表現者が拓く次の地平
〈L PACK.〉と串田さんの対談は、思いがけず「経済」の話に及んだ。きょうの午前中にライブ配信した「L PACK.の松本滞在記2020」(vol.04)でのひと幕だ。毎年「工芸の五月」開催期間中の松本にやってきて、「池上喫水社」などのインスタレーション展示を行なっている、アーティストユニット〈L PACK.〉が、今年はリアルな移動が叶わないから、オンラインで松本を訪れ、あの人この人に会いに行く、という同企画。「せっかくの機会だから、例年は松本に行っても会って話すことが少ない人とも話してみたい」というふたりのリクエストを受けて、串田さんをゲストに推したのは僕だった。
きょうのトークで串田さん自身も振り返って語っていたが、2017年の「六九クラフトストリート」の連続トークで、そのディレクターで木工デザイナーの三谷龍二さんが、〈minä perhonen〉代表の皆川明さん、そして串田さんをゲストに招き、「都市と地方」というテーマで鼎談した機会があった。あのとき会場に訪れ話を聴いていた僕は、フィールドが異なる表現者たちの言葉の重ね合いが、こんなにも刺激的で創造的な時間を生み出すことに圧倒され、また、大きな可能性を感じた。だから〈L PACK.〉のふたりにも「串田さんと話してみてほしい」と提案した。
「この状況下で串田さんも、公演や活動の機会をずいぶん制約されているのではないでしょうか」という〈L PACK.〉からの質問に、きのうからあがたの森の池に浮かぶ東屋で、ひとり芝居『月夜のファウスト』を始めた串田さんが、その感想も交えつつ応じた場面。「演劇は、これまでずっと、誰かとの関係性の中でつくってきた。小さな社会性、不自由な自由を伴って、構築していくものだった。それが今回ぜんぶ独りでやることになって、困惑も大きかったし苦労も多かったけれど、きのう、少ない人数とはいえお客さんの前に立ったとき、『これは演劇だ』って思った。独りだけど、やっぱり独りじゃない」。串田さんは続ける。「きっと、この状況が終息して安定したら、大劇場でやるスペクタクルな舞台は復活する。でも、それと同時に、すぐ始められていつでもやめられるような小さな芝居も、スタイルのひとつとして、残っていったらよいと思う」。
そうなのだ。僕は何度も頷きながら、串田さんの話を聴いていた。僕が目指したい世界も、まさにそのバランスの上にこそ成り立つ。今回のコロナ禍で、さまざまな業種の人たちが、オルタナティブな働き方や表現方法を、模索して実践することを迫られた。例えばそれが、オフィスワーカーにおいてはリモートワークであったし、飲食店においてはテイクアウトでありデリバリーであったし、小売店や工芸作家においてはオンラインストアやオンライン受注会であったし、音楽家や美術家においてはライブ配信やオンライン展示であった(そして、観光業においては、それが「マイクロツーリズム」、なのかもしれない)。ただ、それらのオルタナティブが、「ウィズ・コロナ」と呼ばれる時期(まさに、いま)の「つなぎ」として使い捨てられてしまう(それすら「消費」されてしまう)のであれば、「アフター・コロナ」のフェーズに入った途端「もういらないや」と忘れ去られてしまうのであれば、僕は「もったいない」と思う(それでは、本来の意味における「ポスト・コロナ」という「時代」の扉を開けたことにはならないはずだ)。どうしようもなく「逆戻り」を果たそうとする、大きな「経済」の大きな濁流。その豪流を巧くいなしながら、もう1本のせせらぎを、どうやって涸らさずに、こんこんと湧き続けるたくましい水脈として、育むことができるのか。それこそが、いま僕らが、領域や立場を超えて、立ち向かうべき課題なのではないだろうか。
「経済そのものも変わらないと」と串田さん。今回のひとり芝居を、いわゆる「投げ銭」方式でやってみた結果、「投げ銭の芝居」には不慣れな観客の戸惑いに気づき、と同時に、そこにこそ、いわば「あたらしい経済」の可能性を感じた様子。話してくれたのは、串田さんも(きっと父、孫一さんからだろうか)聴いたのであろう、戦前の浅草にあった酒場の物語。「五寸釘がドンッとテーブルの裏から逆さに打ってあって(天板から)飛び出してるの。で、勘定書が来たときに、お金のない連中は(その釘に伝票を)ズンッと挿して(帰って)いくの。でも、いつか誰かがガサッてまとめて払っていく。どっかの金持ちが『しょうがねぇなぁ。でも今夜はアイツらからいい話が聴けたし、愉しかったしなぁ』とか云いながらね。だから店もつぶれない」。あぁ、いいなぁ、理想的だなぁ、と僕は唸る。僕が志す「親密な経済」の原風景を、串田さんの語りを通じて見せてもらった思いだ。同じ地域に暮らす人と人との間に築かれた信頼関係に基づく、「人間味のある経済」「人間くさい経済」「ひとなつこい経済」。そんな景色を、僕らは目指せないものだろうか。