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''頑張りが頑張りを生む''って表現が好きなんだけど

新しい1年がはじまったその日の''新しい誓いは立てるだけ無駄だ''という記事を読んだその後に、新しい誓いを立ててみた。

''今年は1日1つ自分にとって怖い事をやる''そう誓って毎日Distinctionという単語帳を開き、ジムにも通っている。もうすぐ2ヶ月、僕史上最も長い頑張りの継続である。

頑張りはいずれ歯を磨くような習慣になるらしいのだけど、今のところまだ頑張ってる感がある。ふと気を抜くとチューブから絞ったペーストがブラシから落ちそうな危うさだ。何もかもが上手くいく自信がある年度末を終えると、どうせまた慌ただしい4月はブラシを持つことすら億劫にさせる。忙しさにかまけてどうせまた頑張れなくなる前に、何とかブラシを突っ込んでしまいたい。

学校で単語帳を開くのは給食を早く食べ終えたごちそうさままでの時間と決めている。僕より早く食べ終えた子ども達がワークや過去問を解いている。公立受験まで10日程のあそこには誰かの頑張りに触れられる時間がある。

''頑張りが頑張りを生む''って表現が好きなんだけど…

僕は時折り格好つけて偉そうに教育を語る時がある。

ルールやきまりがきちんと守られていて、お題目を唱えるように綺麗事を言う。みんな言うことを聞く良い子。「はい!はい!」と威勢の良さに誤魔化された、教師や大人に頑張らされてる子どもが増えていると。

教師や大人からの評価のために頑張らされてる子どもが増えていると偉そうに語る時がある。

でもそれはとてもおこがましく、浅かったと反省した話がある。

この間の道徳で選抜駅伝部の練習を全校が応援するという資料を使った授業を行った。

「俺ね''頑張りが頑張りを生む''って表現が好きなんだけど。頑張れない時にアイツの頑張り見たら自分も頑張れちゃったとか、逆に自分が誰かの頑張りになれたとかあるじゃん?今日はそんなことテーマに自由作文を書いてみない?」

それだけ伝えて15分個人に時間を渡した。

それぞれiPadの画面いっぱい小さな文字になるまで打ち込まれたエピソードトークはどれもちゃんと自分がある。

今年1年間、頑張れない時に頑張れる子がいて、その姿を見てまた頑張れる自分になった。自分のために頑張ってたはずなのに、誰かがそれを見て頑張った。教室には今頑張れる雰囲気があって、自分も自然と頑張れる人になれた。

全員分のエピソードトークを共有をした時にモニターに映った何千文字の中には「ありがとう」のない「ありがとう」がちゃんと伝わるから、みんなちゃんと誰かのためになってたんだなって思う。

嬉しいなぁ、誰も頑張らされてたわけじゃない。ちゃんと誰かの頑張りに背中押されて、自分のために頑張ってたんだ。僕の評価なんてまったく興味なさそうだもの。

それでももし僕が彼らの頑張りの理由だったとしたら、それは立場から来る高圧的なものではなく僕の生きる姿勢そのものだったのかもしれないと少し誇らしくなった。


今年の学級目標

1年の終わりにちゃんと自分のこう思う、こうしたいに正直に生きてこられた子ども達だから、ちゃんと好きになれたんだと思った残り数回の道徳の授業だった。

受験はさ、個人戦だから

公立受験を数日に控えて、まだ第一志望の受験生を半分以上残したクラスに伝えたことがある。

「受験はさ、色んなところで聞くかもしれないけど…個人戦なのよ」

「え、ぎゃく逆!w」

「いゃ個人戦よ。だって一人だもん。チャイム鳴ったら一人で戦わなきゃいけない。わかんねーなーちょっとここ見せてって横見たらカンニングになっちゃう」

「確かに」

「必死こいて詰め込んだのに緊張で忘れちゃっても、あんなに頑張ったのに解けない問題があって落ちるかもって不安になっても、一人でなんとかするしかないの」

「団体戦って嘘じゃん!」

「でもさ、最後の最後、チャイム鳴るまでは一人にしないであげてほしいのね。もうね、初めての受験なんてめちゃくちゃ不安になるし、夜も眠れなくなっちゃったりするわけよ。でも、眠れないけど、みんな頑張ってるからとりあえず明日も学校行くかー、あいつ頑張ってるから俺も頑張るかーって。そうやって誰かの頑張りになることはできるわけ。最後チャイム鳴るまでは一人にさせない。そこからはマジで一人だから」

「それってできるじゃん?私立で高校決まった組もちゃんとそれに乗っかってやるの。最後の最後、みんなが合格証手にして学校帰ってくるまでみんなで戦うの。一人じゃないって強いから」

僕はね、思うの。

頑張りは頑張りを生むし、人は誰かの頑張りに弱いって。













あと少し、頑張ろうぜ。


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