教室にキングダム全巻が届いた話
「昨日誕生日だったんです」
「おーおめでとう!そろそろ17ぐらい?」
「いゃ15ですけど」
「おおーいいね!華のフィフティーン」
「聞いたことないですけど、華のフィフティーン」
「俺?俺の誕生日?」
「あ、全然聞いてないです」
「7月3日ね、波の日」
「聞いてないのに」
「欲しいものかーキングダム!キングダム全巻!」
「あ、キングダムほしいです!置きましょ教室に!」
「え、じゃあみんなでクラファンしようぜ。みんなで買うのキングダム!クラファンやる人!はい俺合わせて2人!」
「じゃあメルカリで買うとして1人1万5000円ね」
「やっぱりやめます!先生が買ってください」
「結局また俺が買うんかい!」
教室には100冊の本と『宇宙兄弟』と『聲の形』が置いてある。僕が生き方に迷った時、ちょっと背中を押してほしい時、何度も手に取った本や漫画を置いてある。生きるのに少々難しい15歳、本1つで今日を前を向いて生きていけるのなら、僕がKindleをやめて本を買うようになった理由がここにある。
ある日、ひょんなことからいつも応援してくださっている方からキングダムを全巻譲っていただけることになった。自分が好きで書いている文章から元気をもらったその恩返しだと言ってくれた温かい人だった。ここのところ忙しさに視野を奪われ、自分を振り返る余裕もなかった僕に今もちゃんと誰かのためになっていることを教えてくれた嬉しいできごとだった。頑張っていればお天道様が必ず微笑んでくれるという根拠のない生き方は、難しい毎日を生きる希望だったりする。
子ども達は喜んだ。だってそれが学校に来たい理由になる子もいるのだから。
僕の教室にある風景
もうすぐ6月を終えようとしている教室には、4月の緊張感から解放された崩れた笑顔と少しずつのルーズがある。僕は僕ではじめましての怖さでこわばった顔が、少しずつ僕の顔に戻ってきた。笑った時に無くなる目が素敵だねと言われたことを思い出した夏のはじまり、間違ったことをただの温かさで包んでしまわなくなったのは、僕と子ども達の間に関係性ができた音が聞こえたからである。一見冷たさで覆われたように見える温かさが、身体の中でゆっくりと響いていける関係性になれた子どもがちらほら出てきた。あの子の目はそう言っている。
僕は今の教室にもうずっと一緒にいるような温かさを感じている。15歳にしては幼さの見える男子と、どこまでいっても大人に見える女子がいて、授業や行事には協力して同じ方向を向ける強さや思いやりがありながら、休み時間になるとそれぞれがクラスメイトとの会話を楽しんだり、絵を描いたり、本を読んだり、自分の''好き''を大切にできる姿がある。そして誰も隣に座る君の好きを邪魔しないし、奪おうとしない。それは放っているわけではない、そっとしておいてほしい時にそっとしてあげられる温かさと、自分の楽しさが隣に座る君の楽しさではないと理解した優しさなのだと思う。僕だってたまった仕事をそっちのけでいただいたキングダムを読み始めた。
君が学校に行く理由は授業を受けるため、様々な人と出逢い社会性や社交性を身に付けるため、集団生活の中での規律を守るため、ひいては立派な大人になるためだと親が願うためだとして、君が学校に行きたい理由は別になんだっていいと思っている。
僕はずっと友達に会いたくて、サッカーがしたくて学校に行っていた人だから誇れる理由みたいなものはないのだけど、行きたい理由ではなかったものを通って今を不自由なく生きている。
とても生きにくい10代を、忙しくて日常を送るのに必死な15歳をどれだけ楽しく生きることができるかは君達にとって、そして僕にとっての課題である。僕は教育をする側の人間だからついそこにたいそうな願いや希望を託してしまうのだけど、正直、やっぱり学校に行きたい理由なんてなんでも構わないと思っていて、本や漫画があるから教室にいたいだっていいのだと思っている。行きたかった理由をひとつふたつ叶えた上で、新しく行きたい理由になるものをひとつふたつ見つけられる場所が教室であるといいなと思っている。
居心地のよい場所を作ろうと思った時に、君に差し伸べられる手がどうか強く引っ張る手ではなく、そっと握った手でありますように。