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私の歴史 2

このnoteのスペースは私の18年間の歴史を書くのに十分である。いや、十分すぎるほどだ。

前回は中学卒業までのことを書いたが、ここには高校時代3年間のことを書く。ひとことで要約するなら精神疾患との戦いである。

高1

偏差値69の進学校に合格したが、このころから精神的に体調を崩しており、4階にある教室まで階段をのぼるのがやっとだった。

英語だけは上位20%くらいだったが、理系教科の成績が徐々に低下。

留年こそしなかったもののだんだん課題などが出せなくなり、予習ありきで進む授業についていけなくなった。

この学校に3年いるのは不可能だと思ったため、偏差値を下げて転校することにした。

高2

大阪に引っ越す。偏差値63の公立高校に進学する。英語が強い学校で、ここでも英語はトップクラスだった。

すぐに友達もでき、学校に馴染んだ。

このころからイタリア語の勉強(独学)を本格的に始める。

7月、オーストラリアに短期留学する。大阪市の代表に選ばれ、格安で留学できた。

ただここでもだんだん精神的に体調を崩し、最終的には出席日数の不足で留年する。

10月、精神科に通い始める。

ただ留年は嫌だったので、定時制高校に転校する。

2月、イタリアの新聞に取材される。

3月、イタリア語検定4級に合格する。

高3

定時制高校に来たものの、体調は変わらず、むしろ悪化していった。

だんだん電車に乗れなくなり、電車に乗ると過呼吸を起こすなどしたため、高校に通えなくなる(高校は特急で30分の距離にあった)。

6月、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断される。

6月、高校の留年が決まる。ここでも留年は嫌だったので、通信制のN高等学校に進学する。

11月、主治医の勧めもあり、精神科に入院(任意入院)する。入院した結果何も変わらず、やることのない閉鎖病棟が苦痛だったため、結局すぐに退院する。

1月、憧れだったイタリア中部の街、ラクイラに旅行する。

1月、イタリアの新聞から2度目の取材を受ける。

2月、土壇場で日本の大学の受験を決め、心理学を学べる大学に特待生として合格する。

3月、高校を卒業する。

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