巡る血液、芸術と生命
昨日 5.26[火]松本市美術館(以下、市美)が「一部再開」された。2.25[火]に松本保健所管内で初の感染者が確認されたことを受け、3.4[水]臨時休館。その後、3.25[水]にはいったん営業を再開したものの、翌日再び臨時休館。それ以来の(当然ながら感染症対策を徹底した上での)「一部再開」だ。その概要は、次のとおり。
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▼ 開館範囲|企画展示室のみ [高校生以上一律500円]
▼ 事前申込制[90分間入替制/1日4回/各回定員20名]
# 01 _ 9:30-11:00
# 02 _ 11:30-13:00
# 03 _ 13:30-15:00
# 04 _ 15:30-17:00
▼ 申込方法|
▽ 公式サイト|http://matsumoto-artmuse.jp/
▽ TEL|0263-39-7400 [9:00-17:00 受付]
※ - 5月末日|予約終了[6月以降|調整中]
▼ 対象|松本広域連合構成市村[松本市/塩尻市/安曇野市/麻績村/生坂村/山形村/朝日村/筑北村]在住
※ 入館時検温あり / 要マスク着用
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長野県としては、5.14[木]夜の緊急事態措置解除の翌日に、知事が「ステイ信州」を発表。5.25[月]夜に同措置が全国で全面解除されたあとも、月末までは県境を跨ぐ移動を控えるよう呼び掛けている。ただ、裏を返せば(県内に10ある広域圏を跨いだ)県内の移動については緩和され、県内における経済活動の再開を促す指針ともいえる。その中にあって、今回、市美が来館対象を広域松本圏内に留めて再始動したという事実は、もう一歩慎重な市の姿勢を示すもので、個人としては共感するし、栞日の「段階的緩和」を検討する際にも、ひとつの参考にしたいと感じた。
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現在開催中の企画展は、本来であれば4.18[土]に初日を迎える予定だった「柚木沙弥郎のいま」。(ひとつ前の投稿に詳しい)「工芸の五月」関連企画だ(いま市美のサイトを確認したら、会期終了日が当初の6.7[日]から7.12[日]に延長されていた)。開催決定のそのときから、心待ちにしていた企画だっただけに、たまらずすぐさま予約して、店が定休日だったきょう、妻とふたり、訪れた。
柚木沙弥郎さんは、云わずもがな、97歳にして現役かつ最先端をいく染色家。その世界に入るきっかけとなったのが、民藝運動の中心にもいた染色家、芹沢銈介だ。芹沢の出身と創作の拠点が、僕の故郷、静岡県静岡市だったことから、僕は幼少期から家中や街場で(それと知らずに)芹沢作品に触れていた。柚木さんの作品をそれと認識したのは、恥ずかしながら(2013年末に)松本に越してきたあとのことで、(惜しくも2017年初夏に閉店した)とんかつとカレーの名店〈たくま〉を初めて訪れ、そのメニューを眺めたときであり、松本が誇る和洋菓子店〈開運堂〉を訪ね、秀逸なデザインの包装紙の数々に触れたときだったのだが、僕は心のどこかで芹沢作品を思い出し、懐かしさを感じたことを、いまもよく覚えている。(東京で生まれ育ちながらも、18歳からの2年間を旧制松本高等学校(現信州大)で過ごした柚木さんは、戦後、父の故郷、倉敷の大原美術館に就職。そこで民藝と出会い、民藝運動が盛んだった松本の地にも、再び、そして度々訪れることになる。松本民芸館を創設した丸山太郎の生家でもある、中町通り〈ちきりや工芸店〉では繰り返し個展を開催している)
久々に「美術館」という空間に身を置いて、表現と静かに向き合う時間に身を委ねたとき、僕は自分の体内で、こずんでいた血液がどくんどくんと力強く巡っていく音を確かに聴いた。そして、人間が生きていくうえで、芸術がいかに必要な栄養であるかを体感した(2017年1月に訪れた日本民藝館で心を鷲掴みにされた作品『いのちの旗じるし2014(まゆ玉/青すじ黒すじ)』に、ここ松本で再び出会い、やはり心を射抜かれたことが、何よりも嬉しかった)。
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展示室の入口に掲げられた、柚木さんの言葉が忘れられない。
美しい町には、ほんとうのくらしがある筈です。先人たちが作ったこの風格のある松本を、今を生きる町として世界に向って文化の発信地として育て上げて欲しいと思います。
僕は、胸の奥で、精一杯大きな声で「はいっ!」と叫んでいた。