上エ地圭二の入墨について考察したから見てくれ
教祖と申します。
自己紹介は省きます。
さて、記事タイトルにもあるように、今回はゴールデンカムイに登場する囚人の一人、「上エ地圭二」の顔に彫られている入墨について考察しました。
その結果、一つの結論に至ったので、それを皆様にお出ししたいと思います。
当たってる保証はないぞ!覚悟しろ!
人物紹介なんかしねえぞ!!!
この記事見に来てるやつは読者だろ!!?
さて、上エ地の入れ墨といえば、印象深いのは眉上の「犬」「悪」の文字。
知っての通り、「犬」の字は彼の過去に関係が深く、彼自身の人格にも大きく関わっています。
しかし、点の位置が我々のよく知る「犬」の字と違うのは、皆様気になったところなのではないでしょうか。
これは江戸時代に行われていた「入墨刑」が元ネタだと思われます。
画像を見てもらえれば分かる通り、大まかな形状が一致します。
また、寛文の時代の江戸では同じ入墨刑で「悪」の字を彫っているのも分かりますね。
しかしながら、「犬」の字は筑前や広島の模様であり、採用するにはあまり一貫性がないようにも見えます。
もちろん、罪人であることを現しているのだ、という見方もできますが……
それは顔の所々にあるデザインの意味と矛盾します。
画像は南西諸島の伝統的なタトゥーである「針突(ハジチ)」の模様の一部です。
これは嫁入りの際に彫るものであったり、魔除け、子孫繁栄など、神聖な意味が多く含まれています。
現在ではほとんど途絶えてしまった文化ですが、かつては女性の手に彫られた、ある意味でアイヌの入墨と近しいものですね。
含まれている意味や伝わっている場所などは、真っ向から先程の入墨刑と矛盾しているだけでなく、男性である上エ地が、手の甲でなく顔に入れている、というのもまたおかしな点です。
さらに向かって右頬に彫られていると思われるのが、前田家の紋である「加賀梅」の模様のようであるのも気になります。
由来もまた様々あり、前田利家自身は加賀の武将。
現在の石川県にあたる土地ですが、やはり土地的にも意味的にも、繋がりがあるように思えません。
……と、ここまで見てきての結論ですが、もしかすると、「意味などない」ことが彼の入墨の真意なのではないでしょうか。
思い出して下さい、彼の人間性を。
彼は何よりも他の人間を「がっかり」させることに執着し、そのために行動していました。
だから最終盤の囚人として登場し、あっけない最期を迎え、我々読者をも「がっかり」させてくれた。
そんな彼のもう一つの仕掛けが、この入墨なのではないでしょうか?
彼の顔に彫られた入墨は一つ一つに由来があり、しっかりとルーツのあるもののような気がします。
しかし、調べていくと意味の繋がりや土地などの関係が薄く、どう頑張ってもこんなにランダムな場所から引っ張ってくる理由が見いだせません。
彼のことを、入墨という角度から考察しようとした人はきっと、がっかりするに違いありません。
その「がっかり」こそが、作者である野田サトル先生の狙いなのではないだろうか。
私が調べた限りの結論は、以上の通りです。
いかがでしょうか。
デザインには少なからず意味が込められるものですが、「意味がないという意味」を込められてデザインされるキャラクターもまた、珍しいものだと思います。
だからこそ、彼は短い出番ながら、異質さと妙な愛らしさがあるのかなあ、と思ったりしました。
以上です。