辛いって思っていいの?〜むちうち症体験記②〜
こんにちは!
ヤマブキです
前回のむちうち症体験記①、見てくださった方ありがとうございます☺️
文章能力に不安もあったのですが、思っていたよりたくさんの方に見ていただけて、書いてよかったなと思えました(*'-'*)
ではでは、前回の続きを綴ります
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「あなたの症状は今日以降デスクワークによる肩こりです。」
整形外科に通い初めて2ヶ月ほどたった頃、お医者さんにそう言われた。
今思えば違和感があるけど、医者の言うことは絶対と思っていたので、
「そーなんだ(´∀`)じゃあ大丈夫じゃん」
と思って疑わなかった
それからというもの、
「肩こり」という診断と現状の苦しみのギャップに悩まされた
首の骨中に異物がへばりついているような違和感とキツいヘルメットをかぶっているような頭痛が日時茶飯事で、自分が知ってる肩こりとは違った
でも言葉というのは不思議なもので、
ただの肩こりなんだから、こんなん大したことないんだ、と思い込んでしまった
そして、ただの肩凝りでひどく悩んでしまう自分の方がおかしいんだと思った
「ただの肩こり」と書いたが私の痛みが肩こりでもむちうちでも、やはり首や肩が痛いというのは致命的に不便で辛い
働く
家事をする
電車の揺れに耐える
荷物を持つ
運動する
人と話す
映画を見る
絵を描く
カレーを作る
何をするのも首が疲れるので、常にやりたいことと健康のトレードオフの人生が始まった
何より、「痛い」ということがシンプルに辛いのだ
心の持ちようでどうにかなる問題でもない
人に話してもどうにもならない
「つ・ら・い」という3文字で頭の中がいっぱいになって、悪化する度に泣きながら寝ていた
痛みはすごく人の思考をネガティヴにする
一生治らないかも
仕事はどうしよう
やりたいことも諦めなきゃいけない
私の人生はお先真っ暗だ
単にその痛みだけじゃなくて、いつ治るかわからない不安と絶望も込みで痛かった
最初は周りの人に愚痴を聞いてもらっていたが、あまりに治らなくて周りに同じ話する度に申し訳なくなって辛かった
いつまでも同じ悩みを持ち続ける自分が前に進んでいないように思えて悔しかった
1人で抱え込むようになっていたある日、友達と遊んだ帰り際の駅のホームで、
「首が痛くて最近すごく辛いんだ」
と思わずこぼした
ごくシンプルな短い一言だが、この言葉を言うのにすごく重い重しが乗っかっていたことに、言葉を放ってから気づいた
同じ話だって何度でも聞きたいよ、と言って
抱きしめてくれた友達にとても救われた
涙が出てきて、私は孤独だったんだと気づいた
こんなふうに誰かに辛さを深く受け止められるまで、辛い気持ちは輪郭を持たないままふわふわと漂い、かといって消えるわけでもなくて、救われない気持ちになる
でも、そんな辛さに向き合ってきた経験のある人は似た悩みを持つ人の心の奥深くにある何かを引き出して抱きしめてあげることができるかもしれない
だから、自分の感情を大切にすることは誰かと深く繋がることでもあると思う
言いようのない辛さにぶつかった時は、新たな痛み言語化のパイオニアになったつもりで堂々と悩もうと思った