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感情を爆発させる尊さ【2025.2.28】
本日はごはんつくりの日。
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最近の流れで、「ごはんつくりする人〜?」「やらな〜い」が定番化しつつあるのですが、今日もたぶん実際に始まったら、気になってやってくる子がいるだろう作戦で、東屋でごはんつくりスタート。
すると、切り始める前からすでに女子二人が「やる〜」と準備から手伝い出す。
子どもの感情とか気持ちとかモチベーションとかは、変幻自在なんだなと思う。でも、たぶん誰もそれをコントロールはできない。おそらく本人でさえも。
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ごはんつくりしない組はこちらで泥遊び。
女子たちは一緒になにかするのが楽しくて、「一緒」が嬉しい感じ。でもこの時の年中彼女は他の女子たちのごはんつくりには行かず、泥遊びを選択。
ああ、しっかりと自分で決めて自分で選んでいるんだなと改めて思う。
些細なことなのかもしれないけれど、すごいなと思う。
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同じ机でみんなで食べるのが美味しい。
年少彼女が年少彼によりすぎて、食べにくそうやなぁと思うのは大人だからか。
本人たちはそんなことまったく関係なく、楽しそうに食べている。
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お昼ごはんのお片付けしていたら、なにやら喧嘩する声が。
見ると、年少彼と準やま彼女が、どっちが三輪車を押すのかでもめている。どちらも譲らない二人。
年少彼が大きな声で泣いて怒っていた。それを受けて準やま彼女も怒っていた。
こうした子どもたちの姿を、私たちはすごいなぁ、尊いなぁと思って見守っています。
でも、お迎えに来た母たちにそのことを話して、母たちはどう思っているのだろうと、ふと思いました。
こちらの真意はちゃんと伝わっているのかなと。と同時にどうして子どもたちの喧嘩を尊いと思うのだろう、とも。
たぶん、自分の感情をストレートに爆発させる姿に、感動しているのだと思います。その怒って泣いている姿が、「私は今、ここに生きている!」と叫んでいるように思えるのです。「人間」をそこにすごく感じるのです。
だから、喧嘩する姿に感動しているのだと思います。
よーわかりませんが。
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そして、だいたいが、どれだけ激しい喧嘩をしたとしても、すぐに一緒に遊んでいるのが、やまぼうしあるある。
むしろ、絆が深まることもしばしば。と思いきや、ぜんぜんいつものと変わらないことも多々。
喧嘩は子どもたちにとっては日常なのだなと思う瞬間でもあります。
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ネットにシートを持ち込み、秘密基地つくり。
自分たちでやったのに、すみごこちはよくなかったようで、ブーブー言いながら出てきていました。
今週もたっぷり遊んだやまぼっこたち。
来週もいっぱい遊びましょう。