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失語症を何とかして克服したい(4)
文章を作ることは、意外に難しい。文章といっても書く文章ではなく話す文章だ。失語症になってからは、登場人物が多かったり、事柄が複雑だったりすると上手く説明できないケースが多く、困難に直面することも多々ある。
リハビリでは2コマや4コマの漫画を見て、情景を描写する訓練がある。これがなかなか難しい。
さて、私はこれに取り組むにあたって二つの課題を課した。一つは出来るだけ文章を簡略化すること。もう一つはオチをつけるということだ。
以下が例題。漫画もあったほうが分かりやすいのでイラストも描いてみた。
「サラリーマンの男の人が、家族にプレゼントを買おうと急いでいた。しかし、帰りが遅くなったせいで、店が閉まっており、男の人はプレゼントを買うことが出来なかった。」
結構上手く描写できたと思う。オチは弱いが課題のせいにする。
では、次はどうだろうか。
「お母さんが、魚を2匹焼いている。後で猫がお腹を空かしてその魚を狙っている。焼いている魚の他に、これから焼く予定の魚があって、その生の魚に気付いた猫は、お母さんの隙を突いてその魚を咥えて逃げた。」
この描写、内容は正しいと思うが、どこかスッキリとまとまっていない。オチも無い。
言語聴覚士の先生によると、内容のスリム化が必要なのと、正しい言葉選びが適切ではないとのこと。因みに先生のお手本はこうだ。
「魚を2匹焼いているお母さんがよそ見した隙に、お腹を空かせた猫が、まだ焼く前の別の魚を1匹咥えて逃げた。サザエさんかい。」
たしかに先生の文章は分かりやすいしスッキリしている。キーワードは「よそ見した隙に」だ。この言い回しのおかげで、描写が簡潔になり、かつ1つの文章にまとまった。オチもある。
失語症があるんだし、意味が通じれば充分じゃない?と言われそうだ。確かにその通りだとも思う。でも、自然な会話をしたいという欲求は、言葉を使う人間にとって重要なものだと思う。
人間は社会的動物などと言われるが、どこかの組織に属していたり、仲間と一緒に何か事を為したりするためには、言葉を操らないと相手には伝わらない。
また、ただ言葉で伝えるだけでは誤解を招く事もある。別に尊敬されたいわけでは無いが、話が上手い人は信用されたり、それこそ尊敬されたりする。つまり、言葉はそれほどにも重要なファクターなのだ。
だから私は課題を課して訓練を続ける。