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語られず、見えない犠牲者の存在

震災の話をしよう。

震災で亡くなった犠牲者の方に関する記事などは多い。どのような状況で、どのような方が亡くなったのかという記事は、枚挙に暇がない。

ただ、犠牲者の数字にこそ入っていないものの、見えない場所にいる人たちがいる。

私の友人達の話をしよう。

ある友達はこの10年、仕事が見つからず、年金生活をしている。

別の友人は、自宅を失った。

さらに別の友人は、心を病んでしまった。

また、地震の恐怖により、愛する街から引っ越さなければならなくなった人がいる。彼はローマに引っ越したが、ラクイラには夜はいることができないと語った。

娘さんを失った友人は、自責の念にさいなまれている。

私がニュース出読んだ人の話をしよう。

彼女は車椅子での生活を強いられている。

他の人は、震災が耐えきれず自殺してしまった。

自殺未遂をした人など数え切れない。

ここで、私が2年前くらいにTwitterで見た、心に響いた名言を紹介しよう。

「私はあの人よりもつらいことが起きていないから…」と自分を抑圧している人が多い。
ただ、その理屈で行くと、「一番つらい人」しかつらいことを語れなくなる。
その「一番つらい人」はどうやって決めるのだろうか?いや、決める手段などどこにもない。
だから、誰でも語りたいと思うなら、つらい経験を語っていいんだよ。

そのような「隠れた犠牲者」の存在は、あまりメディアで語られることはない。

ただ、彼らのような見えない場所で苦しんでいる人に、適切な支援が与えられる世の中になってほしい。そして彼ら自身が彼らのことを語りたいときに語れるようになってほしい。