と稽古する性格から、何でもすぐに吸収して自分のものにできる。
「肝心なことから話す……」
ただならぬ空気を察して、皆辺りを窺う。
近くに妖魔はいないようだった。
「すべてのマントラを含むとされる、ガヤトリ・マントラ。
最も古いとされ、最高峰とされておる」
「ガヤトリ・マントラ ───」
聞いたことがない名前だった。
最高神は大日如来であり、金剛界と胎蔵界をそれぞれ統べると教えられていた。
「大日如来よりも位が高い神がいらしたのですか」
アシュラが問う。
「そうとも言えるが、少し違う。
体系が違う神なのだ。
太陽神サヴィトリを称えるマントラにあたる」
「太陽神と言えば、摩利支天だと思っていましたが ───」
源次は摩利支天の真言を与えられた。
剣の神でもあり、圧倒的な力で妖魔を退けるとされていた。
大師はニヤリと笑みを浮かべる。
「マントラの謎解きをする。
余人にはあまりせぬことだが」
歩きながら、地平線の辺りを油断なく見まわす。
大師の力なのかわからないが、まったく妖魔の気配がない。
「知っての通り『オーム』は、宇宙の始まりの音だ。
そして、マントラを唱える ───
ブール ブワッ スヴァハ
タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム
バルゴー デーヴァッスヤ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート」
口々に繰り返す。
限られた者に許される、究極のマントラ。
長いが、言葉は単純なように感じられる。
「現実の世界である物質界は、妖魔が棲む魔界を含む。
そして、心の世界。
妖魔は人間の負の感情が淀み、かたちを帯びた者たち。
ある意味、人間と違い精神が作った存在だと言える ───」
マントラの背景にある哲学の深みを感じずにはいられない。
魔界とは、妖魔とは人間の心が作りだした世界なのだろうか。
想像力は無限である。
心が無限に変化するように、この魔界も変わり続けるのだろうか。
「すべては因果に満ちている。
理想、願望などの『意志』が未来を作るが ───」
ジクウは大師に目をやり、呟いた。
「因果を超えた絶対真理 ───」
「そうだ。
究極のマントラの正体だ。
物事の起こりにも、行く末にもこだわりを捨て、直観するのだ
究極の精神をもって ───」
炎の妖魔
彼方に、尖った塔が集まったような建物が見えてきた。
魔界の荒野は果てしなく広く、起伏が少ない。
源次が見たことのある地点とはかなり離れているようだった。
突然、炎の塊が目の前に落ちた!
「うっ」
源次は驚きの声を上げ、剣の柄に手をかけた。
だが、大師は落ち着いていた。
「ジクウ……
焔獄様がお会いになるそうだ」
炎の中から、鬼が現れた。
蓬髪で赤い肌。
体躯は大師より一回り大きく、牙が口から覗く。
大師を知っているようだった。
ついてきた3人には気を留めず、また炎に包まれていく。
「出迎え、ご苦労だった。
オーム……」
一瞬辺りが光に包まれた。
気が付くと、扉の前に立っていた。
「参ろうか」
大師が扉を開けると、金剛高野山の本堂ほどもあろうかという広間だった。
奥に大きな椅子があり、段差で高くなっていた。
床には石が敷き詰められ、ひび割れたり穴が空いたりしていた。
中ほどで止まると、腰掛けていた男がこちらを睨んだ。
大きなため息をつくと、大師に言った。
「弱ええな……
こいつが、てめえの後継者か。
鍛え方が足りねえよ」
また一つため息をつく。
「まあ、そう言うな。
ワシも若い頃はこんなもんだったよ。
ちょっとばかり、話を聞かせてやりたい。
魔界のことなら、お主に聞くのが一番だからな」
立ちあがった焔獄は、壁に向かってゆっくり歩き始めた。
「この若い人間はゴミだ。
使い物にならねえよ」
「だがな。
ワシも歳だ。
後継者として選んだ若者たちを、導いてやってはくれまいか」
妖魔である焔獄は、禍々しい雰囲気を持っているが、強い敵意は示さなかった。
顔には無数の皺が見え、かなり高齢のようだ。
「歳は俺もとった。
だが後継者などという話は出てこない。
妖魔は徒党を組みたがらないものだ」
大師は肩をすくめた。
「ならばワシが話をするから、おかしなところがあったら教えてくれ」
また焔獄がため息をついた。
「この焔獄とワシはのう。
旧知の仲で、魔界でも気を許せる仲間だ。
まあ、若い頃はケンカ仲間だったのう」
「魔界は均衡が保たれて、しばらくケンカもしていない。
近頃は事情が違ってきたがな」
魔界の均衡
「魔界には5つの国がある。
一つは焔獄が支配する火の国だ」
やはり、焔獄は只者ではなかったのだ。
話をすれば理解してくれる、そんな王が魔界にいるのだ。
「他の国の話は後でするとして、魔界にも異常事態が起こっている。
『泰巌』という妖魔が、不穏な動きをしているようだ」
焔獄の目つきが鋭くなった。
振り向いて大師を睨みつけた。
「人間界が乱れれば、強い妖魔が現れる。
お前らの責任だ。
だから、強い人間を送り込めと言っているのだが、こんなゴミに何ができるか……」
「泰巌はいつ動き出すかわからん。
魔界が乱れれば、人間界も乱れる。
逆も然り。
焔獄は器量が大きい王だ。
人間に怨みを抱かず、協力しようとしているのだ」
ギラついた目で若い祓魔師を睨みつけ、捨て台詞を吐いた。
「勘違いするな。
俺は弱い人間を見ると虫唾が走る。
そろそろ出ていけ。
用は済んだろう」
大師はニッコリと笑い、踵を返した。
「すまんのう、焔獄。
お前の目にかなう祓魔師を育ててから出直すとしよう」
了
この物語はフィクションです