【看護師シリーズ】私が看護師となった時の話
私は実は、看護師になりたいと看護学校へ進んだわけではありませんでした。
本当に行きたいところは心理学でしたが、その当時、心理学はまだ日本ではポピュラーではなく、学部を持っている大学は少なかったのです。(哲学のほうが盛んでした)
また金銭的な問題もあり、自分で学費を出せる国立の看護学校へいくことになりました。
本当は大学へいくためにコツコツためていたのですが、私学は学費が高いし、国立は偏差値が高くて・・・
なぜ看護学校かというと、看護師志望の学生で特別推薦の枠に入る子がいなくて、先生が困っていたからです。
私はその当時、看護師というのは医師くらいに頭の良い人しかなれないと思っていたので、自分が看護師の学校にいけるとは夢にも思わず、「すごーい」とただ驚いていました。
特別推薦でしたので、形ばかりの面接です。面接にきた同じ立場の高校生も名前を言えれば受かるくらいに言われていたので、面接会場でもみんなリラックスしていました。
そんなこんなでヌルっと入ってしまったので、看護師に対しての想いも何もありませんでした。
入学してから、他の学生が強い想いを持って看護学校に来ていることを知り、焦りましたね。
学生時代に看護の勉強をして、病院実習をこなし、国家試験に臨んでも、私はまだ看護師になるという実感はありませんでした。
親の援助を受けずに、生活費も学費も自分で出していたため、病院実習があろうともバイトを続けるしかなく、普段もバイトを2つかけもちしていて、とにかく生活をするのに必死で、看護に対して向き合うことはありませんでした。
もちろん、実習で知り合った患者さんとは本気で関わっていました。ほとんどの患者さんと、(亡くなった人以外は)いまでも連絡を取っています。(昔は患者さんとの連絡先交換が可能でした。今は写真を撮ることも許されません)
はれて看護師として病院で働き始めても、私は定期的に安定した給料がもらえることに安心して、看護師になってよかったと思うくらいでした。
仕事を覚えることに夢中で、看護というよりも業務、安心で安全な看護をする、それで精一杯でした。
2年目になると、看護研究をしたり後輩ができたり、質問されることが多くなります。やっとそこで自分の看護について考えるようになりました。
さらにその当時出会った患者さんが、入院中に記憶喪失になったり、そこから自分と向き合って記憶は戻らないままですが病と向き合い退院されていく姿や(私の担当の患者さんだったので思い出深いです。この方ともいまだに連絡をとっています)、意識不明だった患者さんが、家族のもとへ退院するまでに回復する姿をみて、自分たちの関わりが患者さんや患者さんを大切に思う人々の助けになると感じました。
突然、その責任に気づきました。実は自分はとてつもない職業をしているのではないかと怖くなりました。
そこを乗り越えた時、私は初めて看護師になれたと思います。
看護師を目指すと決めてから約5年かかりました。(就職してから2年半くらいのときです)
看護師を目指すと言ってくれた高校生や、いよいよ春から(国家試験に受かれば)看護師になる、という大学生に最近相談を受けます。
私は看護師になれるでしょうか。
なれるでしょう、あきらめなければ。
でもそれは、どんな職業でも一緒ですよね。
職業じゃなくても、自分は母親といえるのだろうか、など揺らぎます。
やはり、覚悟も必要なのでしょうね。
看護師にどうしてなろうと思ったのですか、
ともよく聞かれます
私は書いたように、成り行きに近い始まりでした。
でも、出会った人々が私を看護師にしてくれました。
きっと、強い意志を持って看護師になって人も
一人では看護師になれません
だから、あまり思いつめず
無理をせず
いつでもやめられるし
いつでも始められる
やめようと はじめようと
それは自由
人生長く生きてると
そんなことがわかります
今の若い学生さんは、本当に真面目で
自分の中できちんと信じられるものを持っていないと
いけない、と思っているように感じます
平気よ。これからこれから。
そんなことを伝えたいとおもいました。