お山の化身たち
今日の昼、ハエが一匹、宿の中に入ってきた。
山のハエは大きい。
ブンブンとすごい羽音をさせて蛍光灯のまわりを飛び回り、バチッとすごい音を立てて蛍光灯にぶつかる。
部屋では数人でミーティングをしていた。
ブンブンという羽音の方向にたまに目をやりはするが、皆そこまで気にすることもなくミーティングを続けていた。
そのあとはまた別の用事があり、宿を出た。
その大きなハエはそのときもまだブンブンと部屋を飛び回っていた。
夕方に宿に戻り、急いで夕食の準備をした。
ハエはまだいたが、時間もなかったのでそのまままた料理を持って宿を出た。(最近夕食は半内弟子として師僧の家で食べている)
20:00過ぎにまた急いで帰宅し、"オンラインKAM INN" をした。
ハエはまだ飛んでいた。
それも終わり、ふぅ、と息をついてソファに身を持たせかけてしばしぼーっとしていると、目の前のテーブルの上にあのハエがおりてきた。
うろちょろする訳でもなく、また飛び立つ訳でもなく、じっとしている。
お昼のミーティングのときのお菓子の袋があったから、お菓子のカスを食べにきたのだろうか。
わたしはじっとそのハエを観察した。
全く飛ばない。
ときどき少し移動して、口を延ばしてペタペタとテーブルに付けている。
食べ物を探しているようだ。
ハエの口はこんな構造なのだなぁ、と感心しながらスマホで動画を撮ってみたが、ハエの動きが早すぎてイマイチ明瞭な動画が撮れない。
ちょうど全然飛ばないので、試しにスローモードで撮影してみたらとてもうまくいった。
ハエはこうやって歩いて、こうやって口を伸ばすのだなぁ、というのがとてもよくわかった。
(ここに動画が貼れないのが悲しい)
スローモードだと、蛍光灯の点滅がチカチカ映る。※蛍光灯は1秒間に120回明滅を繰り返している
人の眼ではこの点滅は速すぎて認知できないけれど、もしかしたらハエにはこの点滅が見えているのかもしれないなと思った。
ハエの素早い動きはスローモードでちょうどわたしたち人間に理解できる速さだし、蛍光灯の明滅もそうだから。
彼らハエが意識して体を動かしているのなら、その速度の動きは彼らの目に見えているはずだ。
『蛍光灯のチカチカ、こんなのずっと見てたら気が狂いそうだな。…あ、だからみんな狂ったように蛍光灯に突進してくるのかな。そうか、みんな気が狂っているのか。ふーん』
※虫が光に集まるのは走光性という習性です。もう命が残り少ない虫ほど走光性が増します
そんなことを適当に考えながらハエの動画を撮っていた。
しばらくすると、ハエがお菓子の空き箱にのぼってきたのでトントン、と箱を叩いてハエを落とした。
するとハエはテーブルの上にひっくり返ってしまった。
ときどきジタバタしたり、羽をブブブと動かしたりするが、起き上がれない。
『え?
そんなに弱ってたん?』
ついさっきまで上をブンブン飛び回っていたのに。
昼に入ってきたときめちゃ元気あふれてたやん。
そのまままたしばらく観察していた。
彼は、そのまま死んでしまった。
なんてあっという間に死んでしまうのだろうか。
少し前までパワーにあふれて飛び回っていたのに。
わたしが見つめる前で、ろうそくの火を吹き消すように、フッと死んでしまった。
殺虫剤もまいてない。
叩いてもいない。
目の前でただ、静かに死んだ。
修験の考えでは、お山の中で出会うものは全て神仏の化身(姿かたちを変えて現れたもの)だといわれる。
本当はもっと深い山の中のことを言っているのかもしれないけれど、わたしはここもお山の中だと思っている。
だから、わたしは普段のここでの生活の中で日々出会うものも、神仏の化身だと思って接している。
彼らは人の言語は使わない。
でも、多くの大切なメッセージを常にわたしたちに語りかけている。
わたしの目の前で死んだこのハエは、確かにわたしに何かを伝えていった。
伝えていったよ。