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「がんばれ」と「がんばったね」
日本語は難しい。
同じ言葉なのに状況によって違う意味に捉えられてしまう。
今日はそんな話をしていこう。
んー…例えば「がんばれ」って言葉。
僕はあまり使わないようにしている。
一見応援しているような言葉だが、尻を叩くときにも使われる言葉。
“純粋な応援”と、「お前頑張ってないじゃん!!」と相手を追い詰めるような捉え方をされる場合がある。。
同じ言葉なのに、やる気を出させる場合と思って委縮してしまうような可能性があるのだ。
受験勉強を必死でやっている子に「がんばってね!期待してるから!!」なんて声かけしたら、
「もうがんばってるわ!!ほっといてくれ!!」とブチ切れられることもあるだろう。
すでに頑張っている人に使ってはいけないのだ。
私的に「がんばれ」を使っていい年代は小学生低学年まで。
言葉の裏の意味を考え出す精神年齢になったら使ってはいけない言葉の中に入っている、私的には。
対する「がんばったね」はすべての人においてねぎらいの意味を表現できる。
そのことで救われる場合が結構ある。
特に精神的に参っているときなんかはもう涙が出そうになる時もある、ホッとして。
SHAKA LABBITSと175Rが大好きだった大学生だったときのある夜、口の中に爆弾を落とされる夢を見た。
目が覚めたら、歯が痛い。とてつもなく痛い。
痛くて一晩中寝れなかった。
次の日すぐに歯医者に行った。
朝一で並んだ。
並んでる最中に思い出した。
私の周りでは歯医者に行ったら怒られるという話。
「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!?これじゃあ治療が大変になるだろ!!ちゃんと歯を大切にしなさい。」と。
不安でソワソワしてたが、歯が痛過ぎて行かない選択肢はなかった。
ビクビクして歯医者の中に入った。
一番で先に通され歯を見た先生が言った。
「こんなに痛くなるまでがんばったね。これから治療してよくしていきましょうね。」
「がんばったね」とはなんて安心できる言葉でしょう。
なんて素晴らしい言葉なんでしょう。
私の辛さをわかってくれた。その一言で私の歯を先生におまかせします。と思える一言だ。
がんばったね、の効果効能は他の場面でも効いてくれる。
子どもが風邪をひいて小児科に行ったとき。
10分前に受付が時間が過ぎていたのを気付かず入ってしまったのだが、快く受け入れてくれた。
その時の先生が言った。
「お子さんつらかったね。ここまでがんばったね。まず薬飲めば少し楽になるからね。お父さんも寒い中がんばりましたね。」
そう、私もがんばったんだ。
病院に着くまで。
実はこの小児科につくまで、仕事をしていて、保育園から電話がきて「熱でたからお迎えお願いします」と言われ、急いで仕事を終わらせて、保育園に迎えに行き、まだやってる小児科を調べてここならまだやってる!と15kgのこどもを抱っこ紐に入れて20分小走りで冬なのに汗かいてようやく到着して受付で「実は受付時間が終わってしまってまして・・・、ちょっと先生に確認しますね・・・。」
と、気持ちがそわそわしていたのだ。
その不安を「がんばったね」がすべて受け止めてくれた気がした。
これを書いていて思ったが、「がんばったね」という言葉自体が素晴らしいが、その言葉をチョイスしてくれるお医者さんたちの人間性が素晴らしいのだ。
人間性が素晴らしい人が使える万能の言葉「がんばったね。」。
病院には心も体も弱ったときに行く。
そこで「がんばったね」とねぎらってくれるその一言は安心する。
薬でだめ。
専門の先生からの労いの言葉が欲しい。
これまでの過程を肯定してくれる人ことなのだ。
社会人の仕事では「結果がすべて」だとよく言われるが、過程自体も評価してもよいのではないか。
今回の過程を評価することで、将来的な結果にもつながるのではないかと私は考える。
目標には届かなかったが前回より結果が良かった時、
すでに頑張っていることがわかるとき、
我慢を続けているとき、
そんな気持ちが張り詰めているときや、落ち込んでいるときに「がんばったね」と声掛けできる人間に私はなりたい。
目指せ人格者。