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一生懸命リフティングの練習ができた子はきっとよい人生を歩けそうって話

僕の弟たち2人は小学生でリフティングが1万回できないとクラスの落とされる、またはクビにされてしまうフットサルクラブに所属していた。

測定の日にはお母さんがカウンターを持って数えている。1時間以上ずっと目に入ってくる汗が視界を邪魔しながらボールをついている。

嘘の報告をした弟がひどく叱られてクビにされかけたこともあった。

弟たちは2人とも大学までちゃんとサッカーをしていた。

僕はと言うと、小学校5年生ぐらいで1000回達成したあたりから、自己ベストを覚えていない。多分あんまりリフティングをしていない。覚えているエピソードと言えば、小学校3年生で43回できたあの日に、隣で親友に44回やられたのが悔しくて「先帰るわ」って言って違うグラウンドで45回を出した時のことぐらい。

自分の子どもがサッカーを始めた時に「リフティングを練習させるかどうか?」のテーマを頭の中に1つ入れてドライブに出た。

結論、僕はやらせようかなと思う。

理由は以下、

「リフティング上手い子、結局技術安定してる説」だ。

僕らが小さい頃必死にやってたリフティングは、最近ではサッカーのトレーニングではないと否定する人がいる中で、それでもやっぱりリフティング大事なんじゃない?と体育の授業の中ではチャレンジさせてみている。

きっと小さい頃にやっておいた方がいい。

リフティングってサッカーを上手くするというより、実行、分析、改善を短時間で回す作業、毎回触る位置の修正を無意識的に行える作業だと思っている。正しい力の入れ具合、正しい位置で触らないと続かない。体育でもだいたい最初は5回も続かない。

でもその作業を回していくのって難しいけど楽しい。夢中になってやっている。

はじめは、当たる位置も力の入れ具合も身体の位置もバラバラだから続かない。でも時間をかけるとボールと身体との適切な距離感、整え方もわかってくる。

バットもラケットも同じでボールとの距離感がわからない。動いているものに対する身体の運び方がわからないから苦労する。だからソフトボールの1時間目はみんな当たらなくて苦労する。

リフティングが数多くできるようになった子って無意識的にその修正ができる子で、その修正する力の転換が結果的にその他の技術の安定に繋がっていると僕は考える。

リフティングが続かない子ってその修正が下手で、毎度実際に起きてるパフォーマンスと感覚の差異が大きすぎて、中々修正できないみたいな。リフティングに限らず、運動の内省は小さい頃に、それも色んな種目でやっておく必要があるよなと考えている。

だから授業でも1人の試技回数は多い方が良いし、試技間はできるだけ短い方が良いんじゃないかと思っている。質とかいい。フォームが違うとかいい。まずはひたすら量やゲームのもつ楽しさを経験させてあげる必要がある。初任の時に分析だけの授業を否定された時に「うるせーな」と思ったけれど、気持ちはわかる。

そういう意味でリフティングって次に触るまでに0.5秒程度しか間隔がなくてズレを修正する作業が0.5秒おきにできるの良くねって思う。

でもある一定回数を超えると感覚とパフォーマンスのズレが少なくなってきて修正能力もさほど必要ではなくなってくるから何千回もやる必要はないんじゃないか?って話。リフティングだけでトレーニングが終わって良いほどサッカーって簡単じゃないというか。他にやらなきゃいけないことがありすぎる。

サッカーは僕の尊敬する先輩指導者の言葉で言うと''なんでもつかめるお箸の持ち方''を覚えた上で、突きつけられた課題や問題を適切に解決していくためにお箸を上手に使う。でもお箸の持ち方だけを練習してれば、美味しくご飯が食べられると思ってる人が多いよねって話である。

美味しいご飯を出してくれ。「自分で考えよう」じゃない。いいからフットボールのおもしろさはどこにあるのか教えてくれ。

一生懸命リフティングの練習ができた子はきっとよい人生を歩けそうって話

この間、尊敬する先輩と久しぶりに会って美味しいお寿司と日本酒をご馳走になった。

教育や人生を語るにちょうどよく僕の進む道の延長にいるような人なんだけど、その言葉ひとつひとつが含蓄に富んでいて酔ってしまうのがもったいない。

「結局さ、いい大人、いい人生っていうのはちゃんと内省するということなんだよね」

最近の若手がどうもメタ認知が弱くて、自分を適切に振り返れないという話からだ。

「人生をよくする簡単な方法は日記を書くことじゃない?」

1日の終わりにその日の自分を日記というツールを通して振り返ってみるのだ。僕は10年これを続けているから内省が進んだのか、外からの見られ方と自分の思う自分のズレが少ない。と思っている。

リフティングだって同じである。自分の出した足がボールにどんな力を与えたかを何千、何万と繰り返す中で正しさを覚えていく。

リフティングは人生だねって話を昔、お母さんとしたっていう作り話を聞いてほしい。

「リフティングは適切なタイミングで適切な場所に足を当てる必要があるじゃない?それって人生と似てるわよね。自分のかけた言葉が強すぎたら、誰かを傷つけてしまうし、やさしすぎても響かない。たくさん反省する中で正しさを覚えていくのよね」

リフティングで正しさを覚えたらちょっといい人生を歩けそうだね。

SNS映えが目的でなければリフティング、いいんじゃない?













僕は回らないお寿司の美味しさに日本酒が進んで、箸でつまんだ枝豆を落とした。多分弟たちは落とさない。

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