うんこは写真にうつらない
はじめまして。山ごろしと申します。
突然ですが、私は最近ものすごく退屈で、何をやっても上手くいく気がしないのです。新しいことを始めれば気分も晴れるかと思いnoteを始めたものの、何を書けばいいかサッパリ分かりません。
しかしだからといって、ここで諦めたら私はこの先の人生を暗い気分のまま、不完全燃焼のままで過ごし、死後に火葬されてもイマイチ燃え残ってしまうでしょう。ですのでここはいっそヤケクソになって、前からずっと考えていたことを共有させていただこうと思います。
うんこは、写真に写りません。
写真に写るわけがないでしょう。うんこが。見たことありますか? うんこの写真、見たことあります? 写真展に行って、うんこの写真が飾られてるの、見たことあります? お土産屋さんのポストカード売り場で、うんこの写真が印刷されたポストカード、見たことあります? ないですよね。ないじゃないですか。ねぇ、ほら。
しかしながら、「病院の検査で撮ったことがある」という方や、「健康の記録のために写真に残している」という方がいらっしゃることは想像に難くありません。けれどもそれは、その人のうんこに対する姿勢が真剣だからこそ、うんこのほうも応えているに違いないのです。
つまり、こういうことです。
健康目的でうんこを撮る→きちんとした写真スタジオに呼び出し、プロのカメラマンとして撮る。
それ以外の目的でうんこを撮る→「ちょちょ、写真とらね?」と道端で不用意にスマホのカメラを向ける。
分かりやすいですよね。人間でも前者の状況であれば「きちんと撮られなければ」という気持ちになりますが、後者だと「バッ、やめろってお前、おい~」と言って避けたくなりがちです。うんこ側の心理にも同じものが働いているんですね。
ということで、この記事でとりあげるのは後者のパターン。ちょっとしたお戯れで、「はい、チーズ」とうんこを撮る場合のことを書こうと思います。そしてそのようなシチュエーションで、あなたのうんこは写真に写りません。
※この記事に、「うんこの写真」は登場しません。安心してください。
◎うんこは都市伝説
はじめに確認しなければならないのは、「うんこは限りなく都市伝説に近い」ということです。困惑される方が多くいらっしゃると予想されますので、これから説明します。
まず、うんこの実在を確認することは非常に困難である、ということはご理解いただけるでしょうか。
「いやいや、自分のうんこくらい見たことあるよ」という方、そうですね。私も自分のうんこの姿は毎回なんとなく確認してしまいます。
しかし、それって本当にうんこですか?
うんこを目にしたとき、誰もが無意識のうちに「これはうんこだ」と認識するでしょう。しかし、あなたが見ているそれは、他者から見たときにも同じようにうんこなのでしょうか?
たとえば、あなたが赤ちゃんのお世話をしていて、おむつを替える場面があったとします。おむつを開いたとき、あなたは「これは赤ちゃんのうんこだ」と認識します。しかし、「うんこ」を知らない赤ちゃんはその物体について、こう思っているかもしれません。
「おや、これは一体何であろうか。何やら奇っ怪な物体だが、ひとまず私はこれを茶色の刺客、『ブラウン・アサシン』と呼ぶこととしよう」
この場合、あなたが「うんこ」だと思っているそれは、赤ちゃんにとっては「ブラウン・アサシン」です。これは赤ちゃんに限ったことではありません。今あなたの隣にいる人は、さっきあなたとすれ違った人は、あなたが「うんこ」だと思うものを「うんこ」とは思わないかもしれないのです。
そうなると、あなたの見たうんこが「本物のうんこ」だったとは言い難いですよね。
このことは、都市伝説と非常によく似ています。たとえば、高速道路を車で走っているとき、窓外を超スピードで走り抜ける生身のお婆さんとすれ違ったとします。
あなたはとっさに「マッハババアだ!」と叫ぶ。しかし助手席に座る友人には、「違うよ。ゴミ袋が飛んでいっただけさ」と言われてしまう。
マッハババア、口裂け女、トイレの花子さん……誰もが聞いたことはあるけれど、多くの人は実際に「本物」を見たことがありません。そして、都市伝説のほとんどは写真には写らない。心霊写真などとしてネットやテレビで取り上げられることはあっても、そんなことはごく稀です。都市伝説に似た性質をもつうんこにもまた、同じことが言えるでしょう。
これはやや蛇足ですが、小学生などの子どもたちから大きな支持を得ていることも、うんこと都市伝説の共通点ですね。
◎うんこは世間的に「あってはならない存在」
みなさんは、こんな言葉を耳にしたことがありませんか?
「○○さんはアイドルだから、トイレになんて行かない!」
どこかで一度は聞いたようなフレーズですね。しかしこのありふれたフレーズには、うんこ写真問題を語るうえで最も大切な観念が表れています。
トイレとは、○○さんのような清い存在がいてはならない場所、つまり、「不浄の地」である。
確かに、トイレが「清い土地」であるというイメージはありませんよね。ではなぜ、トイレは「不浄」だという扱いを受けているのでしょう。手洗い場があり、個室があり、穴のあいた椅子や庇のついた穴があるだけの空間だというのに。
もうお分かりですね。それは、「排泄物は汚いもの」だからです。
想像してください。来年小学生になるあなたのお子さんが、公園で「うんこ! うんこ!」と叫びながら走り回っています。そのときあなたは、どのように声をかけますか? 人によってさまざまには違いありませんが、おそらく多くの人が、このような言葉を鋭く投げかけるでしょう。
「こら! そんなこと大声で言わないの!」
うんこは、一般的には「汚い」「くさい」「下品」であると認識されています。もちろん最近では、うんこが絵本になったり、教材に登場したりといったこともあり、マイナスイメージからの脱却に光が差しているようにも思えます。しかし、やはりまだ「下品」という認識は根強いといえるでしょう。
その認識が正しいか正しくないかは置いておくとして、そのようなイメージが広く世間に伝わっている場合、それは「避けるべきもの」「人の目に晒すべきではないもの」となります。
対して写真というものは、「人の目に晒すためのもの」です。また、SNSを通じて誰もがネットに写真を投稿できる現代において、写真の「人に見せるもの」という性質は非常に大きくなっています。
「人に見せてはいけない」うんこと、「人に見せるための」写真。二つの存在が決して交わらないことは、もはや誰の目にも明らかです。
……さて。
これまでだらだらと「うんこは写真に写らない」理論を語ってきましたが、頭でこねくりまわした思考を垂れ流すだけでは、机上の空論、インターネット上の排泄と批判されても文句は言えないでしょう。ましてや「うんこ」という題材。初回にして大炎上の可能性も十分にあり得ます。
鬱々とした日々をこれ以上どん底に突き落としたくはないので、ここは一度私自らトイレに赴き、この記事を真の完成に導きたいと思います。
普通にばっちり写りました。ご清覧ありがとうございました。
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