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川崎よ、全部ひっくるめてありがとう

遠くで呼んでる声がする
来てよパーマン
僕のところへ
来てよパーマン
私のところへ
こころ 伝える 合言葉

来たよ僕、りーやん!(私の愛称)
りーーやーーーん!!!

そう。私はずっと川崎に呼ばれてる気がしていた笑。

当時、姉が川崎に引っ越してくるかもとか
電車内に落としたPASMOが武蔵小杉駅に届いていて取りに行ったとか
好きなサッカー選手・川崎フロンターレの中村憲剛さんが連覇してて気になっていたとか
知り合う方が川崎の方ってゆうのが二度続いたりとか

そして
気がしていた が、
現実になり
川崎出身在住の方と縁あって
将来を見据えて共に住むことになったのだ

コロナ禍で支え合い2年を過ぎ
心優しい人柄と家族を大切にして地元を愛していて、とっても居心地がよく
またユーモアと頭の良さもある
互いに尊重、協力し合える素敵な関係。
意を決して神奈川県民になることにした。

6/18
祗園て名前のつくところに引越した

翌週
ご両親にご挨拶をした

翌々週の7/4のことだった…


太陽が傾き始める夕方16:00ころ
帰宅すると具合が良くなさそうで
ベッドに横になった
これは病院へ連れて行かなきゃなと
検索をしてた時
呼吸が荒くなり、暑い、、タオル取ってと言ったと思ったら
のたうちまわり、息ができなって苦しそうで
顔面はみるみる蒼白
身体は硬直
足の裏までびっしょりのあせ

携帯片手に
講習を受けたことのある心臓マッサージを無我夢中でつづける
叫ぶように名前を
何度も呼び続け
救急車のサイレンが近づいてくるのを待った
絶対助ける。
気は冷静だと思っていても
電話の声は震え
足全体が尋常じゃないくらいに震えていて
ガクガクしてるなと思った。

これから始まろうとしている生活を目前に
まじめに頑張ってきたこんなに優しい人が
ここで終わるはずがない

救急隊が来たときには
紫色で口から泡のようなものがでていて
手もだらんと力がなく白目になってるけど
ぜったい助かるはず
不屈な人だしと普通に思っていた

やれることは全力でやったし
きっと 大丈夫
救急隊の方に任せれば
絶対助かる
頭が真っ白になってもそれだけは考えてる状態

サイレンが再び鳴り響き
私も病院へ着いたときには
一変して恐怖で全身埋め尽くされていた。
「どうしよう」がエンドレス
涙が止まらなくなっては
いまはなく時じゃないと涙を引っ込める

しばらく繰り返したあと
何時間たったのだろ…
漸く「ご両親に連絡しないとだ」と頭に浮かぶ

こんな日に限って
通信障害。
5回目でやっと病院名を伝えることができ
全員が集まった。
もう5時間くらいが経っていた

管という管と繋がれ、まるで重症患者みたいに変わり果てた様子で
大勢の医療スタッフに囲まれて姿を現した時
全員が事の重大さを思い知ることになる

面会できない部屋に入ってしまった。
目の前を通過した時のショッキングな映像と
急変してみるみる様子が変わっていった時の
映像が、数分置きにフラッシュバックして
くる。
心拍の速さと
自分があまりちゃんと呼吸できていないなというのが分かった。

そこからは
毎日、命を繋いでくれた先生と看護師さんと
お話しし、
毎日3人で順繰りに特別に面会させて頂き
目の開かない人に話しかけ
4人で祈れるだけ祈り続けて
毎日泣き続けた。

合計12日間の生き様を私達に見せたあと
もう無理だわ許してくれという感じで
…静かに息を引きとった。
ドラマでしか見た事ないセリフが先生の口から放たれる。
「ご臨終です」
現実なのかわからない。
わからないというか
受け止められない。
だけど、目を開けないし
話しかけても、手を握っても
返してくれない
本当に逝ってしまったのだね

そうして新生活は2週間という記録的な短さで
幕をとじた。
広すぎる空間は私の心を蝕み
真っ白に包まれ
なにもわからない
時間の間隔も
食べることも

ただただ
目と鼻から出続ける水を拭うだけ

何か色々な人から
とにかくちゃんと食べるんだよって
仕切りに声をかけられた
たくさん食料が寄せられた
皆んなも泣きまくって取り乱してる様子だった

結果お看取りすることになった4人は
共に過ごした病院での時間のほとんどは無言下を向くか泣いていたと思う
何を話しても暗くなる
3人とはほぼ初めましてだ。

自分らも高齢でと終活の一貫として、墓地を購入していた両親は味わった事のない悲しみの中お墓を立てなきゃいけないことや、葬儀のこと、連絡関係、そして2人の新居をどうするか、膨大なタスクの渦に巻き込まれていった。
夫婦になる直前だった私は
何かをしようとするたびに
あぁ身内じゃないんだ…
他人だもんな…
と巨大な壁に打ちのめされ
壁を眺めながら泣くことしか出来ない。

そんな時…
「葬儀が終わるまではお嫁さんで居てくれる?」と
ことばをかけてくれたのが
お母さんである

号泣しながら、なぜだか温かい気持ちになれた。
きっとそう言うように仕向けてくれたのは亡くなった本人なんじゃないか?
と思ってかなり救われた気がした。


その日がついに訪れ
焼却炉に消えていく棺を
目を逸らさずにまっすぐに見ていた
そのとき声が聞こえた気がしたのだ
「アイルビーバック」
そう、有名なあの映画のシュワちゃんの名台詞だった。

あの人は
映画を月30本とか観るほどの映画好きで
私にも沢山の名画を楽しそうに紹介してくれ
観るたんびに影響を受けた名ゼリフを
日常会話に盛り込み、
台詞を使って話すのが
2人にとって楽しい事だった。
そんなお茶目な人だった。
だから、あの時聞こえたのは
気がするのではなく
ほんとにあの人が言ったことだ

あの等々力競技場も
せせらぎ遊歩道も
beansも
焼肉も
大雨の日の部屋も
ベランダに遊びに来てた猫も
歌いまくった車内も
通ったラゾーナも
歩いた丸子橋も
そのときの幸せな時間を思いだす名場面の舞台だ
こんなに早く宝物になるとは
想像もしていなかったけど

家族のあたたかさと
残されたたくさんの記憶は
いずれ私を支えてくれると思う

墓石に手を合わせた。
石の中に入るなんて慣れないよね
でも11月なのにとっても暖かい日で
よかったよ
寒がりだからこんなとこかわいそうだし
そう思ってフロンターレのマフラー持ってきたよ
首に巻いてねっ
今年は最後まで勝ちきって負けたんだよ
本当に素晴らしいクラブがあるこの街が好き。
あとはあなたが愛した街だからかな。

また来るね。

2022.11.12 
大島にて ここに記す

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