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草彅剛のインタビューを見てSMAPの素晴らしさについて改めて考えた話
おはようございます。やまたくです。
この記事は朝に書いていることが多いです。
朝早めの時間は誰にも邪魔されず自分のことに集中できる唯一の時間。
心にうつりゆく由無し事を取っ捕まえて
言語化してプリントアウトして眺めるようなそんな時間にしています。
でも、毎度毎度、虚無の囁きが耳元で聞こえてくるんです。
そこに意味はあるのか。
それは本当に正しいのか。
そんなことやってる場合なのか。
Yahooニュースでも見て気を紛らせるか。
不安、焦燥、疑念、怠慢。
いろんなものが手足に絡み付いてきて、気付けば歩く力は失われていく。
毎日はそんなノイズとの戦いのような気がします。
ノイズキャンセリングし意識をどれだけクリアに保てるか。
To be or not to be, that is the question.
あまりに有名なシェイスピアの「ハムレット」の一節における
"To be"は、このことを言っているような気が最近はしています。
だからこそ、うるせぇ、と一蹴できるような大胆さや
まぁいっか、と言えちゃう適当さや
ある種の諦めを持った人がなんとも羨ましく感じるのです。
というわけで、草彅くんのインタビューになんとも感銘を受けたという話です。
初耳学での草彅剛のインタビュー
小さい頃から母親の影響でSMAPが好きでした。
母はファンクラブにも入っていたのでライブにもよく行っていました。
母はSMAP解散直前の2015年の末に亡くなりました。
彼女がSMAPが存在しない世界というものを経験せずにこの世を去ったということには、なんとも不思議な巡り合わせを感じたりもします。
私はそんな母の傍らで全盛期の彼らをテレビで眺めていました。
SMAPは、私がアイドルやエンタメが好きになった原点とも言える存在で、彼らの物語が日本のエンタメの奥底にはずっと流れ続けているように思います。
先日、林先生の番組のインタビューで草彅剛くんが出ていました。
SMAPフリークの私は勿論、然(しか)とそれを視聴しました。
YouTubeにも期間限定ですが、その映像があがっています。
草彅くんはSMAPの中でも、初期はどちらかというと目立たない存在で
ドラマの主演がメンバーの中でも一番遅かったというのは有名な話です。
堀越高校の芸能コースに通っていたにも関わらず
仕事がまったく忙しくならず、無遅刻無欠席で皆勤賞を
獲ってしまったというエピソードがインタビューでも語られます。
彼は、そこから役者として大きな成長を遂げ、見事な逆転を成し遂げます。
5人それぞれの個性が一線級の輝きを放ち、
全員が集まることで超ド級のプレミア感を有するグループの姿が、
草彅くんのブレイクによって完成されたと言っても過言ではありません。
タモリの「普通でいいんだよ」
このインタビューでふつうに笑ってしまったのは、
35歳をきっかけにして、いろいろと考え方が変わったんだと語る中で
「それはどんなきっかけがだったのか」と問われたときのことです。
「酔っ払って裸になって捕まっちゃったんですよねぇ」
とストレートに答えていました。
と同時に、すごい人だなぁとあっけにも取られます。
自然体とはまさにこのこと。
撮影にも、基本的には一切準備をして来ないのだという。
あえて完璧を求めない姿勢。
しかし、そのことが何よりの彼の魅力になっています。
※そしてこの自粛期間中に高倉健から手紙をもらったというエピソードがまたどんでもないのですが
人生の中で大きいきっかけになった存在として
彼は、タモリの存在を挙げています。
バラエティ番組で面白いことが言いたいけど、
なかなかうまく話せないという草彅に対して
タモリはこのように声を掛けます。
「普通でいいんだよ。テレビなんていっぱい見てるんだから誰か一人が笑えばいいんだよ」
それ以来、肩の荷が下りたと言います。
さりげない言葉ですが、なんとも深みのある一言です。
完璧を求めなくて良い。普通で良い。
彼の自然体の所以が、この体験にあるといいいます。
不完全を肯定した「蒲田行進曲」
インタビュー後半戦。
もう一つの自身のブレイクスルーのきっかけ一つとして
彼はつかこうへい演出の舞台「蒲田行進曲」を挙げます。
与えられた役は、売れない役者のヤスという男。
台本はほぼなく、口立てで演出をつけていったという
後にも先にもない特殊な稽古を受けたといいます。
その中で、彼にこのような言葉を与えられます。
「君の中には魔物がいる。それがすごくいい。感情の扉を開こう」
SMAPの中でも仕事になかなか恵まれない自分自身の境遇が役に重なり、
焦りや不安、劣等感を舞台上にそのまま解放し表現したという。
そしてそれは彼の人生にとっても大事な一つの指針となります。
「つか先生のおかげで、足りないもの、不完全なものの中にその人なりの個性や輝きがあるんだよ、って教えてくれたような気がした」
「隣を見たら自分よりカッコよくて、歌が上手くて、踊りが上手な人がいる。でも不完全でもいいんだと思えた。それが自分の個性だと。」
「そっちの方が人生楽になるじゃないですかー!」とからっと言ってみせる草彅くんの姿は、なんとも天使的で心が洗われます。
すべての悩める人に見てほしい!!と思った瞬間の一つです。
SMAPがなぜ愛されたのか
なぜSMAPが国民に愛されたスターになりえたのか。
すべてが草彅くんの言葉に詰まっているような気がしました。
SMAPとは、”カッコよくてパーフェクトなアイドルの姿”とは
実は正反対の存在で、歪で不器用な集団だったのだと思います。
音痴なことを自虐する中居くん。
ダンスが苦手なことをネタにする吾郎ちゃん。
自身の取っ付きづらい雰囲気をコントにする木村くん。
ビストロSMAPの寸劇で三枚目のポジションを全うしていた慎吾ちゃん。
草彅くんだけじゃなく、5人それぞれの人間臭い、不完全な姿が垣間見えていましたよね。
しかしそのことが、彼らの個性となり魅力となっていました。
そして、グループとして集まることで、
強さを最大限に発揮し、弱さを相互に補い合うような関係性が成り立っていたのです。
彼らは決して雲の上の存在というのではなく、私たちが一般社会の中で同じように目指すべき理想のチームの姿だったのだと思います。
そして、彼らに
「No.1にならなくても良い。元々特別なOnly One」
「ひとりひとり違う種を持つ」
と歌わせたことに、とんでもない説得力が生まれたのです。
私たちの世代は小学生の頃に、金子みすゞの有名な詩を必ず学びます。
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私
みんなちがって、みんないい。
ゆとり教育と揶揄される世代でもありますが、
それぞれの個性を大切にするというのは、
私たちにとってとても重視されてきたことの一つです。
「世界に一つだけの花」を体現するSMAPの姿は
まさにその究極のお手本のように感じられます。
木村と中居と稲垣と香取、それから草彅。
みんなちがって、みんないい。
自分もそんなふうに生きれたらと願う。
だからこそ、彼らはずっと私たちの心の中にいるのです。