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果たして僕は人生を変えたいのか?

睡眠の質が落ちた。

寝る前のブルーライトをカットするには世の中にはあまりにおもしろいコンテンツがあり過ぎる。

加湿器を買った。アロマのやつを。睡眠の質が上がると聞いたから。

どうしてもやめられない寝る前のYouTubeをアロマで相殺することにした。こうして睡眠の質が良くも悪くもない状態を作り出し、良くも悪くもない目覚めと共に12月の朝を迎える。

新しい朝が来た、希望の朝だなんて歌えた時代はYouTubeがなかったからで、もしあったならそんな簡単に希望だなんだって歌えなかっただろ、もう少し現代人の目覚めに寄り添ってみたらどうかと、やはり悪い寄りの目覚めのまま書き殴る朝は、昨日長尺の動画を見てしまったことに由来する。

ポケモンの青版を38分でクリアするというゲーム実況動画だった。思えばこれが初めて見るゲーム実況だった。

これまでの人生でゲームにはほとんど縁がなく、友達の家でやるスマブラではカービィを選んで最後まで浮かび続けるしか応戦の術はなく、書き初めを賭けたウイイレ大会ではいつもカモ要員として呼ばれ、教室には何枚も同じ字の「希望の朝」が並ぶ。

そんな僕に唯一許されたゲーム機、ゲームボーイで夢中になった日々がある。

何ヶ月もかけて、攻略本を読みながら殿堂入りした記憶と、1個上のあおのくんに何にでもへんしんできるからメタモンが最強だぞと教わってイーブイと交換してしまった記憶と、「いい加減に外で遊びなさい」と言われたから公園で電源を入れた記憶と、そんな記憶をどれも必要とせず38分で殿堂入りするというのだから、僕は見たかった。

「見たことないから見たかった」

それ以上でも、それ以下でもない。

見たことがないから見たいと憧れて、凄かったなと思って眠ってはまた日常に戻る。

それはまるで人生のようだと思った。

僕は何者になりたいだとか、嫉妬だとか、そんなことにこれまでたくさん思考を巡らせてきたのに、衝動のような何かは噛み続けるほどに味がするから、まだそんな話題にしがみついている。

自分の中でまだ決着のつかない衝動に答えがつくのが先か、重ねた年齢が現実と衝動を擦り合わせるのが先か。ただそれでは寂しいから「まぁいっか」となってしまう前に、必死で僕なりの答えを出しておきたいと思っている。

毎日こうして遊んでいる。ちなみに僕も読めない。

見たことないものはなぜ見たいのか?

僕は見たことないものを見たいと思っている。知らないことを知りたいも同様に、である。

それはなぜか?

見たことがないからである。

見たことがないものに憧れるのは人の欲であると言えばそこまでであるが、これをもう少し言葉にしたい欲もある。

見たことがないものへの想像力が欠如すると、良さそうをあちらの思い通りの良いものとしか受け取れないことにつながる。また最近は見たことないものを見せてくれる人達が、もはや良いものとしか見えないように伝えるのが本当に上手である。

これが少量なら日々を生きるスパイスになるのに、あまりに日常に溢れているから、要らぬ嫉妬や劣等感に苦しむティーンエイジャーが生まれる。

世の中はいつからこんなにキラキラしているのか。いつから光ってなければいけないと息辛くなったのか。

子ども達の言う夢は「憧れの人の言う良いを私も見てみたい」ぐらいの話であることが多い。僕だってそうだ。

Vlogが流行るのもそんなことに由来するのだろう。10分の動画を見終わると、その夢の形をしていた衝動が収まることがある。

だから教えてほしいのだ。

本当のことを。

「あぁあれ?大したことなかったよ」って言ってくれれば、あきらめられる夢があるはずだし、「いゃ歯を食いしばってでも見に行くべき景色だよ」そう言うなら本気の努力を始めようじゃないか。

キラキラした人達の言うそれが、あきらめられる夢なのか、私の夢だと原稿用紙に書くに値するものなのか、ろ過しておかないとみんながキラキラした光に集まる虫のように、夢破れてバチバチと音を立てて落ちていくことになる。

子どもに夢を見せるなという話ではない。

きれいなところばかりを見せたそれが、必ずしもみんなの手の届く場所にあるのではないことを、15歳の柔らかな判断力ではわからないから手を貸してくれないか?という話である。

「光ってなきゃ夢って言っちゃいけない気がして」

中学生は言う。本当に言う。

私のしたいことは別に光ってないから、ってかりそめの夢の形をした嘘を付く子どもがいる。

こうして夢の夢性なるものはその光り方が条件であると誤解されると、夢を見れない子どもが生まれてしまう。

「君にはもっと君の良さを受け取ってもらえる場所がある」って伝えてあげられるはずの大人が、今は必死になってキラキラした海を親指で泳いでは溺れている。

だからいつかその海から離れた大人が伝えてあげてほしい。

「あぁ、君のその素敵はきっと誰かのためになるね、それは夢だ」って。

果たして僕は人生を変えたいのか?

キラキラした人達は言う。

「人生変えたいなら、今のままじゃダメだ」って。

ヤバイ、ヤバイ、30越えて今のままじゃダメだ、筋トレ、サウナ、成長!って。人生を変えたい人のためのコンテンツがあふれすぎて、僕もぜひ人生を変えてくれって思っていた。

でもふと思う。

「あれ、人生変えたいんだっけ?」

人生って変わった方がいいんだっけ、変えなきゃいけないんだっけ?って不安になった。

確かに僕は何者でもないし、キラキラもしていない。

でも自分のことが好きで、自分の仕事も、自分の周りにいる人のことも、全部好きで、嫌いなことも全部好きだ。

見たことがないから見てみたいぐらいの衝動で、今のままじゃダメだと、もっているものをすべて足りない足りないと否定してしまうこれまでは、「人生を変えてやるんだ」を希望に生きてきた。

しかし、そこがここになるたびに、また新しいどこかを探しては今いる場所を居心地が悪いと決めつける。ちゃんとそこのあたたかさを感じる前にだ。

では僕はいつ幸せになれるのだろうか?

結婚も、自分の子どもも、出世も、世にバレることも、何もかも見たことがない僕は、幸せにはなれないのだろうか?

不安になって、今の幸せをちゃんと触ってみたら、なんだちゃんと温度があるじゃないか。

ふと思う。

「人生って、変わらなきゃいけないんだっけ?」

12月の朝は希望を歌うには寒くて負けそうになる。

でもこれ、ちゃんと生きてるよなって思って嬉しくなる。


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