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安曇野新潟

相変わらず、どうやって開いていくのかを考えている。
「旧門谷小学校での活動」と「山」を。

旧門谷小学校のある愛知県新城市には、豊川(とよがわ)が流れている。
北設楽郡設楽町を水源とし、愛知県東部を縦断しながら、豊橋市、三河湾へと注ぐ。
歴史的に知られる長篠城趾のある地点で宇連川(うれがわ)と豊川が合流し、豊川は一本となって豊橋方面へとつながっていくが、その地点の上流部分の豊川を、地元では寒狭川(かんさがわ)と呼ぶことが多い。
旧門谷小学校の脇には、音為川(おとなすがわ)という小さな河川が流れており、こちらは寒狭川へと流れ込む。
つまり、音為川は豊川の支流の一つということになる。
水の流れを辿れば、旧門谷小学校のある新城市門谷地区は三河湾へとつながっているのだ。
生活レベルでも、山と呼ばれる上流域は下流域とダイレクトにつながっていて、この地域だとダムの話が分かりやすいだろうか。
豊川水系には宇連ダムと大島ダムがあり、現在は設楽ダムが建設途中だ。
これらにより流域の水はコントロールされていて、災害を防ぐだけでなく、下流では農業用水、工業用水等に活用されている。
山と下流の人口集中地域は密接に結びついているわけだ。
ただ、それはなかなかに見えづらい。
この地域の谷が非常に深く、見通しが悪いからだろうか。
目の前にある川がどこに流れていってるのか。
雨が大量に降った時、この下流ではどんなことが起きているのだろうか。
壁のように視界を遮る山肌が、曲がりくねって視界から消える河川が、その先の世界に蓋をし、想像する力を奪っているのかもしれない。
本当に大切な全体の関係は、なかなかに見えづらい。

と、前置きが長くなってしまったが。
長野県安曇野市の地形と視界はとてもクリアだった。
人の暮らす平らな土地へと流れてくる、人の生にとって欠かせない水がどこからやってきているのか。
開けたその土地柄が、周囲に広がる山脈と人の暮らす河川周辺の空間との関係をとても見えやすくしているように感じられた。
この土地では、水の恐ろしさもありがたさも、どちらも手に取るように感じられるのではないかと。
11/4、長峰山展望台から見下ろした犀川(さいがわ)を望む景色は、視界の開けたその場所は、私にそんな眺めを与えてくれた。

このように、山を巡る水の話やつながりの話、視界のことを考えていると、美術のことにも結びついていくように思う。

美術作品は観ることを基本としている。
ただし、作品それだけをただ眺めているわけではなく、その背景であったり、世界であったりが感じ取られた時、ようやく満足感に浸れるだろう。
絵画でも彫刻でもインスタレーションでも、作品を鑑賞する中で、その背景にある考えやものの見方に同調し、見える世界が広がったり変化した経験はないだろうか。
どんな作品も、ある広がりの中の入り口としてあるように思う。
そんな風に考えていると、この広がりやつながりのようなものこそ、やはり大切にしなければいけない、と感じられてくる。

これまで、旧門谷小学校という一地点で展覧会を開催してきた。
それはそれで大切なこと。
しかし、場所に固執してしまうことは、壁のように視界を遮る山肌、曲がりくねって視界から消える河川、に似て、その先の世界に蓋をし、閉じてしまうことにもなりかねない。
旧門谷小学校もまた、いろんな場所とつながっている一地点であって、広域な意識で捉えていく必要があるのかもしれない。
そもそも、山などは明確な範囲がなく、上流域から下流域までを山と見なすこともできる。
このモデルを、美術の中にも当てはめることができたら面白いかもしれない。

安曇野の犀川。
あの川は下流へと流れ、長野市で千曲川と合流し、さらに新潟県に入って信濃川となり、新潟市で日本海へと注ぐ。
それはちょっと広域過ぎるけれど、そのつながりもまた現実として重みがある。

鈴木

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