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コミュニケーションの解像度
たとえば「おはようございます」という挨拶ひとつに、どんな段取りがあるかを考えます。
相手に対する事前情報の引き出しを開けて、発言前に遠くから様子観察をして、近づいて声をかける直前に相手と目があってそのリアクションを返して、その後に続ける言葉を考えながら「おはようございます」と声をかけて、伝えたい気持ちと言葉の量を調整しながらも相手が発信しやすい姿勢をとって受信もして、今後につながるよう気持ちよく締めて、心を置いて立ち去る。
たった1分くらいの間に、意識的、または無意識にこれだけの段取りを私たちはこなしています。
だから役者は、台本から台詞ひとつを発言する際に、これだけの、もしくはこれ以上の段取りがなくてはいけないわけです。でも、忘れてはけないのは、役者がセリフを言うときに行うこれらの段取りは役者ではなく≪役(キャラクター)≫が行う段取りだということ。だって舞台に居て、物語があって、照明音響などのきっかけもあって、タスクは山盛りなわけですから、これとは別に、役者には役者の段取りを考えながら動かなくてはいけません。それこそ無意識レベルで。
あ、そうだ。それだけじゃないですね。
≪役(キャラクター)≫には≪設定≫がありました。
役者は、台詞ひとつの段取りに対して、フィルターを通すようにそれらの設定(情報)を反映させていかねければいけない。だから、台詞を伴う演技とは、「設定フィルターを通しながらコミュニケーションをとること」なのかもしれないです。それを舞台上で空間把握しながら行うのが、役者のお仕事なのかもしれない。
それで、タイトルにもどりますが、これらのことから役者にとって「コミュニケーションの解像度」が演技力にもろに現れるのでないかと思うのです。役者だけじゃないかも。演出、脚本、コミュニケーションのクリエイターたちにはそうでしょう。つまりは、コミュ力の限界がクリエイトの限界ということです。
なにその残酷な話。
でも逆言えば、演技においてのコミュニケーションの解像度を上げるトレーニングをすれば、おのずとコミュ力もついてくる、ということですよね。だから教育現場で、演技・演劇が海外では使われているわけで。(日本ではあまり進んではいませんが。)
とはいえ、自分のコミュ力や、クリエイトにおけるコミュニケーションの解像度があるのかよくわからない。どうすれば自分の実力がわかり、どうすればトレーニングできるのだろう。
今後、演劇実験室で考えていきたいと思います。