【フェアンヴィ】第8話~2024年創作大賞応募作品~
リズム
「ちょっと…まって。突然…」
ルービスは左手に剣を持ちかえ、慣れないドレスの裾さばきを気にしながら構えた。
「そうか、負傷している上にドレスは難しいか? だが、国を出たいんだろう?」
「出してくれるの?」
ルービスは飛び上がった。その反応にディーブはつい笑ってしまう。
「では君は受け身だけでいい。もし余裕があれば打ちこんでくるんだ」
ディーブとルービスは間合いを取る。
「君には速さと瞬発力、それに加えて女にしかない柔らかな動きがある。それが強みだ。それを君も十分知っている」
ディーブは軽く左右に剣を振りはじめた。ルービスも果敢に挑み始める。
「だが他国には女戦士もたくさんいて、それに慣れている。他国で生きたいのなら、もっと磨きあげなければならない」
ルービスがどんなに速く動いても、ディーブには完全に見切られていた。話しながら、息も乱さず流れるような剣さばきだ。
「そして、欠点も直さなくては!」
瞬間、ルービスには何が起こったかわからなかった。ディーブがただ剣を払っただけのように見えたが、ルービスはたった一撃で部屋の隅まで飛ばされた。その衝撃で壁にかかっていた絵や花瓶がことごとく落ちてしまい、その音を聞きつけたくさんの人が部屋に入ってきた。
ディーブは悪びれた様子もなくルービスに駆け寄り、手を差し伸べた。その動きは、まるでダンスを誘うように優雅だ。
「大丈夫? ずいぶん無防備だったな。こんなに飛ぶとは思わなかった。…ああ、気を付けて、ガラスが下に…」
ディーブにリードされ、ルービスはようやく安全な場所へ移動した。わらわらと集まった人を追い払い、再び2人になる。
「いろいろと教えるべきことがありそうだ」
埃だらけのルービスを前に、ディーブは笑顔を向ける。笑うと左側にだけえくぼができる。ルービスは間近にあるディーブの顔をやっとまともに見ることができた。
「両利きなのか?」
「私は右利きなんだけど、母親が左利きだったの。家の道具はすべて左用で、それを使っているうちにどちらも使えるようになって。ほとんどの作業はどちらでもできる」
「そう、器用なのはいいことだ。…筋肉と体幹を鍛えることが課題だな。それと、リズムも覚えるといいな」
「リズム?」
ディーブはうなずいて、ルービスの肩や背中の埃を優しく払う。
「何をするにもリズムは大切だ。たとえ格闘でも。今日フットワークをつけていただろう、あれを確立させればいいんだ」
ディーブはそう言ってポケットから鈴を取り出した。鈴には一つ一つ紐がくくりつけてあり、全部で4個あった。
「どうするの?」
「これを手足に付ける」
そう言いながらディーブはもうルービスの足首に鈴を付け始めていた。手足全てに鈴がつけられると、ルービスはもう一度剣を握らされた。
「今度は受け身だけをするからね」
ディーブはそう言って自分も剣を持った。ルービスは仕方なくディーブにかかっていった。鈴はルービスが動くたびに可愛らしい音色を発する。が、可愛らしい音色なのにもかかわらず、なぜかそれは不快に感じた。ルービスは、動くのをやめた。
「耳障りだわ。集中できない」
ルービスが鈴を外すと、ディーブはその鈴を今度は自分に付けた。
「今度は反対だ。君が受けてくれ」
ルービスの顔がこわばるのを見て「力は入れないから」とつけたし、ディーブは構えた。
ディーブの攻撃は鷹揚で力こそ入っていなかったが速く鋭かった。ルービスのほんの一瞬のすきを、わずかな呼吸の乱れを確実についてきた。ディーブの剣を受けるのに精いっぱいで、しばらくは鈴の音など耳に入っていなかったルービスだったが、ディーブの攻撃がパターン化していることに気づくいた。ルービスの関心は鈴の奏でる音楽に移っていった。
それは確かに音楽のようだった。4つの鈴が、不思議な音を奏でていた。
(これがリズムか・・・)
ルービスは感心と尊敬の眼差しで音を作る手足を観察した。音は、ワルツのようにもなり、時には激しいスイングにもなった。
一頻りの練習を終え、剣を納めると2人の間に沈黙が訪れた。ディーブはちらりとワインに目をやってから、思い直したようにふうっと息を吐いた。
「…それではおやすみ」
突然そっけなく言って、ドアに手をかける。ルービスはあわてて追いかけた。
「行ってしまうの?」
ルービスの言葉に立ち止まったため、追いかけたルービスはあやうくぶつかりそうになってしまった。再び息をゆっくり吐いて振り返るディーブの表情は、なにかを決意したかのように口を結んでいた。ルービスもつられて身構える。
ぎこちなく、恐る恐るとディーブの顔が近づいてくる。ルービスにも何が自分に迫っているのか瞬時に理解できた。慌てて目を固くつぶる。
「ゆっくり休んで」
低い声で早口に言うと、ディーブはそのまま出て行ってしまった。
呆然と立ちすくむルービスだけがあとに残された。
ルービスは恐る恐る唇に手を当てた。
(冷たくて、柔らかい)
ルービスのファーストキスだった。ただ唇がぶつかっただけのようにも思えたが、あれは正真正銘のキスだった。ルービスは火照る顔をうずめるようにベッドに飛び込んだ。
「ディーブ殿下? こんなところで何をしているのです」
一人庭で月を見上げていたディーブはトーマンの声にバツが悪そうに振り向いた。
「今日はすばらしい夜になっていると思いましたが?」
「ああ…まあ…」
ディーブは取り繕うように肩にかけていた上着に腕を通した。
「気に入りませんでしたか?」
「いや…」
ディーブは苦笑した。
「ではまたどうして? 愛した娘を抱くことができないなどというほど純情ではありますまい?」
「ハハハ! 本当にお前は直球でものを言う」
ディーブは困り果てて歩き出した。
「今からでも遅くはありませんぞ、証拠を残さねば」
「また過激なことを」
「飛んでいきますぞ」
ディーブは足を止めてトーマンを見返した。浅黒い顔は夜には表情が読みにくい。
「今を逃せばきっと後悔する時が来ます」
「そうかもしれない」
「ならどうして? あの娘はきっかけさえあれば手の中から飛んで行ってしまいます。それだけの意志と力があるのですから」
ディーブは嬉しそうに笑った。
「お前も惚れたのか? 珍しいじゃないか、けしかけてくるなんて」
「…そうですね、私ならこんなところにはいないでしょう」
二人は顔を見合わせ笑いあった。
「…トーマン、私は見てみたい。彼女の勇気を」
ディーブは大木にもたれ、遠くを見つめた。
「彼女はチュチタ国で生きてきたとは思えないほどひたむきに、純粋に、まっすぐに未来を夢見ている。・・・力になりたいんだ」
「国から出すつもりですか?」
「もちろん」
トーマンは呆れたように笑った。
「どうやって? 女を国から出すことは重罪です。…まさか入国管理事務所を爆発させるとか?」
ディーブの左頬にえくぼが刻まれる。
「トーマン、なぜそんな過激なことばかり想像するんだ」
「想像力は人間力です」
「座右の銘だな。…まあ、ひとつ考えがあるんだ。遠くから見ていてくれ」
「遠くからですか」
残念そうなトーマンの表情が、再びディーブの笑いを誘った。
次話 作戦 に続く…