植中朝日という男
2021年9月14日(火)
Vファーレン長崎、植中朝日が世にバレた。
''パリ世代がJ初ゴール''というだけでも記事にするには十分なのに、ハットトリックまでおまけして。昔から彼はちょっと調子に乗りすぎる。
''昔から''なんて…彼をずっと知っているかのようなマウントの取り方は、彼がハットトリックしたあの日、日本中のいたるところで聞かれた彼のことを少し知る人達の流行り言葉だろう。''宝くじが当たると親戚が増える''のと似ている。ただ僕もその一人であることは否定しない。今日だって僕はこっそりと教室にDAZNを繋ぎ、サッカーのこともよく知らない子ども達に力説したのだ。
''こいつは昔から…''
植中朝日という男
僕が彼と出逢ったのは、彼が長崎サポーターを魅了するちょっと前、あの夜彼が日本中に見つかったちょっと前の話だ。
7年前、僕が初めて教員になった時に僕の学校にいて、僕の生徒で、サッカーが好きという共通点だけで今日までずっとサッカーを語り合うというだけの関係性であり、家族や友達ほど彼のことは知らない。
今はただの''選手''と''サポーター''の関係だ、みなさんと別に大差はない。
中学2年生で初めて肌の白いそばかすの彼を見た時には、将来イケメンになることはわかっていたけれど、はっきりとサッカー選手になる未来は見えなかった。運動能力は高かったから何をやらせてもすぐにできたし、FWとして非凡な得点能力は持っていたから''和製トーレス''なんていじっていたけれど、U19で久しぶりに代表に呼ばれるまでは、代表に呼ばれるのはいつも狩野奏人(日本体育大学)や加藤聖(Vファーレン長崎)だった。
アカデミーにいることはエリートの印だけれど、プロの確約ではない。草の根でずっとボールを蹴っていた僕からしたらみんなヒーローだったし、僕の目が肥えて今現在、育成の基準を高く持てるのは彼らのおかげであることは間違いない。彼もあの中では一つ抜けた存在だったけれど、プロになるってなったらそれはもう別次元の人間の話なんだと思っていた。
彼は昔から成長に貪欲だった。僕は毎週のオフは時間が許す限り彼らのゲームに足を運んだ。ゲームの後に彼から感想を求められることもあった。細身だった彼からは「何食べればいいっすか?」と何度も質問されたのを覚えている。その度「サラダチキンだって」と答えていた記憶がある。それはまだセブンにしかサラダチキンがなく、プレーンのみが売られていた時代の話、世間が今ほどたんぱく質を欲していなかった時代に彼は中学生でそんなことを気にしていた。生で見た彼より少し年上の安藤瑞季(水戸ホーリーホック)や加藤拓己(清水エスパルス)がとてつもなくデカく見え、プロになるやつは身体のデカさも異次元なのだと悟った。
だから彼はその貪欲な姿勢から押しも押されぬアカデミーのエースとなりプリンスリーグで得点を量産し、代表にも呼ばれ「高校で結果を残します」と高らかに宣言した3年後、きちんと高卒プロ入りを決めたのだ。彼と加藤聖が揃って長崎への入団のリリースが出た時も何ら不思議を感じなかった。
ただ''努力できるやつが、当たり前に努力して結果出した''ってだけの話だ。
プロに入ってからもきっと苦労をしていたと思う。同じポジションには日本を代表する選手達が並ぶ中で思うように結果を残すことのできない難しさ、加えて半月板の手術からプレーできない日々。彼がプロの世界で感じる悔しさみたいなものは送られて来るLINEから断片的に感じることができた。
それでも貪欲な姿勢が彼らしくて、Jリーグの延期が続いた昨年は時間を見つけてはいつか海外に出たいとZOOMで英語を一緒に勉強したり、自分の身体を変えようと栄養学も共に学んだりした。本当にサッカーが好きじゃなければ、とても大人になってから勉強しようなんて思わない。僕も彼も本当にサッカーが好きなんだと思う。
だから、あの日初ゴールにハットトリックを添えることができたのは神様からのとりあえずのご褒美なんだと思う。点は取らされるものだって教わったことがある。
「全てこの時のために努力してきたんかなって感じです」と教えてくれた彼の言葉には、ようやく苦しかった日々が報われた安堵のようなものを感じたのだ。初々しいヒーローインタビュー中にこぼれるニヤケからは、きっとまずひとつ努力が報われた喜びを感じ取ることができた。
彼へ求められるものはまだまだ大きいけれど、彼の努力を肯定するには十分過ぎる結果だったと思う。
教え子がプロになって活躍する、どんな気持ちなんだろう?
