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20230203

前回、新原田橋を初めてこの目で見てから3ヶ月ほどが経過。
作品という形に残すことを意識して、ビデオカメラ片手に再度現地を訪れてみた。
そもそも、そこで何が起きていたのかを感じたい、という動機と、それを何らかの仕方で記録に残すことの間には、絶妙な「嘘」が顔を覗かせる。
「嘘」が真面目な顔をして「ちょっと待ってよ、それって、、、」と話しかけてきそうだ。
それでも、橋を、周囲をもう一つの目で捉えてきた。
立派な橋は、「安心安全」という顔をして、また、それゆえにこれまでの数々の体験を暗示しながら、日本有数の河川に脚を降ろす。
河原に生えている樹木もまた、下流に体を傾けながら、これまでの大水の激しさについてあれこれ語ってくれている。
人口減少の進む山間地域。
この橋を架けるのにかけられる費用は。
私のいらぬ心配をよそに、車が通る。
離れた場所から眺めていると、その「音」すら聞こえない。
GW、テレビで高速道路の渋滞情報でも見ているかのような不思議な世界。
右手と左手に見える仮設道路の跡が現実へと引き戻す。
もし、突然にゲリラ豪雨が発生したら、ダムの放流に気づかずにいたら。
どちらも2月の小雨期に想像することではないが、、
帰りがけ、河原に積まれた石の構造物を見る。
この遊びの延長に、崩れにくい土地とそうではない場所、住める土地と危険を伴う地域、など、生きることとダイレクトに繋がる事象を判別するための身体性が形成されていくように感じた。
石の上にどのような石をどのように積むのか。
立派な橋もまた、しっかりと積み上げられていた。

鈴木

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