続・栞日の別解
(つづき)
続いて、後者。こちらは至ってシンプルです。この窮地に追い込まれて、ようやく僕が「企画・編集・執筆」を「職業」として表明することに腹を括った、という話。これらの行為を「仕事」として実施することに伴う責任を引き受ける覚悟が決まった、という話。
前述したとおり僕は、七年前に栞日を「国内の独立系出版物を中心に扱う本屋」にしよう、と決めたときからずっと、「いつか本(メディア)をつくる側にも立ってみたい」という憧れを抱き続けてきました。ただ、もちろん、どこかの出版社や編プロで下積みや修行をした経験があるわけでもないズブの素人が、肩書きとして「企画・編集・執筆」を掲げることなど、プロの諸先輩方に対して恐れ多く、おこがましく、とてもできやしない、と縮こまり、明言することは避けてきました。そして、言葉は、ときとして、どんな刃物よりも鋭く人を傷つけ、強烈な影響を与え得るものだから、それをいわば商売道具として扱うことに、踏み出す勇気もありませんでした。
でも、今回のコロナ禍で、当面は店の収益を期待できない(してはいけない)という現実を突きつけられ、それでも家族とスタッフが食べて生き延びていくためには、何か別の収入源を確保しなくてはならない(それも、持続可能な方法で)、と迫られたとき、思ったのです。それならば、なぜ、書店員のアルバイト経験さえ皆無だった自分が「本屋」を名乗ることを、あのときは躊躇わなかったのだろう、と。いや、答えは考えるまでもなく単純で、「勢いがすべてに勝っていた」という、ただそれだけなのだと思います。世間知らずで向こうみずだった二十六歳当時の自分に、むしろ惚れ惚れしてしまいました。やるじゃん、って。
ということで、七年前の自分に「やりたいことは、やりなさい」と叱られて、僕は宣言することに決めました。「企画・編集・執筆」を仕事にします。ディレクターなめんな、編集者なめんな、ライターなめんな、という諸先輩方からの温かな叱咤激励、お待ちしております。大歓迎です。糧にして、前に進みます。
何の実績もない僕ですが、万が一にでも「この企画、アイツにディレクションさせてみるか」とか「編集メンバーに加えてやるか」とか「この記事、書かせてみるか」とか、思い浮かべてくださったならば、個人、団体、企業、行政、どなたさまも、ご連絡ください(料金の相場が全く判らないので、ご指導ください)。この逆境下でルーキーになるという道も、なかなか燃えるものがあります(手始めに、いまさらすぎるアクションですが、このnoteを始めてみました。これまでにSNSで投稿したコロナ関連の記事を、ひとまず整理してあります。よろしければお付き合いください)
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「東アジアのハブ」にしても「企画・編集・執筆」にしても、いやいやいや、いまそんな大言壮語を吐かなくていいから、守るべきものを手堅く守っておきなさい、と周囲の親しい友人たちが口を揃えて諫めてくれると思うのですが、ごめんなさい、「攻撃は最大の防御なり」ということで、攻めます。
菊地徹 / 栞日
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(写真は、長野県の文化情報発信サイト「CULTURE.NAGANO」の新連載「creative.nagano」に掲載していただいた際のもの。ディレクターの今井浩一さん、大切な初回の記事に選んでいただき、ありがとうございました)
photo _ 平林岳志