僕が中学2年生の時に赴任してきた担任の先生は、自己紹介で自分の教え子がアンダーカテゴリーの代表に選ばれていて、今度鹿島に入るんだと教えてくれた。
当時Jリーグをよく観ていた僕でも「そんなやつ知らないっすよ!本当にいるんすか?」と疑った。僕はその選手をよく知らなかったけれどいつも先生の「あいつ昔から…」なんて話を聞く度に、熱い想いを感じてその選手を応援するようになった。
その選手のことを聞かされる度に僕はその選手が好きになった。彼が髪型をアシメにすれば僕も真似してアシメにした。ボランチの選手だった僕も高校では彼に憧れてサイドバックに転向した。そして引退まで応援した。
よく知らなかった先生の教え子は後に内田篤人になった。
その先生を追って先生になった僕は同じく滅多にない教え子がプロになるという経験させてもらっている。
長崎の2人に加えて同時期に廣岡睦樹(モンテディオ山形→高知ユナイテッド)、鎌田大夢(ベガルタ仙台)1年遅れて三戸舜介(アルビレックス新潟)、そして大学経由でまだまだ出てくるはずだ。
たまたま巡り合わせが良く彼らに出逢うことができたから毎週末ジュビロ以外のゲームを楽しみにしている。
だから植中朝日が大暴れしたあの日、僕がきっとこれまでたくさんの人に自慢してきた分だけLINEが鳴った。「おめでとう!」「植中くんやったね!」ありがとう朝日、あの日は誇らしく返信させて貰ったよ。
「教え子がプロになって活躍する、どんな気持ちなんだろう?」
中学生の頃に先生の話を聞く度に思った。また教え子の自慢かよなんて思うこともあった。でも先生、あれっすね…
エピローグ
今日、教室でおもむろにDAZNをつけた担任は「この白いチームの33番が俺の教え子で植中朝日って言うんだけど。この前Jリーグで初ゴール決めた日にハットトリックしたのね!ハットトリックっていうのは1試合に3点取ることなんだけど…」
また始まった。この人がお笑いとサッカーを語り始めると帰りの会が終わらない。
「見てよこのインタビュー、めっちゃ初々しいっしょ?笑」
(あ、イケメン)
「先生、何朝日?でしたっけ?」
「植中!植えるに中!」
(''植中朝日''…検索と、お、いた)
「こいつは昔から…
めちゃくちゃ頑張るやつでさ。いつかやると思ってたんだよ。苦しくたって絶対に投げ出しやしない。マジで。だから注目してやってな。じゃあ終わろう!」
「起立!気をつけ!さようなら!」
「机揃えて帰れよ!」
「先生ー!教え子がプロになって活躍するってどんな気持ちなんですか?」
「ん?めちゃくちゃ泣けるよ」
おまけ
「植中選手、ハットトリックの感想は?」
「もってるなと」
彼は昔からちょっと調子に乗りすぎる。
おめでとう朝日。
ここからは追記。これから先、彼が何か大きなニュースになる度に残していこう。
植中、マリノスへ
海を渡りたいと定期的に英語を勉強していたのだけれど、まさか違う形で海を渡ることになろうとは。それでもJ1王者への移籍は彼のこれまで挫折も苦しさもすべて含んだ当たり前のステップアップなのだ。
華奢だったサッカー選手は見る度にちゃんとデカくなっていく。あぁちゃんとプロなんだなと思う。僕もまだ負けず嫌いだからウェイトを頑張っている。
「試合観に来ますよね?」
「チケ取ってくれるなら」
「もちろんす、御殿場近いから休みの日は行きやすくなりました」
多分今はバドも卓球も僕のがだいぶ上手いから相手にならないと思う。
V・ファーレン長崎のみなさん、大切にしていただいてありがとうございました。横浜Fマリノスのみなさん、ちょっとだけ調子に乗ることがありますが大切にしてあげてください。
「人生変えてこい!!!」
「頑張るっす!!!」
植中マリノス移籍後公式戦初ゴール
植中移籍後、これまで気にも留めなかったマリノスのメンバーを確認するようになった。加入当初はキャンプでの得点の様子が報じられるなど、当然のようにマリノスでも活躍する彼の姿を思い浮かべていたけれど、リーグ戦が開幕しそこに''植中朝日''の名前が無いことに、J1王者のメンバーであることの難しさを感じたのだ。
加えて同じポジションを争うことになるであろう''ライバル''杉本健勇の登場は彼にとって新たな乗り越えるべき壁である。
そんな中ルヴァンカップグループステージ第2節アウェイのサガン鳥栖戦。ベンチ入りした植中は61分に途中出場を果たすと、79分永戸勝也のアシストから見事なループシュートを決めた。これが植中朝日のマリノス移籍後公式戦初ゴールとなる。
このゴール、マルコス・ジュニオールから永戸へのボールの移動中には植中は''3人目''になりに行っていることを考えると彼は昔から得点のにおいがわかりすぎている。華麗なゴールの何倍も泥くさいゴールが多いのは、どんな形であれ得点のにおいのする場所に適切なタイミングで現れるからなのだ。
彼のマリノスでの公式戦初ゴールは、僕が中2から見てきた彼の生涯のゴールの中でも1位に挙げたいぐらい完璧なゴールだった。
試合「ビューティフルごーる」とだけ雑に送られてきた舐めたテキストに「らしくないじゃん!泥臭くない!」と送り返す。すると突然ビデオ通話が鳴る。俺から電話したのはなんか恥ずいんで先生から掛けてきたことにして書いてくださいと言われたから、僕が掛けた!そう僕から通話を始めたんだけど!
