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大きな虹を見た話

先月、まだ会社にいた時の話。

経験したことのないような夕立の後、ビルの窓から大きな虹を見た。おそらくこれまで見た虹の中で一番大きい。大きいというかちゃんと色の並びを認識できるぐらいには、それぞれがちゃんと幅をもっていた。ただこれまで7色あるもんだと思っていた色は、4色ぐらいしかなかったようにも思う。

花火も風景も「いつ見返すんや」といつしかカメラを向けなくなった。今回も意固地に写真を撮っていないんだけど、いや見たって!本当に!

そんな虹を見て僕は「なんかいいことありそうですね」と会話を始めたのだけれど、隣に座る年上の女性からは「もうこれがいいことじゃない」と思わぬ返答が返ってきた。

この5秒間の短い会話に深い意味はないのだけれど、この5秒に僕の生き方と彼女の生き方の違いがあっておもしろかったので言葉にしてみたい。

僕はこの虹を何かが起こるかもしれない前触れとしてラッキーだと思った。その何かには自分がこれまでしてきた努力が報われることを期待していたと思う。

一方、彼女はこの虹そのものを見れたことがラッキーだと思った。こんな大きな虹を見れたことが幸せで嬉しくなったと写真に収めていた。

哲学者三木清は、幸福が存在に関わるのに反して、成功は過程に関わるという。

つまりは幸せをどこに置くかという話に繋がっている。

僕はおそらくまだ、あるかもわからない成功の尾っぽを追っている。形もよくわからない成功をしたいと願い日々努力を続け、成功してるっぽい他人の姿に嫉妬しながら、成功の先にあるであろう幸せを追っている。

僕らはとかく、幸せになるために何者かになることを目指し、定量的な何かを求めている。しかし、幸せを何かの先に置く限り、その基準は止まることなく、追えば追うほど、遠ざかっていき、結局手に入らないのかもしれない。

幸せの性質が存在に関わるものであるとするのなら、成功の有無に関わらず、何者かにならなくとも、今幸せであると考えることが幸せの始まりなのであろう。

僕らがする努力や起こる日々の事象や感情を必ず意味のあるものにしようと考えるには、ちょっと疲れてしまったので、無目的に学ぶこと、今あるそのものをちゃんと幸せだと呼ぶことが大事なんだと感じたのでした。

あなたの幸せが誰にも奪われませんように。











いや見たって!本当に!

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やまだえっせい
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