どうかしてる。

長く生きていれば生きているほど、人の死に触れる機会は多くなる。

ワタシが一番初めに触れたのは、5歳の頃、祖父の死だった。

祖父の死後、私は精神的にぶっ壊れた。

保育園の机の角に右手の中指を、一日中ぶつけ続けた。ちょうど第二関節の下あたりだ。そこを机の角に叩きつける(?)のだ。よほど激しく叩きつけていたのか、一月もしない内に大きなタコができた。もう何十年も前のことなのに、今でもその場所には痕がある。

それまではみんなと同じように、授業?を受けていたのだが、祖父の死後、授業中も突然外へ飛び出して行ったり、お遊戯の時間も歌ったり踊ったりを拒否し、教室の隅っこでゴザにくるまってじっとしたりしていた。クラスの友達と一緒に遊ぶことも、会話することもなくなったうえに、先生の言うことも聞かず、奇行が目立ったため、先生がうちの両親に「しばらくはおうちでご両親と一緒に過ごす方がいいと思います」と言ったため、自宅待機となった。

両親は交代で仕事を休み、毎日私と過ごしたらしい。指にできたタコを、父がカミソリでちょっとずつ毎日削いだのはすごくよく覚えている。両親が交代で休むくらいなのでよっぽどおかしかったんだろうな、と思う。

どうやって回復したのかは全く覚えもないのだが、その内、いつも通りに過ごせるようになり、保育園にも通えるようになった。

その後も身内の誰かが亡くなったりはしたが、精神がぶっ壊れたのは祖父の時の一回きりだ。おそらく、人が死ぬということがどういうことなのかがわかったんだろうと思う。

父が逝ったのは22歳のころなので、もう結構大人だったというのもあり、悲しくはあったが、そこまででもなかった。父は生きていたとしても、おそらく何らかの障害がのこるし、自力で起き上がったりできなくなるため、介護が必要になる。ということを言われていたので、死んだ時は正直、ほっとした。

葬儀はするな。というのが父の日頃の口癖だったし、大阪まで亡骸を運ぶというのは無理があり、直葬も考えていたが、入院中、数日富山に残り、ワタシら親子と一緒に居てくれた叔母の手前、さすがにそれはまずないか? ということで、葬儀会場を借りて簡単な通夜と告別式をした。葬式が苦手というか、つい面白いことを探してしまう、質の悪いワタシと妹は、父の葬儀にも関わらず、風呂がジャグジーだったことに悦び、告別式の日、顔色が悪いからと霊幻道士かよと突っ込みたくなるような、化粧を施された父の亡骸を前に吹き出すという不謹慎さだった。

が、遺灰と共に大阪に戻ってからは、しばらく毎晩泣いていた。

毎日、父が作業着を着て7時頃家に帰って来ることを願っていたし、毎晩寝る前に、どこに行く宛てもないメールを書いたのだ。父に宛てて。それに毎晩父の夢を見た。それも別にいい夢じゃない。「危ない!お父さん!!」と叫ぶ自分の声で起きることもあった。

誰のどんな死であっても、多かれ少なかれ、人に影響を及ぼす。

大ファンだった漫画家が逝去したというのを、三か月も遅れて知ったワタシは、今、なんだかすごい喪失感に苛まれている。父を亡くした時もそんな感じだった。別に個人を存じ上げていたわけでもないし、あちらがワタシを知っているわけでもない。ただ、漫画が好きだっただけなのだ。ツイッターをフォローしていたから、知っている人のような気がするだけなのかもしれない。ただ、気のせいだけで、ここまで凹むか? というくらい凹んでいる。

なんだったら、ワタシが代わりに逝けばよかったのでは? とすら思う。

なんの才能もなく、ただぼさっと生きているだけのワタシよりも、誰からも愛され、誰からも惜しまれ、ものすごい才能がある人が生きている方がずっといい。

結構前から、なんにもやる気が起きなかったワタシは、今、さらになんのやる気もなくなっている。

だからだろうか、今朝の芸能人の自殺報道については、当然、驚きはしたが、凄く不快な気分になった。

気持ちを持っていかれる人もいるんじゃないだろうか? と。

いや、そもそも、非常にセンシティブな問題を、わざわざ速報でセンセーショナルに報道するようなことがおかしい。というのは、ずっと思っている。

病気で亡くなった芸能人は、一か月後とか四十九日が明けてからとか、少し時間を開けて報道される。亡くなった方や遺族への配慮なのか、ワタシたちがその訃報を知るのは少し後のことだ。それなのに、自殺というとなぜだか即座に報道されるのだ。本来なら遺族や友人などに配慮すべき事柄なのに、配慮どころかバカみたいにすぐ報道する。別にワタシら第三者が、知る必要のないことだし、親族や友人、最悪でも仕事先に知らせる程度でいい。普通はそうだ。そもそも亡くなって間もなくは、そっとしておいてほしいと思わないだろうか?

なのに、即日報道されてしまうから、状況を全く知りもしない親切ぶった一般人が、友人の芸能人を勝手に心配し、本人のSNSにやっぱり即座に「大丈夫?」なんて、クソリプをしたりするし、元家族へ誹謗を投げつけたりするのだ。言っておくが、どちらも等しくクソ偽善者だ。

それに、先に書いた漫画家はご病気だったが、病気だとわかっていても、ワタシのように気持ちが沈むのだし、自殺となるとショックは相当大きい。精神的にまいりやすい人にとったら、計り知れないほどの衝撃だと思われる。それが大ファンだったりすると余計じゃないか。

自殺だって、病死と同じように喪が明けてから亡くなったことを世間に知らせればいいじゃないんですかね? 死に方も別に公にしなきゃいけないわけじゃない。むしろ、そういう事を言うと、余計な詮索をされるし、憶測も推測もされるわけで、ただでさへ大事な人を失った悲しみに打ちひしがれているのに、遺族やその周辺の心の傷をえぐることになる。隠しておいたって、別に問題になるわけじゃない。

そういう立場になったことがないから、わからないのだろうか? マスコミ含むその他もろもろは。配慮とか遠慮という言葉を知らないのだろうか? 

最初に書いた通り、長く生きていれば生きているだけ人の死に接することになる。まだ人生半分も生きていないワタシですら、祖父と父以外に、母方の曾祖母、母方の祖父、父方の祖母、叔母、叔父、従弟、伯母と、接しているのだから、身内が一人も亡くなってない人なんていないだろう。

仮に、自分がその立場になったことが無くても、想像力を働かせればわかることだと思うんだけど。

ほんとに、どうかしてる。

ほんとに、どうかしてる。

何回も言いたい。

何回言っても全然足りない。

とにかく、どうかしているよな、世の中。と、そう思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?