ビデオ通話をするような時はだいたい洗濯物を畳んでいる時である。だから多分半分話聞いてない。でも自分のしたい話だけはちゃんとしてる。「マリノスって1時間ぐらいしか練習しないんすよ」「いゃマジで強度高すぎてそれしかできないんすよ」「マジで今度練習観に来てください、サッカーの考え方とか変わると思います」「今度招待しますよ」「ユニは自分で買ってください」「で、焼き肉奢ってください。金あるって言ってたじゃないですか?」おうおううるせぇうるせぇうるせぇ!!!自分のタイミングで掛けてきて!喋りたいことだけ喋って!飽きたら切る!それが植中朝日やねん!
やっとらしくなってきたなって思う。きっとまたひとつターニングポイントになるであろう難しい時間を越えて、また植中朝日が世にバレた春の日だった。
「ここまでずっとゲームも出れなくて、結果も出なくてさ、健勇も来て…ぶっちゃけ焦ってた部分あるっしょ?」
僕は上手くいかない時期を乗り越えて成功を掴んでいく逆境に強い主人公の話を知りすぎたせいか、勝手にそんなストーリーを彼に期待していたんだけど、返ってきた言葉はあまりに意外なものだった。
「今日は強気でいいですか?練習試合とかではずっと点取ってたんですよ。だから出れれば絶対取れると思ってたんです」
そうか。そうだった。彼はそういう逆境に強い人間だった。自信があったからマルコス・ジュニオールがボールを放ったあの時にはもう走り出していたんだ。
シーズンは始まったばかりだ。彼の2023年シーズンはやっと始まったのだ。スタートが悪くてもシーズンが終わった時に見たい景色が見えていればいい、それが人生の勝ち方だったりする。頑張れ朝日!頑張れジュビロ磐田!(J2リーグ第5節終わって勝ち点5の17位だけど強い気持ち)
2024シーズン
久しぶりにこのnoteに追記をしてみる。
サボっていたというよりも、初めてリリースした頃と比較しても、書くことがあり過ぎて追いつかないぐらいに活躍することが当たり前になってきたということだ。
23シーズンはマリノスで出場機会を増やし、ルヴァンカップの得点王に日本代表選出、充実のプロキャリアを歩んでいる。
それはとても凄いことだし、一部のJリーグのファンだけが知っていた名前は、今や日本中のサッカーファンに認知されつつある。
僕は30を過ぎてキャリアは本当に少しずつしか進まないことを知ったのに、彼は着実に大きな歩幅で歩みを進めている。
僕が一生かかっても見ることがない景色を、彼は僕よりも10年若くして見ているのだと思うと、誇らしさなのか嫉妬なのかわからない感情で眠れなくなる時がある。
たまたま出逢ってしまったから、こんな想いをするのだけれど、たまたま出逢ってしまったから毎週のようにこんなにも高揚する週末がある。
もはや憧れ。
しかし、時に僕らは憧れの選手にもきっと悔しさや苦悩があることを忘れてしまう。隣の芝の青さに目を奪われ、芝の手入れの大変さまでは想いを馳せることができない。
パリオリンピックを控えた代表チームに彼の名前はない。一度は名を連ねたチームの活躍を、彼はどんな想いで見つめるのか。そんなこと聞くには失礼なぐらい、きっと彼は自分の道を丁寧に見ている。
だからだ。
代表がアジアをかけて戦っているちょうど同時期に、ここでもアジアをかけて戦う男がいる。
こんなにも色んな感情の見えるフォトジェニックな男もいない。
「よくやった。本当によくやった」
「やっちった」
「クラブワールドカップ出るだけで80億貰えるらしいよ」
「2億くらいさすがにもらえます?」
「流石に2億は舐めすぎだとしても、それなりのインセンティブ入ったら本当になんか奢って」
「もちろんです!サイゼリヤっていうドリアとかが有名なイタリアンとかどうすか!」
「そこの店の全部な。全部。アジア獲れよ!!!」
「おす」
そして…
またやってしまった
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