たった4年の介護歴
食品メーカーに長年勤め
一念発起、四十を目前に介護業界へ身を投げた
とりあえず資格もとった
最初の会社は極小で、入った時にはレベルが知れた
責任者の、トップの、古株の理念も技術も
あったもんじゃなかった
凡そ介護はなんたるかを教えてもらった事など
一度もなかった つまり
なんたるかの真理ではなく
なんたるかの矜恃を一切持ち得ていなかったのである
案の定、利用者は沈み
姥捨山と化していた
こんなはずではないと思いつつ
資格も取得のための踏み台にしてやろうと
懸命に”利用者と”我慢した
そして共に日々沈んでいった
引き延ばされて引き延ばされて
やっと辞めることができた
学びたいと、介護を純粋に学びたいと
新しい職場では新規訪問事業が立ち上がろうとしていた
新規契約数がみるみる増え 忙殺されていった
そこに福祉はなく ビジネスだけがあった
結果は利用者の生活に属するはずのものが
契約数にあった ただ忙しく時間だけが相殺されていった
そして単独事故を起こし
1ヶ月の療養を余儀なくされている
ケジメを付けるために慰留を辞退した
たった4.5年でしかない業界経験
私は何を学んだろう
人生の先輩である利用者たち
ある人はありがとうを惜しみなくくれた
また別の人は、激しく私を否定した
私はありがとうを手に握りしめ
かつ否定も傷として心に刻みつけ謝り倒した
ある時は家人を前にして
ある時はゴミ屋敷の床に額づいて
そしてある日ふと
私を褒める人も 貶す人も
等価なものとして イコールになった
利用者だけでなく
優しい同僚 そうでない同僚然り
それは悟りなどではなく
ただ私のネジが幾つか遺失しただけかもしれない
それでいい、本気でそう思えた
これから先は見えない
ただ私は 全ての人、もの、こと、に
優劣をつける事の不毛さを学んだ
あの利用者は私を覚えているだろうか
今日も一人ゴミのなかで寝ている貴方
私も貴方と一緒、現代のゴミのなかで
明日を迎えます