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あれから3ヶ月

長野市を拠点に県内各所で、それぞれの地域の課題解決に向けて、伴奏役を担っている、友人でディレクターのタッキーこと瀧内貫さんから、「場のあり方の話」を聞かせてほしい、とご指名いただいたのは、3.25[水]のことだった。その翌週 4.1[水]の朝、僕は妻とドライブがてら長野市にタッキーの事務所を訪ね、僕と同じようにタッキーから声をかけられた、ゲストハウス〈1166バックパッカーズ〉の代表、飯室織絵さんと対談した。

当時、都内を中心に、大都市では感染拡大傾向が強まっていた一方、長野県内での感染確認は8名に留まり、長野市ではまだひとりも確認されていなかった(ちょうど対談当日に、長野市でひとりめの確認が発表された)。ただ、松本保健所管内では、その8名のうち5名が確認されていたため、松本市内では住民の間で外出自粛のムードが高まり、と同時に、街場にも奇妙な緊張感が漂っていた。栞日の来客数も売上も目に見えて急降下を続けていたから、その日、対談を終えたあと、(本来であれば大いに話題になって、県内外からの来店で混雑していたであろう)善光寺の仲見世通りにオープンしたばかりのスターバックスに立ち寄ったとき、(とはいえある程度は)賑わっている店内でアイスコーヒーを啜りながら、同じ県内でもこうも違うものか、と感じたことを、よく覚えている(思えば、あの日から今日まで、僕は一度も松本の外に出ていない)。

その週末、あの春分の日の3連休から2週間が経過して、都内における感染拡大の実態が露呈した。4.7[火]、政府が東京、大阪など7都府県に緊急事態宣言を発令。4.16[木]、緊急事態措置の対象を全国に拡大。長野県内でも感染確認が相次ぎ、息の詰まるような4月と、無音無風の大型連休が、日に日に疲弊していく街場を横目に、通り過ぎていった。

後手後手に粗末な対応(対応とも呼びたくない愚策)を繰り出す傍ら、経済復興だけは急く政府が、大型連休の後半 5.4[月]には、緊急事態措置を月末まで延長する旨を発表しつつ、休業要請の一部を緩和。翌週 5.14[木]には、長野県を含む39県で緊急事態宣言を解除。結局、延長した先の月末を待たずして 5.25[月]には、東京を含む全国で同宣言を解除した。その後も、日程ありきの段階的緩和を前のめりに踏み倒して、6.19[金]には、都道府県を跨ぐ移動も全国で全面的な解除に至った。

それから2度目の週末。確かに街場には人の気配が戻りつつある。旅行者であろう人たちの姿も散見するようになった。でも、ときおり不気味な動きを見せる都内や各地の感染者数に、誰もが一方では怯えている。動く側も、受け入れる側も、互いに手探りで夜道を彷徨うような毎日だから、やはり心は休まらない。「新しい生活様式」「新しい日常」というフレーズがあらゆるメディアで踊る度、僕は強烈な違和感を覚える(もはや嫌悪感だ)。

この先も当面は続くであろうウィズコロナの状況下で、僕ら「場」を営む者は、それぞれの「場」をどう捉え、どう開き、あるいは閉じればよいのだろうか。この宙ぶらりんの、生殺しの状態で、それでも自らの「場」をアップデートしていくためには、いったいどんな未来を信じ、どこに希望を見出して、何から手をつければよいのだろう。まだまだ「もがき」の只中にいる僕らが、この3ヶ月間を経て、今週、再び言葉を交える。きっと、明確な答えは出ない。そもそも、どこにも「正解」などない。でも、こうして言葉を交え、アイデアを交わし、考える歩みをとめないことが、僕らが見たい次の時代の風景につながっていると信じたい。これからの、そしてポストコロナの、リアルな「場」のあり方に、自分なりの「別解」を求めるならば、不格好に悶えもがきながらでも、投げ出さずに模索し続ける、この暗闇の中でしか、その実像を結ぶ光たちとは出会えないはずだから。


 TALK「場のあり方の話、の3ヶ月後」

▼ 日時|2020.7.1[水]10:00-11:30
▼ 対談|飯室織絵[1166バックパッカーズ]× 菊地徹[栞日]
▼ 進行|瀧内貫[コトト/ミリグラム]
▼ 配信|Zoom[要予約]
▼ 予約|https://forms.gle/CFzaZyG8cvDT3jRA9
▼ 料金|無料

写真提供 _ コトト

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