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剣豪・奥山休賀斎
作手(つくで)臼子(うすご)城(愛知県新城市豊栄)は、作手の南端に位置しています。作手を領する奥平氏にとっては、出入り口を警護する重要な城なのでしょう。山頂部には楼台(物見台)があったと思われます。
築城者は、奥平家臣の佐惣(宗)大膳です。佐宗大膳の後は、子の佐宗勝重が継ぎましたが、菅沼定継に攻め落とされました。それを奥平貞能が奪い返し、佐宗勝重の子の佐宗重昌を城代として入れ置き、佐宗重昌の後、奥平休可(急賀、久嘉、奥山休賀斎)が城代として入りました。
★歴代臼子城主
①奥平貞能(城代:佐宗大膳→佐宗勝重)
②菅沼定継
③奥平貞能(城代:佐宗重昌→奥平休可)
「三州古城記」設楽郡
一、作手臼子村古城 佐惣大膳。或いは、佐伯大勝とも書し物も有り。白雪云ふ。「此の城を見物す。大手を杵坂(きねさか)と云ふ。其の傍に蓑石(みのいし)と云ふ有り。後に此の大手所に奥平休可と云ふ兵法の師、住す。此の休可と戦ひし石地蔵、杉山に有り。奇特ありとて、今も信仰す」。
太田白雪(新城市の俳人(松尾芭蕉の門人)、郷土史家)が言うには「この城を見物した。大手道を杵坂(きねさか)という。その大手道の傍に蓑を置いて干したという「蓑石(みのいし)」と呼ばれる巨石がある。
後にこの城の大手門付近に奥平休可という「兵法の師」(剣豪にして、徳川家康の剣術指南役)が住んだ。この奥平休可は、夢の中で剣の達人と戦い、「夢想の太刀」を得て、「奥山流」を立ち上げた。この剣の達人とは、杉山(愛知県新城市杉山)の石地蔵の化身であった。「霊験あらたか」として、今も参拝者が多い(街道の交差点にあったので、江戸時代には1日1000人は参拝したという)」。
奥平定家-①貞俊-②貞久┬③貞昌-④貞勝-⑤貞能-⑥信昌
└田城兵庫信丘┬信近
└定雄┬定次
└定国(公重、奥山急加斎)
急加斎は、貞久が四男、兵庫信丘が曾孫(孫の誤り)にして、奥平孫次郎公重と称す。始め甲斐国の処士・上泉伊勢守秀綱が門に入りて、神影流の剣術を学び、終に其の奥儀を極め、三河国奥山の明神に参篭し、夢中に太刀を授かりしにより、奥山流と唱へ、世人呼びて「奥山急加斎」と称す。