15歳、あなたの素晴らしさを人のせいにしないでほしい。
今年もまた受験生の担任をしている。初めて自分の意志で進む道を決める子どもの傍にいてほしい大人の姿は、不安でたまらなかった15歳の時に僕が出逢いたかった大人の姿にある。
今15歳は長い長い受験期に直面している。大人の僕らからすれば人生の数ある選択のひとつに見えるものも、15歳にとっては初めてかつ落ちてしまうかもしれない少し先の未来への不安が相まった人生を左右するような大きな決断なのだ。「大したことないわ、大きな決断に見えるだけよ」と言う勿れ。これから先、何度もある選択を繰り返した後に別に大したことなかったなと自ら気づくまで、僕ら大人が安易に人の選択の大きさを決めるでない。
「15歳みたいな柔らかい年頃、きっとわたしのうかつな一言で人生が変えられてしまう」
今年出逢った言葉にふと思う。今、僕や近くの大人の言葉がちゃんと届いてしまいやすい15歳という時期だからこそ、自分の言葉で人ひとりの人生を変えてしまう程の強い言葉を選ばないようにしようと考えた。
僕らの経験の中から選ぶ正しさを安易に押し付けてしまわぬように、在り方の是非を決めつけてしまわぬように、季節柄響きやすい一言で人生を変えてしまわぬように、丁寧に丁寧に言葉をこさえてきた。
誰かの人生を変えたくて始めたこの仕事なのに、気づくとその立場の大きさから人の人生を変えてしまうかもしれない影響力の大きさに恐くなった。「先生のおかげで人生が変わりました」言う勿れ。勘違いだから。ちょっと先で「先生のせいでこうなっちゃったじゃないですか」なんてクレームつけられても困るから。マジで迷惑だから。それはあなたが選んだ道が素敵なものだっただけだから。あなたの素晴らしさを人のせいにしないでほしい。
今僕の目の前にいる15歳には今年初めて出逢った。出逢って半年と少しの僕に言葉を求めるぐらいには彼らは揺れている。あるかもわからない正解を探して、とりあえずの正解がありそうな方向に進んでいる。今すぐ答えがほしい時期に、それらしい答えのようなものを与えることはできるけれど、それでは僕の人生をなぞることになる。大谷翔平ならまだしも、やまだでいいわけがない。
だから僕の彼らにとってちょうどいい立ち方は、一方向からしか見れない事象にこんな解釈の仕方があるよ、とプレゼントできる大人の立ち方だと心得ている。出しゃばらない、価値観を揺さぶろうなんて烏滸がましい。誰かの生き方にちょっと触れるぐらいの生き方がしたい。
解釈のプレゼントは年を重ね世界の見え方がよくなった、目のいい大人の計らいだと思っている。先日保護者と子ども達に向けて話をした解釈の話をここに残しておきたい。
僕の言葉は16歳になると届かない。そういう時期だから届いてしまっただけで、YOASOBIの歌ほど背中を押す力はないし、誰もが信じ崇めてるような言葉でもない。
ただ、今15歳の頭の中にスペースを貰った解釈が、色んなものに取って代わられて16歳になっても少しだけしがみついて、18歳になっても22歳になっても思い出せば思い出そうと思える解釈なのであれば、それはきっといい言葉だったよなと思う。
15歳、それはあなたが選んだ道が素敵なものだっただけだから。
あなたの素晴らしさを人のせいにしないでほしい。