【図解1422,1423】コミュニケーション技術は「気持ち」あってこそ
【2軸マップ型】コミュニケーション技術はあくまでも「気持ちを伝える手段」であり、「相手に対する気持ちはあるのに、それがうまく伝えられない」時に意味を持つ。
気持ちがなくて技術だけに長けていても白々しいだけ。まずは相手に対する気持ちが一番大事。
【プロセス型】たとえば話を聞いている時に自分と意見が違ったり、表面的な言葉使いなどに引っかかってしまって相手の気持ちがうまく受け取れない時は、まず相手の気持ちに目を向け、それを汲んでみる。
その上で、共感できるならその気持ちをオウム返しなどのコミュニケーション技術を使って相手に伝える。
相手の気持ちを汲む段階を飛ばして「自分の考えは違うんだけどな、、、」と思いながら、技術で表面だけ取り繕って伝えても相手にバレてしまう。
まずは相手の気持ちに目を向け、共感することから始めよう。
先日職場でコミュニケーション技術の勉強会に参加し、感じたことを図解にしたものです。
話の聞き方でよく「オウム返し(相手の言ったことを受けて繰り返す手法)」が出てきますが、実は私はこの手法があまり好きではありませんでした。
その理由は、なまじこの手法の知識があるために、相手がただオウム返しをしていると「ああ、この人はあの手法を使っているんだな」とわかってしまい残念な気分になるからです。
ただ、今回もう一歩踏み込んで考えてみると、残念な気分になる本当の理由は、正確には「オウム返しをしているから」ではなく「自分にそう言う気持ちがないのに、オウム返しで『形だけ共感している』から」なのだと気付きました。
さらに深く掘り下げてみると「共感されている」と感じた時にも、よく考えてみると形の上では「オウム返し」をされていることもあったように思います。
ただ、そこにきちんと相手の心があったため「(私にとっての)オウム返し」と認識されず、きちんと共感してもらえたと感じた(残念な気分にならなかった)ようです。
まとめると「オウム返しは気持ちがある時にそれを伝える手段としてはよいが、そもそも共感する気持ち自体がないと逆効果になりうる」と言うことです。
また、話を聞いている時に、その時点では意見の違い等があっても、その状況における相手の気持ちを想像すると「そう思う気持ちはわかる」という形での共感はできるように思いました。
今回の私の経験は聞き方でしたが、これは「伝えること」やさらに広い視点では「創作全般(伝えたい思いがないのに技術だけ高くても意味が薄い)」なとにも当てはまることだと思います。
何かの参考になれば幸いです。今回もお読みいただきありがとうございました。
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