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塔の上のラプンツェル、ゴーテルについての考察
塔の上のラプンツェルに娘がハマっていて、何回も観ている中で、ゴーテルについて気になってきたので書いてみる。
ゴーテルがそんなに悪人なのだろうか?という声がネットでもチラホラでているようだ。しかし、どの回答も私の中でピンと来なかった。
確かに、あんなに小さい赤子を18歳になるまで育て上げるには、それなりの努力や忍耐が必要なはずだ。そこに愛はあったのか?
ゴーテルはラプンツェルにたびたび「大好き」という言葉を投げかける。それは偽りなのか?
少し調べるとゴーテルは本来400歳生きているらしい。その中で永遠の若さと命を繋ぐために金色の花の力を使っていた。
その花が持ち出され、ゴーテルのもとから消えてしまった。花はプリンセスに代わり、自由を得てしまった。だからゴーテルは、塔に閉じ込め、「花」であることを強要した。だから、ラプンツェルが塔の外に出ることに過剰に反応する。一度は自分の元から消えてしまったからだ。
ゴーテルはラプンツェルという人物を見ていない。ラプンツェルが「意志」を持つことが何より怖いのだ。考えさせないための呪縛として「大好き」「あなたが心配」という言葉を使っている。こういう構造は巷でよくあることではないか。
そしてゴーテルはラプンツェルは「まだ赤ちゃん」「何もわかっていない」と若くあることを否定する。自分はあんなに若さに執着しているのに、だ。
自らは犯罪を犯すほどに求める「若さ」を当たり前のように持つ「娘」に対して、疎ましい気持ち、妬ましい気持ちがあるのは歴然だ。
ゴーテルは自分主体で物事を考えている。ラプンツェルを愛してはいない。ラプンツェルから「大好きだ」とゴーテルに向けて発されることはない。
これは私たち母娘の関係で1番危うくなることだ。問題は娘の心に寄り添っているかどうか、温かい愛情とはそこにあるのではないか。
ラプンツェルが、あったばかりのユージーンに「私のことが好き」というのは、自分に寄り添い、夢を叶えてくれたからだ。
ラプンツェルは何が愛かわかっていた。温かい光が自分の誕生日に飛ばされる。そこに誰かからの想い・愛を感じとっていたのだ。
そしてゴーテルが自分を愛していないこともわかっていた。だから、真実に気づいた後、葛藤なく彼女にもう髪の力を使わせないことを宣言できた。
塔の上のラプンツェルのテーマは「本当の愛」だと思っていると、ご都合主義などという表現は出てこず、一貫した物語だとわかる。
それで、ゴーテルは悪人なのか?という話になるが、悪人だと結論づけたい。彼女は人権を己の利己心、虚栄心から踏み躙った。それは何人たりとも犯すことのできないことだからだ。子育てでという隠れ蓑で、それを覆っているが、子供はわかっている、ということだ。
自分も気をつけたい。あと、ゴーテルが「モゴモゴ言うな」というのは、耳が遠いのかもね。花の力で若さを得ていても、体の老化はカバーできないのかね。いま化粧品が優秀で若い見た目の年配の方多いけど、、ゴーテルは量産されているのかもしれない。