湯屋チーフの弁当愛
〈栞日〉湯屋チーフとして日々、銭湯〈菊の湯〉の湯を沸かしてくれている、ひかるんこと山本ひかるが、フリーのイラストレーターであることは、これまでにも何度かお伝えしてきました。昨秋リニューアルしてからの〈菊の湯〉にお出かけいただいたみなさんや、〈菊の湯〉SNSアカウントをフォローしてくださっているみなさんは、きっと繰り返し彼女の温かみのあるイラストに触れていらっしゃることでしょう。けれど、ひかるんが「弁当愛好家」でもあることは、彼女の以前からの友人であるか、彼女の個人アカウントをフォローしていない限り、知り得ないことだったのではないでしょうか。
〈栞日STORE〉2F企画展示室では、この五月いっぱい、山本ひかるによる企画展「わっぱの追憶」を開催します。
箸を揃えて、お気に入りの布巾をキュッと結ぶ。さっきまで空っぽだった弁当箱に密度がつく。私はこの愛しい重みが大好きだ。両手に収まるこの箱に、私の1日の楽しみが詰まっている。
弁当は作ってすぐに食べられることはない。出来上がったら一度蓋をして、昼食時まで出番を待つ。その間に箱のなかでは、隣どおしのおかずが合わさって、新たな味わいが生まれていく。お昼時に蓋を開ける瞬間の高揚感も、旨味がしっかり染み付いた、最後の一粒のお米を口にしたときの満足感も、時を溜めた弁当だからこそ出せる幸福で、弁当箱にかかれば、冷えたごはんがこんなにも美味しい。
20歳のとき、東京の合羽橋で買ったわっぱ。決して上等なものではないけれど、無骨な手触りが気に入り、あれから7年間、私の毎日は、このわっぱにごはんを詰めることからはじまる。大学でデザインの勉強をしていたときも、建築現場で働いていたときも、薪窯でパンを焼いていたときも、イラストレーターとして各地の地図を書いていたときも、銭湯で湯を沸かしている今も、どこいても、このわっぱが私の生活の真ん中にあった。朝起きて、弁当をつめる。帰ってきて、弁当箱を洗う。この作業を淡々と繰り返してきた。このわっぱに詰められてきたものは、確かに今の私の血肉となっている。
8年目に突入した今年、中の板が剥がれてしまい、さすがにもう弁当として使えなくなってしまった。いびつな楕円形も、所々黒く色あせてしまったところも、愛おしくて仕方がない。鼻を近づけてみると、いつかのおかずたちの匂いがする。どれだけ洗っても拭きれない記憶が、このわっぱの中に詰まっているのだ。8年間使い続けたわっぱの追悼のために、一冊の本をつくりました。それに合わせて、これまで撮り続けたわっぱの写真の一部を展示しています。わっぱをつくっていたその時々の暮らしの背景について考察した作品もつくりました。お気軽にご覧いただければ幸いです。
山本ひかる
愛しのわっぱの追悼として制作され、また、この展示の図録としての役割も果たす本『手弁当』は、ひかるんが昨夏の終わりに松本に越してきてから、(僕らもまったく気づかないうちに)せっせと執筆を進め、(これまたいつの間に)市街地からすこし距離のある〈藤原印刷〉まで自転車で通い、打ち合わせを重ねた末に、完成を迎えた渾身の一冊。手間ひまかけてこさえられた、ギュッと詰まった弁当のごとく、ボリュームも色合いも味わいも満点です。
クリエイターとしてのひかるんのパワーに、そして、「弁当愛好家」としての(会場を訪れたみなさんは、あるいは「弁当箱愛好家」と思われるかも)ひかるんの愛情に、胸を打たれる展示と本が待っています。どうぞごゆっくり、ご賞味ください。
|EXHIBITION|山本ひかる「わっぱの追憶」
▼ 期間|2021.5.14[金]- 5.31[月]
▼ 会場|栞日STORE 2F 企画展示室[松本市深志3-7-8]