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幕があがる。
栞日を出てほんのすこし東に進むと、同じ通りの同じ側に「まつもと市民芸術館」がある。伊東豊雄建築としても名高いこの劇場には「トップガーデン」と名付けられた芝の屋上があって、公園のように誰もが自由に出入りできる。西に北アルプス、東に美ヶ原の山並みを望む、絶好のビュースポットだ。僕は事務作業や執筆が煮詰まると、決まって店から抜け出してこのトップガーデンにのぼり、山と空を眺め、呼吸を整える。最寄りの、とびきりのエスケープ先だ。
ー その劇場は、きのうから大型連休明けまで、此度の「緊急事態宣言」を受けて休館となり、僕の大切なエスケープ先も奪われてしまった。いよいよこの現実が恨めしい。
この「まつもと市民芸術館」では年に数回、広報誌『幕があがる。』を発行している。2004年の開館直前に創刊してから号数を重ね、いまや54冊目。同館が主催・共催する公演のレポートと予告が中心ではあるが、その切り口の巧みさ故、公共文化施設の広報物としては驚くほど親しみやすい。純粋に「読みもの」として、おもしろいのだ。それはひとえに、同館芸術監督で演出家・俳優の串田和美さんが「劇場を街に開く」という考えの持ち主で、そのための意思伝達手段として「本」を重要視しているおかげだ。そしてそれは間違いなく、串田さんの父、孫一さんが、文筆に勤しみ、本と共に暮らす姿を、幼い頃から間近で見てきた影響だろう。
串田さんは栞日のいわば「常連さん」で、(それこそ僕とは逆に)よく劇場から抜け出してきては(と書いたら叱られるかしら)、二階に籠もって原稿を書いたり台本を読み込んだり、ときには誰かと打ち合わせしたりする。ひと息つくときには、カレーを食べたり珈琲をおかわりしたり、ときどき僕と雑談したりしてくれる。その雑談が積もり積もって、あれこれやりとりするうちに、気づいたら僕は『幕があがる。』の仲間に迎えられていた。
三号前から「街を耕す」と題した連載を書いている。初回は、この城下町が「芸術文化都市」と評される所以を僕なりに検証した(52号「山の麓に城と街」)。次いで台湾の各都市で進展する「文創」(文化創意。古きよきものから新しいものを生み出す)のムーブメントを引き合いに、この街の危うさを指摘(53号「継ぐ 繋ぐ 紡ぐ」)。結びには「古来種野菜」の多様性を継承する種採り農家の姿に倣い、多彩な文化が育まれる豊かな街の土壌を耕す「百姓」でありたい、と記した(54号「風が吹く街」)。ひとまず三部作のつもりで書き切ったので、次号以降は構想中だが、引き続き「街と文化」をテーマに綴っていけたら、と考えている。
「街を耕す」の題字と毎回の挿絵は、松本を拠点に活動する扇子ブランド〈vent de moe〉の小林萌さんに依頼した。栞日でもこれまでに二度、展覧会を開催していて、僕は彼女の最終的な表現としての扇子はもちろん、ひとつ手前にあるデザイン画としてのコラージュ作品に強く惹かれている。その繊細で美しく、それでいて大胆で逞しい創作の痕跡には、彼女の作家として生きる芯(あるいは覚悟)の強さが滲み出ていて、とても好きだ。普段の会話から、この街に対して抱く想いや、街を考察する視点にも、近しいものを感じていたから、この連載の挿絵は萌さんのほか考えられなかった。ちなみに最新号からは、彼女のパートナーでエディトリアルデザイナーの〈SURFACE〉コバヤシタケシさんが、誌面全体のデザインを担っている。
そして今号からは、奥付の「編集」に僕の名前も加わった。これまでも栞日として発行した出版物に編集で参加したことはあったが、それ以外ではこれが初めて。記念すべき編集の初仕事が、こんな貴重な、刺激的な現場で、幸せだ。この先の『幕があがる。』が、串田さんのイメージしている「芝居を観たこともない人が思わず手にとって、パラパラめくっているうちになぜか劇場に想いを馳せている」ような仕掛けとして、ますます機能していくように、僕なりの視点でポジティブな変化をもたらしていきたい。
ー 4.15[水]の信濃毎日新聞に串田さんのインタビューが掲載されていた。各地で文化施設の休館と公演中止が相次ぐ現状を受け、でも串田さんは「いま『きちんと絶望する』ことが必要」と説き「大自然の中に人間がいるという大前提を忘れてはならない」と訴えた。そして「各自の言葉で問い直し、考え続けるしかない」と。国民一人ひとりの「自己責任」と「自助努力」に委ね「自粛」にたなびかせることで、命令せずとも同調圧力だけで「右むけ右」を促す政権に、僕らが順応してしまうことが何よりも恐ろしい。それはポスト・コロナの日本国家を、串田さんが演劇を通じて繰り返し警鐘を鳴らしている「全体主義」の世界の中に、いまからせっせと建設していることにほかならない。今回のコロナ禍に陥って、2年前の冬に串田さんが演出したカレル・チャペック『白い病気』が頭をよぎった松本市民は、きっと少なくないはずだ。