努力で才能をカバーしたのか
成功者が努力を語るとカッコ良い。
「努力を見せるようではプロじゃない」と言っても、逆説的に努力を語っている。
成功できないと、努力を語れない。
負け惜しみになって、ダサくなるからだ。
才能ある人が身近にいると、どうしても比べてしまう。
自分の方が劣っていて、努力を沢山したという文脈を描くとドラマチックなので、ついそう思ってしまう。
自分もクリエイティブの世界で生きてきたので、自分が努力マンだと信じていた。
だが、年齢を重ねて独走態勢になると、才能も努力も超えた自己実現に近づいた。
自分に才能があってもなくても、この世界で生きてきたのだから良いじゃないか。
努力は人並み以上にしたが、それがどうした。
考えてみると、若い頃はドラマチックな人生を望んでいた。
今ではドラマを望まなくなった。
崇高な仕事が目的化した。
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