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ふつうの日記 2021.09.11『哀愁のきざみ海苔』

・海苔

 親子丼を食べた。きざみ海苔をかけて食べた。とてもおいしかったのだけれど、ふと、親子丼の海苔は気まずいだろうなと思った。
 玉子と鶏肉、この二者によってあの丼は「親子丼」と名付けられている。玉子と鶏のハーモニー、親と子供の深い絆……それが親子丼のテーマだ。ネギなんかも卵とじにされていると親子水入らずとは言えないが、ネギとも同じ調理器具で熱された仲。ネギは言わば乳母のような立ち位置だろう。同じ味付けで家族団欒、白米の上に横たわるのだ。
 しかしその点、海苔はどうだ。家族がわいわいと和んでいるその上に、ぽっと出の他人が突然ふりかかる。完成された家族団欒に、突然初対面の他人が踏み込むのである。白米の上のインターホンが鳴り、「あら、どなたでしょう?」とネギが玄関を開けると、そこには黒ずくめで角ばった海苔がゆらりと佇んでいる。緊張するネギ。強張る鶏肉。不安げな玉子。海苔はおずおずと口を開く。「と、突然すみません。どうかしばらく、ここに置いていただけないでしょうか」丁寧な物腰に鶏一家の緊張はやや和らぐが、「えぇ、どうぞ」と迎え入れる鶏肉の声がいつもより少し高いことに、玉子は気づく。ママが電話に出るときと同じ声なのだ。
 海苔はなるべく邪魔になるまいと、丼の最上部にふんわりかかるにとどまっている。だが決して、鶏一家の視界から外れることはできない。海苔が来た瞬間、一家団欒のひとときには綻びが生まれているのだ。
 親子丼を食べ終えた満腹を抱え、私は海苔に想いを馳せた。丼の一番上に、居心地悪そうにひっかかっているきざみ海苔。海苔のひきつった笑顔が、私の脳裏にぽっかりと浮かんだ。


・矛盾

 日記を遡って読んでいたら、「七分丈のズボンは持ってない」と書いたちょっと後に「ゴムが緩んだ七分丈のズボンをいかにして穿くか」という日記を書いていた。違……違うんです……嘘をついたわけではなくて……ゴムが緩むくらい放置していたから、前は本当に七分丈を持っていないと思っていて……いや、というか日々かなり勢いで書いているので……見逃して……見逃してください……。


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